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7-12

 ヘリオスはセレーネと違い、一人暮らしだ。

 マンションを借りて暮らしている。

 木目調の外観のマンションはワンルーム、自分で選んでいるので、オートロックのマンションにした。

 セレーネを連れて手慣れたようにオートロックを外して、エレベーターへ向かう。

 自分の家しか知らないセレーネは、きょろきょろと不思議そうに周囲を見回している。

 セレーネの家は一軒家で、外観が白のワントーンの二階建てのボックスタイプの家だ。

 リビングダイニングは十五畳、二階は両親の主寝室、イェソドの部屋、セレーネの部屋と分かれている。

 主寝室側にはバルコニーがあり、わずかながら敷地内に庭もある。

 なので、これまでマンションという場所に足を踏み入れた事がなかったのだ。

 ヘリオスはエレベーターに入ってから、手慣れたように八階のボタンを押す。

 上昇する間も他の住人には会わず、すんなりと八階まで辿りつく。

 エレベーターを降りて、突き当たりの部屋がヘリオスの部屋だった。

 鍵を開けて、部屋に入る。


「お、おじゃま、します」


 セレーネは少し緊張しながら、そう言って部屋へ上がる。

 スリッパを借りて、フローリングの床を歩く。

 壁紙は白、リビングに入ると家具などは黒、モノトーンで統一されており、部屋の真ん中に黒いソファが鎮座している。

 その先には二十四型のテレビ、ベッドは窓際の右端にあり、黒のシーツできっちりと統一されている。

 男性の一人暮らしにしては、かなり綺麗に片付いている。


「そこ、座れよ」


 ヘリオスはソファを指して、セレーネにそこに座るようにと言う。

 緊張でがちがちのセレーネは、「失礼します」と言ってソファに座る。

 ソファが身体を包む感覚がちょうどいい。

 ソファの前には小さなテーブルがあり、下にはカーペット。

 カーペットは白で、テーブルは黒。

 緊張しながら待っていると、ヘリオスは飲み物を入れてくれた。


「お前、珈琲嫌いだろ。たまたま家にあったから」


 差し出されたのは、インスタントの紅茶だった。


「紅茶は飲めるか?」


「あ、はい。ありがとうございます」


 もう片方には珈琲が持たれている。

 ヘリオスはソファに座っているセレーネの隣に座って、カップをテーブルの上に置いた。


「よかったら砂糖入れろよ。ミルクは残念ながら切らしてる」


「いえ、十分です。ありがとうございます」


 セレーネはシュガーポットに入っている砂糖を紅茶に入れて、別添えのスプーンで混ぜて飲む。

 珈琲よりは十分飲めるが、砂糖は多めに入れてある。

 一口、口に含むと、温かい紅茶の香りが鼻に抜ける。

 インスタントでもきっちりと手順を守って入れられているのだろう、美味しい。


「……お前さ、緊張しすぎだろ」


「……え?」


「がちがち。肩凝るぞ」


「……あ、ええと、他の人の家にお招きされる事が初めてなので……」


「あぁ……、悪い。無神経だったな」


「あ、いえ! そんな! その、私が全くお友達がいなかっただけで、ヘリオスさんは別に悪い事は言っていないと思うんですが……」


「まぁ、でもそういう奴もいるよな。友達いても他の奴の家に行った事ない奴。だから、別に俺としては偏見も何もねえよ」


 そう言って、一口珈琲のカップに口をつけてから、カップを持っていない片方の手でセレーネの頭を撫でる。

 それだけでまだ顔を赤らめるセレーネを見て、まだまだ初々しいなとヘリオスは思った。


「ヘリオスさんは、その、こうやって他の人をお家にお招きしたりすることは、よくある事なんですか?」


「俺? ねえよ。多分、お前の〝他の人〟って〝他の女〟を指してるんだろうけど、それは一度もない。だから、お前が初めてだよ。でも、今日連れ込もうとして部屋綺麗にしたんじゃねえから。俺、部屋汚いの無理なの。だから」


「綺麗好きなんですね、ヘリオスさん。意外です」


「そうか? お前の家も綺麗だろ。何回か行ってるけど、掃除行き届いてるし」


「それはお母さんです。でも、よく考えれば、私の家族も綺麗好きかもしれません。私もいーちゃんも、自分の部屋はきちんと掃除しますし」


「妹に手伝ってもらってるとかじゃなくて?」


「そ、それは……少し」


 セレーネがそう言うと、ヘリオスはその返答に笑いが止まらなかった。


「ヘリオスさん、笑い過ぎです! ……うぅ、酷いです……」


「くくっ、あぁ、やっぱかよ。想像通りで笑えた」


「そ、想像通りって……」


「なんとなくそんな気がしたんだよ。お前の性格だったら、一日じゃ片付け終わるどころの問題じゃねぇだろ」


「ひ、酷いです! いーちゃんに手伝ってもらうのはちょっとだけです。他は自分でやるんですよ! 勘違いしちゃ駄目です!」


「わかったよ、わかった。笑った俺が悪かったよ、ごめんごめん」


 怒りながら、グーを作った拳でぽかぽかとヘリオスの身体を殴っているセレーネに、ヘリオスは笑いながら詫びた。

 むぅ、と納得いかない表情でヘリオスを見ているセレーネの手は止まったが、ヘリオスは少し不思議な気分になった。

 それは、セレーネが自然にヘリオスの身体に触れた事にある。

 以前なら、多分口頭で、こんなに感情を身体で表現する事はなかっただろう。

 けれど、今のは違った。

 セレーネの感情が自然に身体を動かせたのか。

 よくはわからないが、こうして自分の感情が表せるようになっただけでも進歩なんじゃないかと思った。

 何より、他人と接するのが苦手だと言っていたから、余計だ。

 ただ、セレーネ本人は、自然に身体が動いたのか、特段気になっていないようだった。


「そういえば、ヘリオスさんはどうして一人暮らしなんですか? まさかご両親に勘当されたとか……」


 次ははっとしたように、セレーネがそんな疑問を呈す。

 突拍子もない疑問に、ため息をついて答える。


「……あのな、それはない。俺をどんな目で見てんだよ」


「でも、一人ですよ、一人! ご両親は心配されないんですか?」


「しない。俺の両親は過保護でも何でもないからな。実家に縛り付けるより、一人で生きろって言う親だから。それに、男だしな。それぐらい出来なきゃ駄目だろ」


 必ずしも、ヘリオスは仕事をしていないわけではない。

 親から仕送りを受けているわけでもない。

 実際、ヘリオスは夜、飲食店でバイトをしている。

 自分で食べていくためには、仕事は必要不可欠。

 何年も務めているし、夕食はまかないが出るので、夕食代が浮くのは助かるものだ。

 何より、勤務年数によって時給が上がっていくので、そこも魅力でヘリオスはそこで仕事をしている。

 確かに鬱陶しい女性はいたりはするが、きっちりと営業スマイルであしらうのだ。

 それで難なく職場では今まで乗り越えて来れた。

 しかし、セレーネと付き合い始めてから、そういう類の女性は少なくなったのは事実で、ヘリオスとしては安心して仕事が出来ている。

 それに、セレーネは知らないが、夕方にはセレーネと別れる日は、仕事がある日だ。

 今日も夕方にはセレーネを帰すつもりでヘリオスはいる。

 自分の家に泊まらせて、逆にイェソドに何か言われるのも困りものだからだ。

 今日も仕事が入っているからか、と言えば今日は休みを貰っている。

 だから、本来ならゆっくりセレーネと一緒にいてもいい日なのだ。

 けれど、ヘリオスはそれをしないと決めた。

 なぜ家に連れて来たのか、というのは、ヘリオスとしては〝セレーネと添い遂げる〟意思がしっかりとあるわけで、当然ながら〝結婚〟を考えている。

 ただ、それを唐突にセレーネに告げたところで、彼女が超鈍感なのはわかっている。

 添い遂げる意味も、結婚も一気に受け止められるのだろうか、と不安になった。

 そもそも、一から十まで説明しなければならない状況になるのは、目に見えている。

 だから、もう少しその機会は待とうと考えていた。


「……私」


 ふと、セレーネがぽつりと呟くように言葉を落とした。


「怖かったんです。あの日。レーシュさんとお話まではよかったんです。だけど、気づいたら時計台にいて、そこが薄暗くて。……私、暗いところが苦手なんです。昔の事、思い出しちゃうんです。〝君、使えないね〟って言われた時の事。私、そんなに皆に必要とされてないんだ、って、言われた当初は悲しくて。だから、考えて思いついたんです。こうやって、私は馬鹿を演じていたら、例えいらなくても、私自身そこに存在出来ていると思えると思ったからです。だけど、薄暗いのは、私の心とそっくりだったから、嫌いで、怖くて、飲み込まれそうで、そしたら、どんどん不安になって……。ヘリオスさんがいーちゃんと一緒に助けに来てくれた時も、レーシュさんが私一人いなくなっても何も変わらないと言っていた時、……そうなんだろうな、って納得してしまったんです。レーシュさんが言った通り、私、使えない人間ですから。でも、ヘリオスさんが私を助けてくれて、私を見捨てないで、どんな私でも一緒にいてくれる、って言ってくれた時、凄く嬉しかったんです。こんな私でも、見捨てない人がいるんだ、って」


 ヘリオスはその言葉を黙って聞いた。

 ヘリオス自身、セレーネの事は知らない事の方が多い。

 こう付き合いが長ければ大体わかってくるようなものなのに、セレーネからはそんなものは全く感じられもしなければわからない。

 確かに、イェソドはセレーネは来るもの拒まずを演じ、人の顔色を伺いながら生きている、と言っていた事を思い出す。

 今のセレーネは、ヘリオスに対して、初めて自分の事を話したのだろう。

 以前辛そうな表情をしなかった彼女が、初めて目を伏せながら、辛そうな表情をしていたのを、ヘリオスは見たからだ。

 恐らく、以前は演じていたのだろう、気丈に振る舞って、また一人になる事を恐れて。

 そんなセレーネをヘリオスは優しく抱きしめた。

 急な事で少し驚いたような表情をしたセレーネだったが、それを拒む事はしなかった。


「俺がお前にしてやれる事なら、全部してやる。だから、もっとお前の事を知りたい。だから、俺に聞かせて欲しい。お前がどういう人間なのか。何が好きか、嫌いか、たくさん知りたいんだ」


「……ヘリオス、さん?」


「俺はお前の傍に、ずっといたいから。だから、教えて欲しいんだ。お前の事。俺の事も、知ってほしい。お互いの事を知って、共有したい」


 ――本当はここで、結婚してほしいって、言いたかったんだ。


 ヘリオスは心の中でそう思ったが、やはりそれは出来ずに、セレーネを抱きしめて、セレーネの瞳を見て、キスをする事しか出来なかった。

 拒む事もなく、それを受け止めるセレーネの表情は、幾分か辛さが消えたような、そんな気がした。


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