15 これにて決着! + 四章エピローグ
最終決戦です! (≧∇≦)ノ
「何度も言いふくめておいたのに、ついて来なかったのはとんでもない失態である! 重臣と言えど許せぬ」
信長は激怒した。
みなが謝る中、筆頭家老の佐久間だけは言い訳する。
「しかし上様、我々のような優れた家臣をお持ちになることはめったにございません」
しかし言葉使いが下手すぎて怒りの火に油を注いでしまった。
「は? 何を持ってそんな自慢ができる? 片腹痛いわ」
この時の佐久間信盛は思い上がっていたのだろうか?
全くないとは言い切れないが、信長は部下に対してすぐ無茶ぶりをする主君だ。
それにひとつひとつ対応できる家臣を持った幸運を、もっと理解して欲しかったゆえの発言ではないだろうか?
しかし信長からすれば、みすみす勝機を逃がした後の言葉。
到底受け入れられなかった。
その時は敵追撃のため皆を許すが、家老の佐久間はこの時の失態が元で後に織田家から追放された。それだけ信長の怒りはすさまじかったのだろう。
(この機を逃すとは何ごとか!)
そう、追撃が遅れたせいで敵が二手に分かれてしまったのだ。
「朝倉義景はどっちに逃げた?」
「分かりませぬ」
川ぞいの道を進めば本拠地である一乗谷への最短距離だ。
一方の刀根山への道は重要拠点の敦賀に通じる。
信長は山道の崩れ具合に着目した。
(草が広範囲に倒されているし、蹄の跡もある。騎馬兵が通ったな)
「刀根山じゃ、ワシが義景なら敦賀の兵と合流する」
織田軍は川ぞいルートを捨て全軍で刀根山の坂を駆け登った。
読みは見事に的中する。川ぞいの道を取った方は雑兵が多かったらしい。
まあ重要なのは二手に分かれず、こちらだときっぱり決断したことだろう。
もし一乗谷を目指していたとしても、そこには軍勢がいない。本隊の到着前に谷を占領していたかもしれなかった。
とにかく戦闘が始まる。朝倉軍も撤退しながら防戦するが、兵は戦いに接している者の方が強い。なおかつ織田軍の武将は信長に叱責されたばかりで汚名返上に必死だ。そして朝倉軍に優秀な将はいない。
刀根坂の戦いと呼ばれたこの戦闘で、織田軍は圧勝した。
織田軍の勢いは止まらない。
朝倉義景は敦賀を捨て、一乗谷へ逃げた。
一乗谷は全体を山に囲まれた要害だ。
亡き宗滴のような優秀な将と朝倉家全盛時代の結束した兵が守ればまず落ちない。
しかし兵の大半が失われた軍を率いるのは朝倉義景。文化人としては才能があったが武人としてはからっきしの。
織田軍一の猛将柴田勝家の攻撃に、耐えられるはずがなかった。
一乗谷は三日三晩燃え続ける。
逃げ出す民も多い。女子供は見逃したが、武者は容赦なく皆殺しにした。
味方も主を見限る。
八月二十日、一族に裏切られ朝倉義景は命を落とした。
信長は加賀にも足を延ばしたが、朝倉氏の滅亡を確認すると浅井の小谷城攻めに戻った。
八月二十六日、信長は最前線の虎御前山砦に入り、小谷城の総攻撃を命じる。
ここで活躍したのが木下秀吉らしい。おそらく越前攻めには加わらず、調略を進めていたのだろう。
小谷城の内部と連絡を取り、城の一郭である京極丸を開かせる。小谷城は南北に細くのびる構造で、京極丸はその中ほどにあたった。
そこを押さえれば、本丸の長政軍と北の小丸にこもる父久政の軍を分断できる。
分断すれば倒すのもたやすい。まず小丸を落とすと、信長も京極丸に乗りこんで本丸を攻めた。
「上様、妹君を発見いたしました」
死を悟った長政は、妻のお市と3人の娘を信長の元に送る。
「よく無事で戻った」
「はい」
久しぶりに会う妹と初めて見る姪に、信長の目元がじんわりする。
4人の姫には供をつけ岐阜に向かわせた。
九月一日、浅井長政は小谷城の本丸で腹を切った。
信長は宿敵であった浅井・朝倉の両家を滅ぼしたのである!
* エピローグ
浅井長政は無念であったろうが、必死に戦った後の死である。
彼には信長と戦う実力があったのだ。
しかし朝倉義景は違う。その場合どうすればよかったのだろうか?
とっとと信長に下っていた方が得策だった。それでもズルズル戦うのであれば、徹底的に戦うべきであった。
当主に軍才がないのなら、誰か一族にその座を譲るとか。
ま、一族内の内輪もめで、それさえ難しかったのだろうが。
そして徹底抗戦を阻んだのが朝倉家の窮乏だった。戦には多額の戦費がかかる。本家はともかく地侍たちにはまかないきれえず、貧乏にあえいだらしい。
しかし戦費がかかるのは信長だって同じこと。
信長は商業港である津島の町から莫大な戦費をまかなっていたことは有名である。岐阜の町に楽市楽座令を出し、関所を廃止して商業を活性化させていた。
上洛後はもちろん商業都市の堺を手中に収めている。軍資金にはことかかなかった。
対して朝倉には‥敦賀があったのだ。規模も歴史も十二分の。
だいたい敦賀は大陸と直接交易までしていた。うまく使いさえすれば堺にだって対抗できるはず。
浅井氏の小谷城跡地から発掘されるのが主に土師器のカケラである。
釉薬もかからず文様もない、ただのシンプルな素焼きだ。
浅井家の質実剛健さが出土品からも見て取れる。
しかし一乗谷から発掘されたのは‥白磁に青磁と美術品クラスなのだ!
豊かさの規模が違うじゃん。
なぜそれだけの利益を戦にあてなかったのだろうか? 朝倉義景には武人としての才能だけでなく商業的なセンスが壊滅的だったのかもしれない。
強敵を次々と滅ぼした信長は岐阜に帰る。
まだ武田家そのものは残っているし本願寺も支配には入っていない。
だが、これにて第一次信長包囲網は崩れさったのである。
お付き合いありがとうございました。
元亀争乱編、これにて終幕です。
面白かったと思って下さった方、これなら大河ドラマもねらえるって思った方はぜひポイント下さい(笑)




