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そして覇者になる ~織田信長の物語~  作者: ノーネアユミ
第四章 元亀争乱編

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10 兵站


(敵を分断(ぶんだん)するためには何が必要じゃ?)


 戦(いくさ)にとって一番重要な力‥それは情報である。


「大阪と北国(ほっこく)間の交通を遮断(しゃだん)せよ」


 木下秀吉らに命じるがそこまで成功はしなかった。

 琵琶湖(びわこ)の東を通る北国街道(かいどう)への行き来は横山城で止められるが、西側は空(あ)いている。琵琶湖の要所堅田(かただ)は敵側の手にあった。


 なので本願寺から朝倉(あさくら)義景(よしかげ)に共闘(きょうとう)をうながす檄文(げきぶん)は、無事(ぶじ)届(とど)く。


 しかし朝倉義景は戦に消極的(しょうきょくてき)になっていた。

 終わらない戦に家臣団が疲弊(ひへい)してきたのだ。



「義景は出ないな、よし」


 信長に多少の余裕(よゆう)が生まれる。


「琵琶湖の西側にも砦(とりで)を築(きず)け」


 丹羽五郎左長秀(にわながひで)と明智光秀(あけちみつひで)に命令すると、自分は兵700ほどを率(ひき)い上洛(じょうらく)した。



 信長は京の情勢を確認だ。

 将軍にお目通(めどお)りし、屋敷(やしき)を普請(ふしん)する。

 そして朝廷には元号の改(あらた)めを提案(ていあん)した。


(元号が元亀(げんき)になってからうまく行かぬ。ここは改元(かいげん)して心機一転(しんきいってん)じゃぁ!)


 この時点では本願寺との戦いは再燃(さいねん)していない。

 信長も禁裏(きんり)の修理(しゅうり)や財源の確保と気を使っているため朝廷(ちょうてい)との仲は良好だ。


 摂津(せっつ)は松永久秀に奪(うば)われているが、久秀は信長と戦おうとしない。


(今なら浅井(あざい)長政(ながまさ)をたたける)


 敵の連携はそれなりに断てた。

 信長は大軍を小谷城に向ける。




「父上、共に浅井を討(う)ちましょう」


 かたわらに並ぶのは元服(げんぷく)を済(す)ませたばかりの長男。


「ふ、初陣(ういじん)は無事に済ませることが肝要(かんよう)じゃ。奇妙丸(きみょうまる)、今回はワシの戦い方をよく見ておけ」


 生まれたばかりは奇妙な顔をしているから、との理由で父親に変な名前をつけられた奇妙丸信忠(のぶただ)だが、今はりりしく馬を駆(か)る。


 まずは横山に着陣(ちゃくじん)し、敵情を視察させた。



「朝倉殿はなぜ来ない」


 浅井長政は歯を食いしばる。

 浅井軍だけでは織田と比べ数に劣(おと)った。

 単独(たんどく)で山を下りるわけには行かない。


 そしてそれはそのまま信長の好機なのだ。


「朝倉が来ぬうちが勝負じゃ。全軍で虎御前(とらごぜ)山を落とすぞ!」



 虎御前山は小谷城のちょっと西にある小さめな山だ。

 小谷城を攻めるなら、横山城よりもっと近くに砦が欲しい。

 柴田権六らの活躍(かつやく)で、信長はちょうど良い拠点を手に入れた。


「サル、向こうの山も落とせ」


 虎御前山から琵琶湖方面には他の山城がある。

 敵に拠点を取り戻されてはやっかいだ。信長は木下秀吉に近くの山城を攻めさせた。

 小谷山の麓(ふもと)にあるせいか山本山と言う。


 秀吉の放火で、敵兵が城から下りて来た。


「まだじゃ、まだ攻めるな」


 秀吉は、すぐ城に戻れない距離(きょり)まで敵をおびき出す。


「今じゃ、かかれい」


 敵兵50人ほどを討ち取り、信長も喜ぶ。


「良くやったな、サル」


 信長は信長で、小谷城付近の拠点になりそうな場所を焼きはらった。


「五郎左、大吉寺を攻めろ。サルも連れて行け」


 山上の寺に一向(いっこう)一揆(いっき)勢がこもっている。本隊が麓を襲(おそ)っている間に、丹羽長秀と秀吉の率いる兵はこっそり裏山を移動する。


 背後からの夜襲(やしゅう)に敵は手が出せない。



 そして他の部下には船を造らせた。


「十兵衛(じゅうべえ)たちは琵琶湖から湖岸(こがん)の城を攻めろ」


 明智光秀や林ナントカらに水上からの攻撃を命じる。

 明智十兵衛は得意の鉄砲を敵地に放ち、奮戦(ふんせん)した。


 小谷城は着実に孤立した。




「サルよ、この山にも陣城を築け」


 木下秀吉に虎御前山への築城(ちくじょう)を命じた2日後、やっと朝倉の軍が到着する。


「ちっ、到着したか」


 敵の陣が整う前に攻撃をしかけ、それなりに戦果(せんか)は上がったが、朝倉軍は小谷山へ登ってしまった。


「これからは持久戦(じきゅうせん)か」


 信長にとって落城(らくじょう)に時間のかかる攻城戦(こうじょうせん)は気が進まなかったが、やらざるを得なければやる。


「しかし、横山からの補給(ほきゅう)に時間がかかるな」


 せっかく虎御前山の砦が完成したが、ここは最前線だ。横山城から食料を持ってこなければ戦えない。

 しかしそこまでの道のりが悪路だった。

 この時代に舗装(ほそう)された道などほぼない。しかも横山城から虎御前山までは地形的に敵から攻められやすい構造だった。

 進軍途中に山の上から鉄砲でねらわれやすいのだ。


 安定した供給には心もとない。



「城を落とすためにはまず補給路の確保じゃ」


 信長は2つの山城(やましろ)の間に、さらに砦を2つ新造(しんぞう)する。

 そして虎御前山から新砦がある宮部(みやべ)村までは特に悪路(あくろ)だったので、特別処理を施(ほどこ)す。


「道を全部砦にしてしまえ」

「は? どのような‥」


 信長の思い付きは家臣にも理解されにくかった。


「道全体に盛(も)り土(ど)をして、敵城側には土壁(つちかべ)を築くのだ。こちら側に来ぬよう堀もいるな」


 要(よう)は万里(ばんり)の長城(ちょうじょう)のショートバージョンだ。

 道が整(ととの)うことで兵站(へいたん)が整う。


 城塞化した道は5キロほどあったようです。古代ギリシアでもテミストクレスが似たようなの作っていました。

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