14 総攻撃が始まる
信長は畿内の義昭軍残党を片付けた後、八月四日岐阜城に帰った。
元号が天正へと変わる。
とうとう信長が浅井・朝倉と戦う時が来たのだ。
八月八日、敵将の阿閉淡路守がやっと調略に応じた。
この人は浅井の本城がある小谷山の近く、山本山城の城主である。
信長が拠点とした虎御前山を小谷山とはさむ位置にあった。
つまり山本山が敵である以上、虎御前山から小谷山を攻めようとしても背後が気になって全力をぶつけられない。
しかしそこさえ落とせれば、浅井の本拠地小谷山を完全に孤立させられる。
なので丹羽五郎左や木下秀吉や竹中半兵衛による必死の勧誘が続いていた。だからこそ浅井長政も重臣の阿辻を城主にしている。しかしその重臣が、とうとう折れたのだ!
これで織田軍は小谷城の攻撃に集中できるようになった。
「よおし、これで勝つ条件がそろったな。みなに出陣の準備をさせよ!」
「しかし殿、もう日も暮れかけております」
「構うものか、行くぞ!」
あまりの吉報に信長は夜中なのに出陣を始め、翌日の九日には虎御前山の砦に到着していた。
家臣はアタフタしたことだろう。
それでも信長の急発進は敵をあせらせる。浅井側も目の前の城が敵に渡ってしまったことから越前に急報を送った。
さすがに朝倉義景も万の軍を率いて来た。
彼にしては行動が早いので、進軍の準備だけはしていたのかもしれない。
[*信長公記には2万の軍と書かれているが、数盛りすぎの説あり]
「ふん、やっとのお出ましか。じゃがもう遅い」
信長はほくそ笑んだ。
朝倉が拠点にできそうな場所はほぼ焼きはらっていた。
朝倉軍は小谷山に入るか、虎御前山の近くに陣取って織田軍をはさみうちしたかった。
しかしいくら大軍を連れて来ても、拠点がなければ織田軍の敵ではないのだ。
朝倉軍は浅井の館がある峰より急峻な大獄に陣を張ったようだが、険しい山頂には大勢の兵は置けない。
主力は越前寄りの余呉・木之本・田部山に陣を敷く。
信長は朝倉と浅井を合流させないよう、朝倉軍の東で小谷山の北どなりの山田山に陣を張らせた。
「朝倉義景が自分から攻めてくる可能性は低い。これなら小谷山の浅井軍のみと戦うだけじゃ」
浅井家も、朝倉の頼りなさは分かっていた。
「我は浅見対馬守の使いじゃ、通してくれ」
籠城部隊ですら主家を見限り信長に投降する。
それでもギリギリになって主を裏切った浅見を、信長は信用せず所領を没収した。調略に応じた磯野や阿辻は戦況を変えたことで優遇されたが、ただ殺されたくないだけの裏切り者は嫌われたっぽい。
八月十二日、信長は大獄の朝倉軍を先に攻めることにする。
虎御前山の本陣は息子の信忠に任せ信長自身は先陣を切る。
あいにくの雨と風で移動も戦闘も大変だったが、馬廻り衆に攻めさせれば敵兵500人はすぐ降参した。
「敵は逃がせ」
山城が全部落ちれば朝倉義景は必ず逃げる。そこをたたけば一気に滅ぼすことが可能だ。信長の脳内に勝利への工程がスッと描かれた。
「次は丁野を落とす!」
別峰の敵や拠点もつぶし、朝倉軍が小谷山城へ入る道を完全につぶす。
「必ず今夜中に朝倉軍は退却を始める、皆の者一斉に攻撃せよ!」
信長は主力の武将すべてにこの命令を行き渡らせた。
そして日が落ちる。朝倉軍は宵闇にまぎれて退却を始めた。
「今じゃ、かかれい!」
信長は手勢を率いて出発したが‥他の家臣はついて来なかった。
ついて行けなかったのだ。
彼らは風雨の中、ツルツル滑る急斜面を登っては戦い、下りてはまた別の斜面に移って登り戦っている。
すっかり疲れ切っていた。
作戦を伝えた信長も、何のためにそれをするのかの説明はしてない。彼自身はアドレナリンが出まくっているから指揮にも力が入るが、他のメンバー違うのだ。
秀吉ですらついて行かなかったのだから、本当にボロボロだったのだろう。
山登りって大変ですよね。次回でとうとう4章が終わります!




