7-15
次の日。
ヘリオスはレーシュを連れて、セレーネの家に向かった。
手慣れたようにヘリオスが呼び鈴を鳴らすと、ドアから姿を現したのは、セレーネだった。
「あ、ヘリオスさん」
「おはよ。連れて来たぞ」
「どうも、セレーネさん。先日はごめんなさいね」
「いいえ、私気にしてないです。本当に来てくれて嬉しいです。中にどうぞ」
柔らかい笑顔でセレーネはレーシュに向けてそう言う。
中に招き入れられて、リビングに待っていたのは、イェソドだった。
「いーちゃん。本当に来てくれました!」
「……はいはい、そうだね、来てくれたね。いらっしゃいませ、えーと……」
「レーシュよ」
「あぁ、そうそう。レーシュさん。どうぞ、座ってください。お姉ちゃん、お茶出して」
「え!?」
「いや、驚かれても、二人の好み知ってるのお姉ちゃんだけだよ?」
イェソドがそう言うと、そうですね、と納得してセレーネはキッチンに立った。
その間にイェソドが自己紹介する。
「妹のイェソドです。その、先日はすいませんでした。頭に血が上ってたので」
「改めまして、レーシュよ。あの件に関しては、一方的にあたしが悪かったの、あなたにあれぐらい言われても仕方ないわね。……でも、少し荒っぽい口調は控えた方が女性らしくなるわよ」
「……性格上無理ですね。だからあたし、お姉ちゃんとは真逆なんで。お姉ちゃんよりしっかりしないと、って思っちゃうので」
そうこう言っている間に、セレーネは二人分の珈琲を持って来た。
「どうぞ」
「ありがとう」
「ありがと」
二人は同時に礼を言って受け取る。
それを見ながらイェソドはセレーネに言った。
「お姉ちゃん、あたしの分は?」
「ああ! いーちゃんの分を忘れていました! すぐ入れます!」
「……あぁ、うん。お構いなく」
やり取りを見ながら、レーシュは少し苦笑した。
「すみません。姉は抜けてるので」
「いいえ。ヘリオスからも聞いてるから、別に気にする事ないわ」
それを見ながら、ヘリオスは二人が友好的に会話しているのに内心驚いていた。
これが同性だから故出来る事なのだろうか、と。
正直、女心はヘリオスにはあまり理解出来ないのが本音である。
「いーちゃん、ごめんなさい。お待たせしました」
「ありがと、お姉ちゃん」
イェソドに温かいお茶を差し出して、それを受け取ってもらってから、イェソドの隣に座る。
ヘリオスと対面のセレーネとレーシュと対面のイェソドというダイニングテーブルの構図である。
部屋の内装が白が基調なため、窓から差し込む陽の光が柔らかく部屋を包んでいる。
ヘリオスもレーシュも、この空間に居づらいとは全く思わなかった。
むしろ、セレーネの存在が、柔らかい空間を自然にさせているような気がした。
「お姉ちゃん、あたしの隣で内心緊張するのやめてくれる?」
「えっ!? し、し、してませんよ!」
「……いや、してるでしょ。全く、特に意識しない時は緊張しないのにどうして意識するの。顔見知りでしょ?」
「ですけど……」
「……レーシュ、気にするな。ここの姉妹はいつもこうだ」
「……正直、お姉さんより妹さんのほうが強いって……。面白いといえば面白いけど」
向かいで二人のやりとりを見ていた二人は、そんな会話をした。
こんなことをしていても、お互い仲は良い。
それはレーシュも実感がある。
「いい姉妹ね」
「はい?」
不思議そうに二人はレーシュが言った言葉に首を傾げた。
「セレーネさんもイェソドさんも、二人ともいい姉妹だと思うわ。何でも言い合えて、でもお互いが大切に思ってるんだもの。素敵な姉妹だと思う。まぁ、あたしは一人っ子だから、そんなやり取りもした事がないから。少し羨ましい」
「レーシュさん、一人っ子なんですか?」
「ええ。姉も妹も兄も弟もいた事がないわ。だから、二人を見てるととても羨ましいと思える」
そう言いながら、レーシュの表情はどこか綻んでいた。
そんな表情を見たのが初めてだったセレーネとイェソドは少し驚いたが、イェソドに関して言えば、もうレーシュに対しての敵対心はなくなった。
というより、姉の友達になってくれるという珍しい人だ、せっかく姉の友達になってくれると言うなら、受け入れるのが当然だろうと思ったからだった。
「お姉ちゃんの友達は大変ですよ?」
「セレーネさんの?」
「はい。あたしでも毎日大変です。……何せ、こんなですから」
「いーちゃん、私はですね、別に誰かに迷惑をかけようとか思っているわけではないんですよ?」
「どうせ『自分はドジだから』で済ませるんでしょ? んもう、お姉ちゃんその考え方辞めなよ。そしたら少しその性格変わると思うんだけどな」
「簡単に出来れば私すぐにでもやると思います」
その発言に、場の全員が苦笑を浮かべた。
確かにその考え方を変えてしまえば、セレーネも少しは変わるのだろうが、恐らく一生かかっても無理なんじゃないかと思ったからだった。
ふと、セレーネが時計を見て、言った。
「いーちゃん、私少し出かけてきますね」
「……お客さんいるのに? お姉ちゃんのお客さんだよ?」
「すぐ戻りますよ」
「えーと、何しに出かけるの?」
「お母さんに買い物を頼まれていたのを忘れていたので」
「……あぁ、そういや言ってたな。あたし行くよ?」
「いいえ。私が行きます。少し席を外してすみません。すぐ戻りますね」
「俺も一緒に行こうか? 荷物持ちぐらいは出来る」
「いいえ、平気です。ほんの少しだけですから。行ってきますね」
「ちょっとは空気というものを読んで……って、まぁ何言っても無駄か。じゃあ、うん、いってらっしゃい。お姉ちゃん、絶対寄り道して帰ってきたら駄目だからね。お姉ちゃんのお客さんがいるんだからね。それは忘れちゃ駄目だよ」
「わかってますよ。行ってきます」
そう言って、セレーネは席を外した。
「……急に思い出すところがマイペースというか、なんというか」
頭を抱えてイェソドが呟く。
けれど、ヘリオスとしては、チャンスだと感じた。
「すみません。お姉ちゃん、たまにあるんです。自分のお客さんなのに、ほったらかすこと」
「いいえ、別に気にしてないわ。それに、ヘリオスとしてはとてもいいチャンスなんじゃないかしら」
レーシュが言うと、イェソドは不思議そうに首を傾げて、ヘリオスはまさか心の中を読まれていたのかとレーシュを驚いた表情で見た。
「どうせなら、相談してみたら? 妹さんにも。多分、あたしよりも的確なアドバイスぐらいは貰えそうだし」
「相談ですか?」
不思議そうに聞き返すイェソドに、ヘリオスは相談することに決めた。
「……お前の姉と――セレーネと、俺は結婚したいと思ってる」
そう言うと、驚いた表情で、イェソドは絶句した。
しばらく沈黙が続いて、イェソドはやっと口を開いた。
「あたしは別に、構わないと思います。多分、見てて本気なんだろうなぁ、ってずっと思ってたから。まぁ、付き合えばそれぐらいの考えは出てくると思うし。お姉ちゃんを愛してくれる人と結ばれるのはあたしはいいことだと思います。けど……」
「けど?」
「相手はあのお姉ちゃんですよ? ヘリオスさん。一筋縄でいくと思います?」
「だから妹に相談した」
「でしょうね」
イェソドは少し考えて、レーシュに聞いた。
「レーシュさんにももしかして、相談したとか?」
「ええ、されたわ。ただ、あたしはセレーネさんの事をあまりにも知らなさすぎるから、大したアドバイスも出来なかった。でも、このヘリオスが結婚を考えたってことは、本気よ。だって、今まで結婚してほしいって言われても断固断ってたぐらい結婚に興味がなかったのに、こんな心変わり、あたしびっくりした」
確かに、以前のヘリオスからは思いもよらなかっただろう。
それだけヘリオスとしてはセレーネを愛している、というのは理解できる。
「……まぁ、ヘリオスさんが悩んでいる理由がなんとなくわかりますけどね」
イェソドは言った。
「お姉ちゃん、結婚なんて夢の話だと思ってますから」
その言葉はストレートだった。
「……だろうな」
そう返答するしか、ヘリオスには出来なかった。
相手はあのセレーネだ。
恋も知らない、デートも知らない、なら結婚となればもっと知らないだろう。
「ヘリオスさんは、プロポーズも考えてるんですよね?」
「ああ。考えてるよ。あとは、セレーネの気持ち次第、……というか気持ちと理解次第か」
そう言うと、三人で苦笑いを浮かべる。
「……お姉ちゃん、実はどうなんだろ」
ふと、イェソドが呟く。
「一緒にいたい、とは言うけど、そのあたりは考えてるのかな」
「イェソドさんでもわからないの? セレーネさんの事」
「わかりません。お姉ちゃん、あんなだから、何考えてるかさっぱり。……でも、あの一件があってから、少しだけ変わった気がするんですよね。なんだか、支えてくれてる人を見つけたと言うか、一人の自覚がなくなった、というか。家族じゃない人で、誰か一緒にいてくれる人が本当にいて、幸せそうな顔をするようになりましたよ。〝一人じゃない〟って自覚が晴れた気がする」
イェソドが一番セレーネに近い存在だ。
姉の考えは妹でもわからないが、孤独な空気感が少し晴れた気はしている。
それは、ヘリオスと出会ってから、少しずつ変わっていった気がするという。
「お姉ちゃん、きっとヘリオスさんとずっと一緒にいたいんだと思いますよ。だから、一回勇気持って言っちゃえばいいと思います。そりゃ、お姉ちゃんも困惑するだろうし、よくわからないだろうけど、そこはあたしがフォローしなきゃだし。何より、お姉ちゃんに幸せになってほしいのは、あたしですから。だから、ヘリオスさんがそう決めてるんだったら、あたしは別に何も言いません」
はっきりと、しっかりと、イェソドはヘリオスに言った。
レーシュもヘリオスに対して口を開いた。
「ヘリオスがあの子の事を一番知ってると思うわ、あたし。それに、イェソドさんが言うように、一度言ってみればいいのよ。なんだったら、あたしもフォローするし、あなたは言うべきよ。だって、あなたとセレーネさん、昔話では〝最後には結ばれる運命〟の二人なのよ? もうあたしはあなたたちを引き離したりしないし、逆に味方よ。それに、あなたが決めたのよ、運命の人だって。そもそも、何を恐れる事があるわけ? あなた、一緒に居たいんでしょう? それにイェソドさんだってそれを望んでる。あなたたちは、一緒にいるべきよ、この場所に、国にも。だってあなたたちが引き裂かれたら、時が狂うんでしょう? なら、なおさらだと思わない?」
二人の言葉を聞いて、ヘリオスの心の靄が消えて行くようだった。
ヘリオスは決めていたのだ、セレーネと一緒にいることを。
もう離さないと誓ったのだ、悲しませない、苦しませないと。
やがて、決意したように、ヘリオスは言った。
「悩むだけ無駄なら、当たって砕ける。――絶対、セレーネを俺のモンにしてやる」
「……あなた、セレーネさんにそう言って近づいたわけ? ……普通の人に言ったらちょっと独占欲強すぎで嫌な人の発言よ、それ」
「……あぁ、確かそう言ってた気がする、最初」
ヘリオスの闘志と裏腹に、レーシュとイェソドは少し苦笑した。
そして、その時はすぐに訪れた。
「ただいま帰りました! いーちゃん、私今日は寄り道してませんよ? ……どうしたんですか、ヘリオスさん。なんか怖い表情をして」
「荷物を置いてから、座れ、セレーネ。真面目な話がある」
「……はい? わかりました。とりあえず、荷物を置いてきますね」
あくまでもマイペースにセレーネが母親に任された買い物の荷物を片づけてから、元いた席に座る。
「お話って、何でしょうか?」
三人で何の話をしていたのかも知らないセレーネは、首を傾げながらヘリオスに問いかける。
舞台は整ったのだ。
ヘリオスは勇気を出して、一呼吸置いてから、セレーネの瞳をしっかりと見て、言った。
「俺と、結婚してくれ」
「……結婚……?」
驚いたような、戸惑うような、そんな表情で、声音で、セレーネはその言葉を反復した。
「あ、あの、結婚って、その、ええと」
セレーネの頭の中は混乱状態なのは、イェソドもレーシュにも見て取れた。
「お姉ちゃん。結婚の意味はわかる?」
とりあえず、イェソドは基礎的な事を聞いてみる。
「結婚は……その、えっと、好きな人と一緒に暮らしたり、ずっと一緒にいる、ことですか?」
「……うーん、そこそこ理解してるのかな……」
ちょっとわからないな、と思いながら、イェソドが呟く。
「で、でも、私その、結婚って言われても……その、早いと言うか……。いや、そもそもそれは夢の世界でよくあるシチュエーションであって、その、私に結婚してほしいって言われる意味が、その……」
「うわぁ、わかってなかった……」
イェソドが頭を抱えた。
結婚を申し込まれる意味がわからない、と言われてしまえば、さすがにヘリオスも堪える。
そこで口を開いたのは、レーシュだ。
「セレーネさん」
「はい?」
「あなたは、どうなの? ヘリオスと一緒に居たい?」
「それは、一緒に居たいです」
「これからもずっと? 一生ヘリオスと暮らしていくの。その意思はある?」
「一生、ヘリオスさんと暮らすんですよね? 私、負担にならないでしょうか?」
「先の事は今は考えなくていいの。今考えて欲しいのは、あなたがこの先ヘリオスに対して負担になるか、じゃなくて、あなたがヘリオスと一緒に人生を歩んでいきたいか、それを考えて欲しいの」
「人生……」
セレーネは少し考える。
急かすことなく、三人はセレーネの考えが固まるまで、黙っている。
確かに、急な話で困惑するのもわかる。
ヘリオス自身も、二人の前でセレーネにプロポーズするなんて予定外だった。
ヘリオスは、これでもし結婚を断られたら、どうしようかと今不安でしかない。
けれど、けじめはつけたかったのだ。
惚れてしまったセレーネに、せめて自分の気持ちだけは伝えたいと思って。
少しして、セレーネはヘリオスを見た。
その瞳は、少し困惑と不安に揺れていて。
「私、ヘリオスさんと一緒の人生を歩むんです、よね?」
「俺と結婚する、という答えを出すなら、そうなる」
やがて、セレーネはしっかりとした瞳で、ヘリオスをしっかりと見た。
そこには困惑も不安もなく。
「私」
セレーネも、それがたった一つの希望だと思ったから。
「ヘリオスさんと、ずっとずっと、一緒にいたいです。一緒の人生を歩みたいです。だから、えっと……私を、ヘリオスさんのモノに、してください」
しっかりとした口調で告げた言葉は、しっかりとヘリオスに届いた。
「――一生かけて、幸せにしてやる。絶対離したりしない。俺とお前は、やっぱり運命で繋がってた。そうだろ? 〝太陽〟と〝月〟は離れちゃいけないんだから」
そう言ってから、セレーネの手を握って、もう一度言った。
「俺と、結婚してくれ。セレーネ」
セレーネは柔らかく笑んで、言った。
「はい」
その二人を見ながら、イェソドとレーシュは目配せをして、ほっとしたような表情を浮かべた。
そう、全ては運命で決まっていたのかもしれない。
漆黒の太陽は、純白の月を抱きしめる。
この運命はきっと、定められたものだったのだと、ヘリオスは思った。
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