第九章 黒龍会
黒龍会について調べるなら、表から当たっても何も出ない。
それはカイが一番よく知っていた。
黒龍会は運送、金融、酒、賭場、建設まで手広く商売をしている。表向きの帳簿だけを見れば、魔都でも有数の大商会だ。だが裏では密輸、禁制薬、武器、人身売買まで扱い、金になるものなら大抵は手を出す。しかも、表と裏は綺麗に分かれているわけではない。普通の商人が知らないうちに黒龍会の荷を運び、役人が賄賂を受け取り、倉庫番が一晩だけ荷札を付け替える。その程度の小さな手伝いまで含めれば、魔都のどこまでが黒龍会と無関係なのか、カイにも分からなかった。
だからこそ、調べる場所は黒龍会そのものではない。周辺だ。
「西の倉庫街で、ここ三か月だけ荷車が倍になってる」
リンが言った。
「何運んでる?」
「表向きは鉱石と農具。夜の便だけ妙に護衛が多い」
「出入りしてる商会は?」
「三つ。二つは黒龍会の下。残り一つは人間界と取引してる商会だな」
酔月楼の奥にある小部屋で、リンが集めてきた情報を卓の上へ並べていた。紙には商会の名前、倉庫の位置、荷車の台数、見かけた護衛の人数まで書かれている。
カイは一枚を持ち上げた。
「仕事早いな」
「誰かさんが黒龍会に喧嘩売ったせいで、こっちも必死なんだよ」
「売ってねえ。向こうが勝手に襲ってきた」
「荷物持って逃げた時点で十分だろ」
正面に座っていたエリアスが眉を寄せる。
「そもそも、お前たちは何度も黒龍会の仕事を受けていたのだろう」
「受けてたな」
「危険な組織だと知りながら?」
「危険じゃない組織が裏の仕事に金出すと思うか?」
「開き直るな」
「お前、最近そればっかだな」
扉が開き、メイランが酒瓶と杯を持って入ってきた。
「喧嘩するなら外でやってね。壁壊したら二人分請求するから」
「俺関係なくない?」
カイが言う。
「同じ顔だからまとめて請求するわ」
「理不尽だろ」
エリアスが真顔で言う。
「真面目に答えんなよ」
メイランは卓へ酒を置き、リンの隣へ座った。
「私の方も少し分かったわよ。最近、黒龍会の上の人間が酔月楼に来なくなった」
カイが顔を上げる。
「それが情報?」
「大事よ。来なくなった代わりに、下の連中がよく来るようになったの。上が忙しい時って、だいたい大きな商売が動いてる時でしょう?」
リンが頷く。
「戦争前の仕込みか」
「多分ね」
メイランは杯へ酒を注いだ。
「薬屋も穀物商も、黒龍会が買い付けを増やしてる。武器だけじゃないわ。保存食、薬、布、馬、荷車。国境へ人を運ぶ業者にも声をかけてるみたい」
エリアスが聞く。
「軍へ売るためか」
「軍だけとは限らないわね」
メイランは細い指で杯の縁をなぞった。
「戦争になれば逃げる人も増えるでしょう。国境を越えたい人、家族を探したい人、荷物だけでも逃がしたい人。正規の道が閉じれば、裏道の値段が上がる」
「密航か」
「そう。もっと酷くなれば、人そのものにも値段がつく」
カイは何も言わなかった。
黒龍会ならやる。それを知っているからこそ、腹が立った。
「ガロンは戦争になると思ってるのか」
リンが聞く。
「思ってるというより、なった時の準備をしてるんじゃない?」
メイランが答えた。
「どっちでも儲かるように?」
「そういう人でしょう」
エリアスがカイを見る。
「ガロンとは、どんな男だ」
「金が好き」
「それだけか」
「それだけだから面倒なんだよ」
カイは卓へ肘をついた。
ガロンには魔族を救いたいという思想も、人間を滅ぼしたいという恨みもない。魔国への忠誠もなければ、神への信仰もない。敵味方という考え方すら、商売の前では大した意味を持たない。売れるなら売る。高く売れるなら、もっと売る。ただそれだけだった。
「黒龍会の本拠に入る」
カイが言った。
リンが顔をしかめる。
「やっぱそうなる?」
「帳簿を見る。一番手っ取り早い」
「見せてくださいって言うのか?」
「言ったら見せてくれんの?」
「殺されると思う」
「じゃあ勝手に見る」
エリアスがすぐに口を挟んだ。
「犯罪だ」
カイが見る。
「今さら?」
「窃盗は窃盗だ」
「じゃあ来なくていいぞ」
「行く」
「来るのかよ」
「教会との繋がりを確認する必要がある」
「犯罪は?」
「……必要な調査だ」
リンが笑った。
「だんだんこっち側に染まってきたな」
「違う」
否定する声だけは早かった。
黒龍会の本拠は、魔都の中央よりやや奥にある。
断崖の中腹へ食い込むように建てられた巨大な建物で、下層には表向きの商会事務所や倉庫が並び、上へ行くほど黒龍会の内部施設になる。正面から入るには当然、許可が必要だった。カイは何度か仕事で下層まで入ったことがある。上へ行ったことはない。
「警備が増えてる」
夜になり、向かいの建物の屋根から本拠を見張っていたリンが呟いた。
「いつもの倍くらいいるな」
カイも見る。
「俺たちのせい?」
「半分くらいは」
「残り半分は?」
「知らん」
エリアスが黒い外套の下から建物を見ている。
「正面は無理だな」
「当たり前だろ」
「裏は?」
リンが指を差す。
「あっち。荷物用の昇降機がある。夜中でも使ってる」
「上まで?」
「三階まで。そこから先は階段」
カイはしばらく考えた。
「リン、下で騒ぎ起こせる?」
「俺を何だと思ってる?」
「騒ぎ起こすの得意な奴」
「正解」
エリアスが嫌そうな顔をした。
「何をするつもりだ」
「知るな。お前が知ると止めるから」
「犯罪なら止める」
「じゃあ絶対言わねえ」
リンが楽しそうに笑った。
その夜、黒龍会の表倉庫で荷崩れが起きた。積み上げられていた木箱が十数個まとめて倒れ、中身の酒瓶が割れた。そこへなぜか火のついた布が転がり込み、倉庫番と警備兵が一斉に騒ぎ始めた。もちろん偶然ではない。
「火は広げてないよな?」
カイが聞く。
「そこまで馬鹿じゃねえよ」
リンが答える。
「酒だけ?」
「半分水入ってるやつ選んだ」
「偉い」
「褒めるな」
エリアスが言った。
三人は騒ぎに紛れて荷物用の昇降機へ乗り込んだ。三階で降り、リンはそこで別れた。
「俺は下の警備引っ張る。帳簿見つけたら長居すんなよ」
「分かってる」
「特にそっち」
リンがエリアスを見る。
「真面目に全部読もうとするなよ」
「必要な箇所だけ確認する」
「絶対全部読む顔してる」
カイはエリアスの肩を押した。
「行くぞ」
「触るな」
二人は廊下を進んだ。
黒龍会の内部は、外から見るより静かだった。赤い魔導灯が一定の間隔で壁に埋め込まれ、床には厚い絨毯が敷かれている。賭場や酒場のような派手さはない。その代わり、いたるところに人の気配がある。カイは何度か足を止め、巡回する男たちをやり過ごした。
「慣れているな」
エリアスが小声で言う。
「何が」
「侵入だ」
「褒めんな」
「褒めていない」
階段を二つ上がった先に、帳簿を管理している部屋があることは事前に聞いていた。問題は扉だった。魔術錠が三重に掛かっている。
カイが顔をしかめる。
「聞いてねえ」
「退け」
エリアスが前へ出た。
「開けられんの?」
「構造は違うが、魔力の流れは分かる」
「教会って泥棒の訓練もするんだな」
「封印解除だ」
「同じだろ」
「違う」
エリアスが扉へ手を当て、魔力を流した。薄い光が走る。一つ。二つ。最後の錠が外れる。
「便利だな」
「二度と言うな」
部屋へ入ると、壁一面に棚があった。紙の束。木札。取引記録。表の帳簿ではない。顧客の名前を暗号化したものもあれば、輸送経路だけを書いたものもある。カイは棚を順番に見ていった。
「武器」
エリアスが言う。
一冊の帳簿を開いている。日付。数量。受取先。人間界から魔界へ運ばれた剣や弩、魔術具の記録が並んでいた。
カイも覗き込む。
「これ、前に見たやつだな」
「何が」
「中継印」
以前、見つけたものと同じだった。帳簿を遡る。三か月前から急激に量が増えている。一か月前には、その倍。さらに最近は、毎週のように大量の武器が国境へ流れていた。
「売り先は魔軍だけではないな」
エリアスが言う。
「自警団、商会、傭兵……こっちは黒龍会の別組織だ」
「人間側の仕入れ先は」
カイがページをめくる。
名前が出てこない。符号ばかりだ。
「こっちじゃねえ」
別の帳簿を取る。
「金の方見る」
黒龍会は嘘をつく。だが、金額までは嘘をつかない。あとで誰からいくら取るのか分からなくなるからだ。取引相手を偽名で書いていても、内部用の帳簿には必ず照合できる印が残る。
カイは何冊かを開き、数字を追った。
「これだ」
エリアスが近づく。
人間界側からの入金記録。教会の救護組織を示す流通印。前に酔月楼で見たものと同じだ。
その隣に、短い名前が書かれていた。
バルテル。
エリアスの指が止まった。
「……司教の名前だ」
「同じ名前の別人とか?」
「可能性はある」
「言うと思った」
だが、声に先ほどまでの強さがなかった。カイはさらにページをめくった。入金だけではない。黒龍会から人間界側へ支払われた記録もある。武器。護衛。輸送。偽造通行証。いくつもの項目の中に、意味の分からない名前があった。
「殉教者の灰」
カイが読む。
「何だこれ」
エリアスも見る。
「知らない」
「教会用語じゃねえの?」
「少なくとも、私は聞いたことがない」
数量が異常だった。一箱や二箱ではない。何十箱。時には荷車数台分。何度も国境近くへ運ばれている。中身の欄は空白。受取先も符号だけだった。
「薬か?」
「この量ならあり得る」
エリアスが言う。
「でも名前が物騒すぎるだろ」
「教会にそのような正式名称の物資はない」
「じゃあ暗号か」
その時、廊下の向こうで足音が止まった。カイは顔を上げた。もう逃げるには遅い。扉が開いた。
黒い服。青みがかった黒髪。額の両側から後ろへ伸びる短い角。片方は先端が欠けている。ジンだった。
「……やっぱりお前か」
カイが言う。
ジンは部屋の中を見た。
帳簿を持つカイ。その横にいるエリアス。表情はほとんど変わらなかった。
「戻せ」
「嫌だ」
「戻せ」
同じ言葉を繰り返す。
カイは帳簿を閉じた。
「この前の荷、何だったか知ってた?」
「知らん」
「本当に?」
「俺は運ばせろと言われただけだ」
「誰に」
「答えると思うか」
エリアスが剣へ手をかける。
ジンの視線が動いた。
「教会の男か」
「エリアスだ」
「名前は聞いてない」
ジンは腰の短刀を抜いた。
「カイ。帳簿を置いて出ろ」
「見逃してくれんの?」
「今なら」
「随分優しいな」
「ガオに借りがある」
カイの表情がわずかに変わった。
「ならもう一個貸せよ」
「断る」
ジンが動いた。
速い。踏み込みと同時に短刀がカイの喉元へ来る。カイは身を沈めて避け、そのまま卓を蹴った。帳簿が床へ散る。エリアスが剣を抜く。金属音が響いた。
「殺すな!」
カイが叫ぶ。
「お前が言うのか!」
エリアスがジンの短刀を受け流す。
「知ってる奴なんだよ!」
「先に言え!」
ジンは二人を相手にしても、ほとんど動きを乱さなかった。エリアスの剣を避け、カイの蹴りを腕で受ける。
反撃。カイの頬を短刀の背が掠めた。
「刃じゃねえのかよ」
カイが距離を取る。
「出ていけ」
「やっぱ優しいじゃん」
「次は切る」
嘘ではなかった。今度の短刀は真正面からカイの肩を狙った。エリアスが割り込む。刃がぶつかる。その隙にカイは床へ落ちた帳簿を一冊拾い上げた。
「これ持ってく!」
「一冊丸ごとは無理だ!」
「どこ!」
「送金記録と、その灰だ!」
エリアスが叫びながらジンを押し返す。
カイは必要なページを乱暴に破った。
「お前、本当に犯罪者だな!」
「今それ言う!?」
廊下から複数の足音が近づいてくる。リンの騒ぎが持たなくなったらしい。ジンが一瞬、そちらへ視線を向けた。カイはその隙にエリアスの腕を掴んだ。
「逃げるぞ!」
「まだ――」
「読むなって言われただろ!」
二人は窓へ走った。
「カイ」
背後からジンの声が飛んだ。
振り返る。
ジンは追ってこない。
「次はない」
カイは笑った。
「その時考える」
窓を蹴り開けた。
下には細い渡り廊下がある。二人は飛び降り、そのまま隣の建物へ走った。黒龍会の本拠からどうにか離れ、下層の路地へ入り込んだ時には、エリアスもカイも息を切らしていた。
「お前……あれを知り合いと言うのか」
エリアスが壁へ手をつく。
「仕事で何回か会ってる」
「殺されかけたぞ」
「殺してはこなかっただろ」
「十分危険だった」
「裏の仕事してる奴なんてあんなもんだ」
「基準がおかしい」
リンが少し遅れて路地へ入ってきた。
「生きてる?」
「見りゃ分かるだろ」
「帳簿は?」
カイは懐から紙を出した。
「一部だけ」
「十分だ。早く帰るぞ」
酔月楼へ戻ると、ガオが待っていた。カイを見るなり、眉間に皺が寄る。
「何をした」
「何も」
「顔に傷がある」
「転んだ」
「嘘つけ」
メイランが奥から顔を出した。
「壁が短刀持ってたの?」
「そうそう今日は変な壁だった」
「あとで話聞くからね」
カイは逃げるように卓へ座り、破り取った紙を広げた。エリアスも隣へ座る。送金記録。教会の印。バルテルの名前。そして、殉教者の灰。
リンが腕を組んだ。
「これだけありゃ、もう黒龍会が人間界と武器取引してんのは確定だな」
「教会側の関与までは確定ではない」
エリアスが言う。
カイが見る。
「まだ言う?」
「バルテルという名前が書かれているだけだ。本人である証拠はない」
「まあ、それはそうだな」
カイが素直に頷くと、エリアスが逆に怪訝な顔をした。
「何だよ」
「いや」
「俺が何でも決めつけると思ってんの?」
「少し」
「失礼だな」
その時、店の入口が勢いよく開いた。客の一人が転がり込むように入ってくる。息を切らしていた。
「メイラン!」
店の空気が変わった。
メイランがカウンターから出る。
「どうしたの」
「国境だ」
男は肩で息をしながら言った。
「人間界側の集落が襲われた。魔族の集団らしい」
エリアスが立ち上がる。
カイも顔を上げた。
「どこだ」
「王国側。国境から少し入った村だ。かなりの人数が死んでるって」
リンの表情から笑みが消えた。
「誰がやった」
「分からん。でも生き残った奴が見たらしい。角のある連中が、大勢で村を襲ったって」
沈黙が落ちた。数時間前まで、二人は帳簿の中で人間と魔族の間を行き来する武器を見ていた。その紙の上では、戦争はまだ金額と荷物の数でしかなかった。
だが今、国境で人が死んだ。カイは卓の上に残された一枚へ目を落とした。
殉教者の灰。
その文字だけが、妙に目についた。




