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そして覇者になる ~織田信長の物語~  作者: ノーネアユミ
第四章 元亀争乱編

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11 第一次信長包囲網が完成! 三方ヶ原の戦い


 補給路(ほきゅうろ)が整(ととの)うことで持久戦(じきゅうせん)が可能になる。


 しかし持久戦は退屈(たいくつ)だった。

 信長はやることがないことが苦痛(くつう)である。


 1人で考えるだけの日々はイライラした。


(長島は降伏(こうふく)せぬ‥本願寺(ほんがんじ)は静観(せいかん)する気か?)


 将軍に本願寺との仲介(ちゅうかい)を頼(たの)んでいるが、大阪の本願寺は長嶋の一揆(いっき)を鎮(しず)めようとしない。


(義昭(よしあき)公はこちらの頼(たの)み事も聞かず勝手(かって)なことばかりなさる)


 人間、イライラしている時は他人の欠点(けってん)を見過(みす)ごせなくなるものだ。

 足利(あしかが)義昭だって本願寺顕如(けんにょ)と縁戚(えんせき)関係にある武田氏を頼るなど、努力はしている。


 しかし信長からはそう見えない。人一倍(ひといちばい)努力家の信長にとって、義昭の努力は微々(びび)たることなのだろう。



 信長は17条の意見書を義昭に送りつける。


 御所(ごしょ)の参内(さんだい)を怠(おこた)ったことを責(せ)め、遠方(えんぽう)の大名(だいみょう)との連絡を禁(きん)じ、金の出入りを細(こま)かく詮議(せんぎ)し、義昭の家臣(かしん)への扱(あつか)いに不満をもらす。



 これには義昭がキレた。


「なぜ余(よ)がこのような指図を受けねばならぬ!」



 ただでさえ信長は本意(ほんい)を伝えるのが下手(へた)である。


 秀吉が出世(しゅっせ)したのは説明せずとも、命令を一声発(はっ)しただけで真意(しんい)をくみ取れる才能があったからだ。


 しかし義昭は凡才(ぼんさい)である。

 なぜそんなことを言われなくてはいけないのか分からない。

 織田家の家臣であれば理由が解(わか)らなくとも従(したが)うが、義昭は将軍である。身分(みぶん)が上の存在なのだ。


 まあ信長の本心は「大人しく飾(かざ)られておけ」であるから名実(めいじつ)ともに将軍であろうとする義昭とはいずれ反目(はんもく)する羽目(はめ)にはなったのだろう。




 義昭から信長に手紙が届いた。「上杉謙信(けんしん)と武田信玄(しんげん)へ和睦(わぼく)を勧(すす)めろ」との内容だ。

 信長は上杉・武田双方(そうほう)と交流(こうりゅう)がある。異存(いぞん)はなかった。


 しかしこれは義昭の罠(わな)であろう。

 謙信との戦いを止めれば武田信玄を味方に引きこめる。手が空いた武田軍を京へ進軍させるためだ。


 信玄に直接呼びかけたのは本願寺の顕如(けんにょ)。この二人は妻が姉妹同士の親戚(しんせき)関係にある。


 そして義昭は本願寺を押さえるためだったが手紙のやり取りはしていた。

 状況(じょうきょう)証拠(しょうこ)として申し分ない。




「武田信玄が軍をこちらに向けただと!」


 信長はあせった。信玄とは絶対に戦いたくない。この稀代(きだい)の戦国武将と信長は会ったことさえないが、恐ろしさは十分に分かっていた。

 信玄の娘を嫡男(ちゃくなん)の嫁にしていたのだが、効果(こうか)は消えてしまった。



(一縷(いちる)の望(のぞ)みは進軍速度が遅(おそ)いことか)


 信玄の住んでいる甲斐(かい)は山国だから移動に時間が取られるだろうが、それ以外に理由があるのかもしれない。


「斥候(せっこう)を送って確かめさせるか。後は徳川(とくがわ)家康(いえやす)に伝えろ、とにかく足止(あしど)めしろと」


 甲斐の国から尾張(おわり)を攻めるなら三河(みかわ)を通る。

 家康が時間をかせいでくれれば何とかなるかもしれなかった。



 知らせを受けた家康は籠城戦(ろうじょうせん)の準備を始める。籠城戦は時間を稼(かせ)ぐだけなら持(も)って来(こ)いだから。信長も軍勢を少しだが貸(か)した。


しかし家康のこもる岡崎城を無視(むし)して、武田軍は西へ向かったのだ。


「マズイ‥」


 家康は軍をくり出す決断(けつだん)をする。

 もちろん籠城を続けて武田軍の補給線(ほきゅうせん)をぶった切る作戦も取れなくはなかったが、当時(とうじ)の家康には余裕(よゆう)がない。


 ここで武田軍を見逃せば、岡崎より西の土着(どちゃく)勢力(せいりょく)が武田に裏切(うらぎ)る危険性(きけんせい)があった。


 彼らは先祖(せんぞ)代々(だいだい)の家臣ではない。まだ今川から領土(りょうど)をぶんどって10年くらいしかたっていないのだ。忠誠心(ちゅうせいしん)もあてにならない。


そして家康は信長から、信玄を足止(あしど)めするよう厳命(げんめい)されていた。


「打(う)って出る以外あるまい!」


 しかし武田軍を追いかけた先の三方ヶ原で、家康は大敗(たいはい)する。


 老成(ろうせい)した信玄に若き家康はほんろうされた。




「お味方敗北、平手殿が戦死いたしました」

「な‥」


 そして武田軍の別動隊が美濃の岩村城を落とす。

 進軍を知ってすぐ兄の信広(のぶひろ)と家臣の川尻(かわじり)を送ったがすぐ無駄(むだ)になる。


 信長はあせった。

 これでは信玄の軍勢がほぼ手つかずでやって来てしまう。

 今は北や西に集中したいのに、東から脅威(きょうい)がやって来るのだ。



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