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続く平和な日常

 再会した日に訪れたジンギスカン屋。その店を咲子と両親、それに貴也と祐子の五人は再び訪れていた。

 季節は夏へと変わろうとしている。店内ではなく、店外の席に座って五人はまっさきに人数分の生ビールを注文した。

「だからつき合っちゃえばって言ったのに」

「ぐずぐずしてるから」

 典子と祐子に口々に言われ、咲子と貴也は気まずそうに視線を交わす。


 いつの間にか咲子と貴也は両家の両親に『おつき合いしている』と、認識されるようになっていた。二人もそれを否定してはいない。たぶん、間違ってはいない。週のうち四日以上顔を合わせていて、週に一度はそれぞれの実家で食事をしているのだから。

 バイクのレバーは、ガレージの定まった位置に置かれるようになった。時々貴也はそれを持ち、咲子を連れて外出する。

 出先で周一は、六年前とは変わったあれやこれやに目を見はり、行ってみたかったけれどバイクでは入ることのできなかった場所を再び見て回ることができた。


「夏休み、島へいらっしゃいよ。どうせ泊まる場所はたくさんあるし……民宿とってもいいけど」

 結局、祐子は仕事を辞め、夫の元へと移り住むことに決めた。五十代になってから新しい場所へと移るのは、とても覚悟のいることではあるのだろうけれど、島の人たちは彼女たちが別れて暮らしていた事情も知っている。

 年に何度も訪れている場所でもあるし、全く知らない場所へ移住するよりはまだましだろう。職場でもずいぶんひきとめられたらしいのだけれど、一度決めた祐子はひかなかったようだ。


「どうせ、息子なんて育ったらお嫁さんのものになっちゃうんだから、側にいてもしかたないわよねー」

 酔った祐子は息子をにらみつける。

「……まだそういう話じゃ……」

「え? あなたうちの娘をもてあそぶつもりなの!」

 二人の母親に挟まれて、貴也は困った表情になった。


「まあまあ、たかちゃんも咲子も不真面目な気持ちじゃないだろ」

 咲子の父親である英二が二人の女性の間に割って入り、ようやく貴也は解放される。

「夏休み、いいな。貴也、島に行こうよ」

 バイクのレバーを荷物の中にしのばせるという手段で同行した周一がささやく。

「おつき合いが終わった時は終わった時だよなぁ」

 と英二は、理解があるのかないのかわからない見解を表明し、二人の母親から総攻撃をくらっている。


「そういや、これからどうするの?」

 太田美奈と会った時に、家を取り壊すという話をしていた。本当に家を取り壊すのならば、貴也は住む場所がなくなる。

「まあ当面はあの家に一人暮らしだよな。取り壊しが決まったっていうのはあの人への説明に使った口実だし。いずれ壊すことにはなってるけど、まだ先だ」

「まだ先?」

「うん。いずれ結婚するならその時に。相手の意見も取り入れて設計した方がいいだろ?」

 それまで頑張って貯金だと笑う貴也に典子が、もう一度咲子を売り込みにかかる。


「うちの娘なら今すぐでもかまわないわよ」

「そこ! そこかまうところだから!」

 今夜の母は酔いすぎだ。ビールのジョッキを遠ざけようとする咲子の手を上から押さえて、典子は耳元でささやく。

「おめでた婚でもお母さんはかまわないからね!」

 ささやいたつもりがちっともささやきになっていない。

「……お父さんはかまうんだがな」

 憮然とした表情になって、英二は典子のジョッキを取り上げると、一息に空にしてその場に戻した。


 咲子と貴也は顔を見合わせる。そして、テーブルの下でそっと手を触れ合わせた。

 周一は騒いでいる母親たちを、しかたなさそうな笑みで見回し、見えている二人にだけ手をふって姿を消す。

 こうして夜は更けていった。


 祐子は六月の末に調布を離れて、式根島へとわたった。

 届いたメールによれば、思っていたよりも島になじむのに苦労はなかったらしい。

 それほど大きな島ではなく、子どもの数は多くはないそうだ。これからが観光客の増える時期でもあり、毎日忙しく過ごしているようだった。


 貴也は調布の伊達家に一人で残り、そこから毎日新宿へと通っている。祐子に頼まれた典子は、時々調理済みの惣菜をそっと冷蔵庫へおすそわけしているらしいが、そこは咲子はいっさい関係していない。

 一人暮らし歴の長い貴也の家事処理能力は案外高かった。掃除だけは苦手らしく、母親の目から見れば許しがたい散らかりようでも、咲子の目から見ればぎりぎり許容範囲を何とか保っているというところだ。

 

 リビングだけは、咲子も掃除を手伝うことにしている。映画を見るときに散らかっていては集中できない。

 兄弟の座る位置は、いつの間にか変わっていて、ソファの咲子の左隣が貴也。周一は床の上に追いやられている。

 こんな日が続くと、咲子も貴也も思っていた。いつまでも。 


 貴也と咲子の職場には、全社共通の夏休みというものは存在しない。そこで、咲子の両親と休みを合わせて式根島を訪れることにした。

 民宿はとらず、貴也の両親の住む家にそろって二泊する事になった。

「さきちゃんはずいぶん大きくなったなあ」

 と出迎えてくれた貴也の父親の顔は、毎日海にでているためか真っ黒に日焼けしていた。


 貴也が島中を案内してくれるというので、咲子は彼について家を出た。

 両親と一緒にいると周一と話ができないという理由もある。レバーは、今回も貴也の鞄につっこまれていた。

 島中をぐるぐると歩いて回って、最終的に海岸にたどりつく。

 青い海にもうすぐ太陽の下端ががかかりそうだ。調布ではまず見られない光景に、咲子は言葉を失って海を見つめる。


「俺、そろそろ逝くことにした」

 ふいに周一が言った。

「あんまりこっちにとどまりすぎると、まじめに成仏できなくなるらしいし、思い残すこともないもんな」

 周一の目が、咲子の鎖骨の間に落ちる。完成したそれを、咲子はほぼ毎日身につけていた。

「もう行ってしまうのか?」

 ぎゅっと眉を寄せた貴也の肩を、周一は叩く動作をする。あいかわらずすり抜けてしまうのだけれど。


「大丈夫。年に一回戻ってこられる盆という素敵行事があるんだからさ。今年は一月もしないうちにまた戻ってくる」

 調布の家にも、こちらの家にも仏壇はあって、それぞれに周一の位牌は置かれている。

「この場合、俺はどっちに帰ることになるんだろうな?」

 そう言って、周一は真面目な顔になった。

「貴也を頼むよ――さきちゃん」

「全力で、とは約束できないけど」

 らしい、と笑って周一は海へと向かって歩き出す。振り向きざまに、

「仏壇には生ドラ備えといてくれよ!」

 と言い残し――夕焼けに溶けるように姿を消した。


「本当に逝ったんだろうな、今度こそ」

「案外まだそこにいたりして」

 咲子の言葉にぎょっとしたように貴也は背後を見て――肩をすくめる。

「まあ、いたらいたでいいか。いたらいたで邪魔くさいけど、いなかったら寂しいもんな」

「邪魔くさい?」

 あんまりな言いぐさに咲子は眉を寄せる。


「――こういうことするのにさ」

 ひょいとキスされて、咲子は目をぱちぱちさせる。

「油断も隙もあったもんじゃない!」

 どんと胸を叩かれて貴也はよろめく。

「ひっでぇな」

「い……いきなりだからでしょ!」

「じゃあするぞー。今からするぞー。覚悟しろっ」

 もう一度、今度はぐいと押しつけられて咲子は言葉を飲み込んだ。


「それって色気ない!」

「さきちゃんは贅沢――」

 そこで貴也の携帯電話が鳴った。

「飯に戻ってこいだってさ」

 行こうと差し出された手に、咲子は素直に自分の手を重ねる。

 たぶん彼とはこうしてずっと過ごしていくのだろう。笑いあって、手をつないで、時には喧嘩してむくれたりして。

 

 それは悪い気はしない。

 海岸から上の道へ続く階段をのぼりながら、咲子は海の方をふり返る。

 そこに周一の姿はなかった。

「ねえ、そのレバー、こっちの家に置いていったら? 仏壇の引き出しにでも。調布にもう一本置いてあるんだし」

「そうだな――そうするか」

 咲子の言葉にうなずいた彼は、彼女の手をぎゅっと握りしめた。



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