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そして覇者になる ~織田信長の物語~  作者: ノーネアユミ
第四章 元亀争乱編

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7 志賀の陣

 

 九月二十五日、信長は比叡山の麓(ふもと)を取り囲(かこ)む。


 山にくわしい者に案内させ、山の谷間に分布(ぶんぷ)する寺をいくつか焼いた。

 しかしそれでも敵の主力は残ったまま。


「このまま時を無駄(むだ)にするのはもったいない。一戦して決着をつけよう」


 十月二十日、信長がしびれを切らして敵に伝えるも返事はもらえない。

 当たり前だ。浅井朝倉は信長との直接対決だけはさけるつもりだったのだから。



 この時点で信長軍はまだ負けていない。


 摂津(せっつ)は三好三人衆の軍プラス本願寺の兵がいるが、野田・福島に築いた城が敵を押しとどめている。

 近江は本願寺の門徒が一揆をしかけたが、まともな将がいなければ各個(かっこ)撃破(げきは)すればよい。 

 浅井から調(ちょうりゃく)略した多賀(たが)氏が穴太(あのう)砦を死守(ししゅ)したことで、信長の手に石垣の名人穴太衆が入っている。


 問題はこう着状態が続くこと。そして信長は腰をすえて戦う、が苦手だった。




 そしてその状態を破(やぶ)ったのは敵軍の方であった。


 伊勢(いせ)の長島で一向(いっこう)一揆(いっき)が起きる。

 一揆勢は信長の弟が治める居城(きょじょう)を攻めたのだ。


「救援(きゅうえん)じゃ」


 一揆勢に包囲(ほうい)され援軍もなしでは城は持たない。

 そして長島の一揆と浅井が連携(れんけい)したら‥岐阜への道を寸断(すんだん)され、包囲されるのは織田軍になってしまう。

 戦いは、包囲された方が負けるのだ。


「うううう、仕方がない。和睦(わぼく)じゃ!」


 信長は苦渋(くじゅう)の決断をする。



 松永久秀には三好三人衆との和睦を命じた。

 将軍義昭には本願寺との交渉を頼む。


 丹羽五郎左と木下藤吉郎も信長の援軍に駆(か)けつけた。浅井軍の主力は比叡山にこもっているので、大きな戦闘はないと判断したようだ。


「五郎左、急ぎ勢田の川に橋をかけよ」


 きちんとした橋をかけるのは時間がかかりすぎる。丹羽五郎左が作らせたのは船橋(せんきょう)。

 船を何艘(なんそう)も川に並べ、丈夫(じょうぶ)な鉄の綱(つな)で結びつなげる。

 舟をある程度固定してから板を乗せて行けば臨時(りんじ)の橋が完成だ。



 だがそれでも数日はかかってしまった。

 信長が助けに向かう前に、弟の彦七郎(ひこしちろう)信興(のぶおき)は腹を切ってしまう。


「く、彦七郎よ、どうしてもっと待てなかった!」




 そして長島が敵の今、伊勢がピンチになる。

 美濃との交通を遮断(しゃだん)されては敵中に孤立(こりつ)してしまう。

 そして伊勢の大河内城には、信長の息子茶筅丸(ちゃせんまる)がいた。


 信長は急いで六角承禎(じょうてい)と和睦する。

 せめて近江から伊勢に向かうルートを確保しなければならない。


 本願寺のトップ顕如(けんにょ)とは結構すぐ和睦が成立する。しかしその本願寺に三好三人衆との間を仲介(ちゅうかい)してもらう頃には十一月も終わろうとしていた。



 これでようやく敵が比叡山だけになった。だが季節は冬、雪も降り出す。



 琵琶湖の要所である堅田(かただ)の調略に成功したのだが、早々と察知(さっち)した敵軍に奪(うば)い返されてしまう。


 比叡山立てこもりは志賀(しが)の陣と呼ばれた。

 堅田での戦いは志賀の陣唯一(ゆいいつ)のまともな戦闘である。その戦いに負けた。


 信長が、折れる。



「もう師走(しわす)か。このまま兵に年を越(こ)させるのは無謀(むぼう)じゃな」


 連戦に疲弊(ひへい)した兵だが、それでも正月を岐阜城で過ごすことを望みに頑張っているのだ。


 

 将軍義昭に頭を下げ、浅井朝倉との仲介を頼む。


「うむ、それが良い。余(よ)もそろそろ頃合(ころあ)いじゃと思っておった」


 義昭公に坂本まで来てもらい、織田家と朝倉家の間で交渉が始まった。

 


 和睦に賛同しなかったのは延暦寺(えんりゃくじ)だ。後先考えず戦に参加したことを今頃(いまごろ)後悔(こうかい)しているのだろう。

 だまらせるため朝廷にも力を借りた。


 この時に信長は「天下は朝倉殿持ち給(たま)え 我は二度と望みなし」と誓紙(せいし)を朝倉に送っている。




 十二月十七日、信長は岐阜城に帰った。



 信長はあきらめたのだろうか? いやそれはない。

 この時の撤退(てったい)はあくまで疲弊した軍を立て直すためであった。



 信長には弟がたくさんいます。大河ドラマでは1人しかいないような描かれ方でちょっとイラっとしてしまいました。

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