11 第一次信長包囲網が完成! 三方ヶ原の戦い
補給路が整うことで持久戦が可能になる。
しかし持久戦は退屈だった。
信長はやることがないことが苦痛である。
1人で考えるだけの日々はイライラした。
(長島は降伏せぬ‥本願寺は静観する気か?)
将軍に本願寺との仲介を頼んでいるが、大阪の本願寺は長嶋の一揆を鎮めようとしない。
(義昭公はこちらの頼み事も聞かず勝手なことばかりなさる)
人間、イライラしている時は他人の欠点を見過ごせなくなるものだ。
足利義昭だって本願寺顕如と縁戚関係にある武田氏を頼るなど、努力はしている。
しかし信長からはそう見えない。人一倍努力家の信長にとって、義昭の努力は微々たることなのだろう。
信長は17条の意見書を義昭に送りつける。
御所の参内を怠ったことを責め、遠方の大名との連絡を禁じ、金の出入りを細かく詮議し、義昭の家臣への扱いに不満をもらす。
これには義昭がキレた。
「なぜ余がこのような指図を受けねばならぬ!」
ただでさえ信長は本意を伝えるのが下手である。
秀吉が出世したのは説明せずとも、命令を一声発しただけで真意をくみ取れる才能があったからだ。
しかし義昭は凡才である。
なぜそんなことを言われなくてはいけないのか分からない。
織田家の家臣であれば理由が解らなくとも従うが、義昭は将軍である。身分が上の存在なのだ。
まあ信長の本心は「大人しく飾られておけ」であるから名実ともに将軍であろうとする義昭とはいずれ反目する羽目にはなったのだろう。
義昭から信長に手紙が届いた。「上杉謙信と武田信玄へ和睦を勧めろ」との内容だ。
信長は上杉・武田双方と交流がある。異存はなかった。
しかしこれは義昭の罠であろう。
謙信との戦いを止めれば武田信玄を味方に引きこめる。手が空いた武田軍を京へ進軍させるためだ。
信玄に直接呼びかけたのは本願寺の顕如。この二人は妻が姉妹同士の親戚関係にある。
そして義昭は本願寺を押さえるためだったが手紙のやり取りはしていた。
状況証拠として申し分ない。
「武田信玄が軍をこちらに向けただと!」
信長はあせった。信玄とは絶対に戦いたくない。この稀代の戦国武将と信長は会ったことさえないが、恐ろしさは十分に分かっていた。
信玄の娘を嫡男の嫁にしていたのだが、効果は消えてしまった。
(一縷の望みは進軍速度が遅いことか)
信玄の住んでいる甲斐は山国だから移動に時間が取られるだろうが、それ以外に理由があるのかもしれない。
「斥候を送って確かめさせるか。後は徳川家康に伝えろ、とにかく足止めしろと」
甲斐の国から尾張を攻めるなら三河を通る。
家康が時間をかせいでくれれば何とかなるかもしれなかった。
知らせを受けた家康は籠城戦の準備を始める。籠城戦は時間を稼ぐだけなら持って来いだから。信長も軍勢を少しだが貸した。
しかし家康のこもる岡崎城を無視して、武田軍は西へ向かったのだ。
「マズイ‥」
家康は軍をくり出す決断をする。
もちろん籠城を続けて武田軍の補給線をぶった切る作戦も取れなくはなかったが、当時の家康には余裕がない。
ここで武田軍を見逃せば、岡崎より西の土着勢力が武田に裏切る危険性があった。
彼らは先祖代々の家臣ではない。まだ今川から領土をぶんどって10年くらいしかたっていないのだ。忠誠心もあてにならない。
そして家康は信長から、信玄を足止めするよう厳命されていた。
「打って出る以外あるまい!」
しかし武田軍を追いかけた先の三方ヶ原で、家康は大敗する。
老成した信玄に若き家康はほんろうされた。
「お味方敗北、平手殿が戦死いたしました」
「な‥」
そして武田軍の別動隊が美濃の岩村城を落とす。
進軍を知ってすぐ兄の信広と家臣の川尻を送ったがすぐ無駄になる。
信長はあせった。
これでは信玄の軍勢がほぼ手つかずでやって来てしまう。
今は北や西に集中したいのに、東から脅威がやって来るのだ。




