理性ある熊
開始のゴングから殆んど間髪入れずに鳴らされた終了のゴング。
試合時間は恐らく10秒ほどであろう。
余所見をしている間に終わっていたらしく、高柳が慌てて蹴速に問う。
「ちょ、向こうの別嬪さん眺めとる間に終わってしもたがな…よ~よ~蹴速、お前見てたんやろ?どないなったんな?」
そう言って蹴速の肩に手を置いた時に気付いた…
さして暑くも無いのに、彼のTシャツが肌にピッタリと貼り付いている事に。
「お、お前…大丈夫か?めっちゃ汗ダクなっとるけど…熱でもあるんちゃうやろな…?」
「へ、へへ…ある意味、熱があるんかも知れん…血は滾って熱いのに、寒気も感じてんだから…よ…」
「お前がそない言うんなら奴は相当なもんなんやろな。で…この短時間の間に何があったんか俺にも聞かせてくれるか?なんせ視線戻したら片方は白目剥いて倒れとるわ、泡吹いとるわで訳がわからん…」
「ったく…しょうがねぇな兄やんは!アレクセイにも言われたろっ?ちゃんと観とけってよ!!」
「あれはお前に言うたんやろが。闘うのはお前!俺は観る人…ってな!ヒッヒッヒ♪」
「なぁにがヒッヒッヒ♪だよ…ったく。観る人を名乗っといて観てないんじゃ世話無いぜ…まぁええわ、何があったか話したるよ。今回だけ、しゃあなしやで!?」
「あざぁす♪」
蹴速の話によると試合展開はこうである…
ゴングと同時に勝負に出たのは若いユーリの方だった。
体格差も気にせず、拳を振り上げて正面から突っ込んだという。
勇敢と言うか…
向こう見ずと言うか…
対するウラジミールは、防御すらせずそれを額で受けるとそのまま正面からユーリを抱き締める。
そして〝フンヌッ!〟と気を吐き出すと、バカげた太さを誇るその両腕へと一気に力を込めた。
そしてユーリがその抱擁から解放された時、2度目のゴングが打ち鳴らされていたらしい。
「て事は…決まり手はベアハッグ!?」
高柳がすっとんきょうな声をあげた。
「まぁ…そういう事になるかなぁ…」
「いやいやいやいや!そんなマンガじゃあるまいしよっ!!今時プロレスでもそんな技使う奴ぁおらへんでっ!?」
「んな事を俺に言われてもよ…現実は現実なんだし、あの体格差なら納得出来ん事も無いさ。
実際、一般人のガタイでプロレスラーにベアハッグされたらひとたまりも無いだろうからな。
ま、ユーリって奴の敗因は正面から行ってしまった事だな…時間をかけてウラジミールを疲れさせ、動きの鈍ったところで仕掛けるってのが唯一の勝機だったのに…
ま、それだけあの〝知性ある熊〟の腕力はエゲつないって事なんやろ~さ♪」
「ハハハ…知性ある熊…か。上手い事言うやんけ♪」
蹴速の〝解説〟が終わった頃、ようやくユーリの意識が戻る。
その間ウラジミールは、一切ポーズを取る様な事も無く、頼り無く立つお手製のコーナーに凭れながらドクターチェックの様子を静かに眺めていた。
その静か過ぎる佇まいは、逆に空恐ろしさすら感じさせる。
結局ユーリは、意識が戻ったとは言え立ち上がる事が出来ず、担架での退場を余儀なくされた。
それを見送ったウラジミールが、深々と一礼をしてリングを後にする。
たちまち観客達が群がり、彼に握手を求めたり身体に触れたりと、ちょっとしたお祭り騒ぎとなった。どうやらこの〝儀式〟は人気選手にとっては避けて通れない物らしい。
ウラジミールは優しい笑顔を携えたまま、それら全てに応じている。
しかし…やがてウラジミールの視線が一点を見つめたままで止まった。
そしてその先に居たのは…
「ドウヤラ ウラジミール ノ ヤツ オレニ キョウミ ガ アルラシイ…」
そう言ってアレクセイがサングラスを外して笑う。
それに応える様にしてウラジミールも笑顔を浮かべた。
そしてどちらからとも無く歩み寄る…
群がっていた観客達も空気を察したのか、自然とウラジミールから離れている。
少しずつ少しずつ縮まる距離…
ミシミシとガラスが軋むような緊張感が辺りを包む。
すると…周りの者達が固唾を飲んで見守る中、意外にも2人は笑顔で握手を交わしていた。
周囲から安堵とも落胆とも取れる溜め息が漏れる。
「チェッ!ちょっと期待しちまったよ…俺」
「あぁ…俺もや。でもまぁ一応ここは試合場やし、場外乱闘にならんで良かったとも思うけどな」
蹴速と高柳の会話が、その場に居た者達の言葉を代弁していた。
そんな中、先の試合でレフリーを務めていた男が困り顔でアレクセイに駆け寄って来る。
そして何やら言葉を交わしていたが、ロシア語なので蹴速と高柳にはチンプンカンプンである。
しかし何かのトラブルである事だけはレフリーの表情から理解出来た。
「何か問題発生みたいだな…どうしたんだろ?」
「さぁな…ま、俺達にゃ関係無い事やけどな」
そんな事を言いながら様子を眺めていると、レフリーがウラジミールに何かを懇願している。
それを受け、ウラジミールが太い指でゴツいOKサインを作った。
その直後に爆ぜる様な歓声が沸き起こり、それを背にアレクセイが蹴速達の所へと戻って来る。
すかさず探りを入れる高柳…
「トラブル発生かいな?」
「ン?アア…トラブル ト イウホドノ コトデハナイガ…オレノ アイテガ ケツジョウ ニ ナッタラシクテナ…タイセンアイテ ガ カワッタ…」
「それって…もしかして…?」
「アア…アノオトコ ウラジミール ニナ」
それを聞いた蹴速は、体内で何かが〝ドクン〟と脈打つのを感じていた…




