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そして覇者になる ~織田信長の物語~  作者: ノーネアユミ
第四章 元亀争乱編

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12 将軍義昭の離反


 北には浅井・朝倉、東からは武田。これで西の本願寺と将軍家が結託(けったく)すれば、信長は(ふくろ)のネズミになる。


 机上(きじょう)だけなら勝利も確実(かくじつ)。将軍義昭は、離反(りはん)家臣(かしん)に相談した。

 もちろんスムーズには賛成されない。


上様(うえさま)が将軍として京に(もど)ることができましたのは、ひとえに信長公のお手柄(てがら)です。(えん)を切るなど考えられませぬ」


「だからと言ってこれではまるで織田が上様の主人ではないか! このような無礼(ぶれい)(ゆる)しておけぬ」

「そうじゃ、今なら信長も敵ではない」


 義昭の家来(けらい)たちも信長()と反信長派に分かれていた。


 議論(ぎろん)はわく。まあ結果として義昭は予定通り信長とたもとを()かつことに。


(もう)(わけ)ござらぬ、上様。それがしは織田につきもうす」


 信長派の筆頭(ひっとう)、細川藤孝(ふじたか)は将軍を見限(みかぎ)った。


殿(との)と信長公では(うつわ)(ちが)う)


 義昭と共に流浪(るろう)苦渋(くじゅう)を味わってきた藤孝だが、それゆえ判断を間違(まちが)える危険性を重々(じゅうじゅう)理解していた。


 戦国の()は実力の世界なのだ。身分(みぶん)格式(かくしき)は武力の相手にならない。

 そして手を組む権力者を簡単に()えれば信用を(うしな)う。


 大体、将軍家が持つ軍事力は大したことがなかった。(だれ)かを(たよ)らずには生きられないが、武田や朝倉が織田に比べてマシな保証(ほしょう)もないのだ。


 そして織田信長は簡単に手を切れるほど(かる)い存在ではなかった。



 信長は義昭に気を変えるよう催促(さいそく)するが、義昭は決戦にそなえ二条城の(ほり)強固(きょうこ)にしていく。

 琵琶湖(びわこ)要所(ようしょ)堅田(かただ)近くにも(とりで)(きず)かせていたので、信長は柴田(しばた)明智(あけち)丹羽(にわ)などの主力をぶつけた。


 明智十兵衛は将軍家に(つか)えていたはずだが、織田家に出向(しゅっこう)したまま(とど)まったのだろう。

 その明智がまた船に乗り琵琶湖側から攻撃をしかけたことで、堅田が落ちた。


 信長は褒美(ほうび)として明智に坂本の城を(まか)せ、他の武将を京対策のため戻す。

 信長は武田の脅威があるにも(かか)わらず京へ全力をぶつけた。


 おそらく武田家に何かあったことは感づいたのだろう。

 美濃(みの)を攻めた武田軍は岩村城を落とした後、進軍(しんぐん)を止めたのだ。

 信玄が健在(けんざい)だったらそんなことはおこらない。


(しばらくは時間が(かせ)げる)



 三月二十五日に大阪まで進むと、細川藤孝と荒木村重(むらしげ)が信長を出迎(でむか)える。


 信長は京都への攻撃を開始した。

 京の都は防衛(ぼうえい)(てき)さない。

 いくら二条城が堅牢(けんろう)でも取り(かこ)まれたらお(しま)いなのだ。


 義昭にもそのくらいは分かっていた。

 それでも信長から出された和睦案(わぼくあん)をける。


「武田が来るまで持ちこたえれば良い!」


 しかし武田は来なかった。

 信玄の病状(びょうじょう)悪化(あっか)し、軍を退()き返したことは義昭に伝わっていない。



 そして信長の北の敵、朝倉義景(よしかげ)も出陣しなかった。


 続く戦に家臣たちが窮乏(きゅうぼう)し、やる気がすっかり消えていたから。

 朝倉義景の慎重(しんちょう)な性格も影響(えいきょう)したのだろう。彼は文化人としての才能はあったが、乱世(らんせ)を生きぬく才覚(さいかく)はなかった。


[*あまりに朝倉義景が出陣しないので、本願寺顕如(けんにょ)と武田信玄から別々に、とっとと出陣しろ! と(おこ)られている]



 そして朝倉が来なければ、浅井も単独(たんどく)では動けない。

 信長は京都に集中できた。


 京では人々が戦をさけ郊外(こうがい)避難(ひなん)を始めている。

 四月二日、織田軍は京の(みやこ)を取り囲んだ。(よく)三日には洛外(らくがい)の建物を焼きはらう。寺はのぞいたが。


 これは(おど)しだ。信長は将軍に再度和睦を求める使者を(つか)わした。


 将軍義昭は信長と一緒に戦場へ出た経験はあるが、大将としては初めてである。

 引き(ぎわ)が分かっていなかった。


「和睦など受け入れぬ。武田が来さえすれば‥」


 武田軍が美濃を攻撃すれば信長は包囲(ほうい)を解いて国元(くにもと)に戻らざるを()ない。

 義昭はかなわぬ(のぞ)みと知らず、抵抗(ていこう)を続けた。



「ならば仕様(しょう)がない。都を焼く。禁裏(きんり)にだけは火が飛ばないよう注意しろ」


 信長は二条城を取り囲み、その周辺を焼いた。

 燃え盛る炎を見て、義昭はやっと理解する。二条城に籠城(ろうじょう)する無謀(むぼう)を。

 四月二十七日、将軍がやっと和議(わぎ)(おう)じた。


 用語説明

 洛外‥京都の外

 禁裏‥天皇の家

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