6-3
螺旋階段を登りきると、セレーネが眼前で手首を拘束されて横たわっていた。
「お迎えが来たみたいよ、セレーネさん」
その傍から現れたのは、レーシュ。
やっぱりここだったか、とヘリオスは思った。
「お前、どういうつもりだ」
「どういうつもりって、何の事?」
「今お前がやってることだよ。口論する気はない、早くセレーネを返せ」
「断るわ」
はっきりとそう告げたレーシュ。
その言葉に、ヘリオスの表情が、さらに怒りに満ちる。
一筋縄ではいかない、それは理解している。
なのに、本人を目の前にして、どうにかセレーネを救う方法よりも、セレーネがレーシュにされている事に対しての怒りの方が本能的に増していく。
今まで見て来た女性よりも、レーシュは面倒だと、ヘリオスは再認識した。
「お前、俺はあの日言ったよな。セレーネに二度と近づくな、って」
「それは聞いたわ。覚えてる。でも、あたしはセレーネさんとお茶をしただけよ? それだけでも許せないの? 話すのも禁止、なんて聞いてないし、そもそも嫉妬深くて束縛する男なんて嫌われるわよ。……あぁ、でもあたしは嫌いじゃないかも。あなたのそういうところ、好きよ」
「うっせぇ。ほざいてろ」
「うわ、ひっどーい。セレーネさん、こんな男に好かれちゃって、あなたも大変よね。このまま付き合ってたら一生苦労するわよ」
「……っ、そんなこと、ありません……!」
初めてセレーネが口をはさむ。
ほんの少し、声音が震えているのは、過去のトラウマとヘリオスに捨てられるのではないかという、ほんの少しの疑念。
「……私は、ヘリオスさんが、酷い人だなんて、思ってません。こんな私でも、受け入れて……」
くれるんですから。
そう言葉を発すはずだったセレーネの言葉が、止まる。
なぜか、言葉が止まってしまった。
セレーネはそれに混乱した。
きっと、ヘリオスは自分を受け入れてくれるはず。
なのに、その確証がない。
疑念が、色濃くなる。
――もし、そうじゃないと言われてしまったら、私は一体、どうしたらいいんでしょう。
セレーネの心を支配する不安。
たったそれだけで、もう言葉が発せなくなった。
そんな自分が嫌で、セレーネはヘリオスの姿を見ていた瞳を伏せた。
瞬間、セレーネの耳に届いたのは、雷鳴と、屋根を激しく打つ雨音。
そういえば、外がどうなっているのか、よくわからない。
薄暗いのも、天気のせいなのだろうか。
セレーネは考えた。
しかし、その疑問は、ヘリオスの言葉でわかる事になった。
「もう一度言う。セレーネを返せ」
「嫌よ。この子よりあたしを愛してくれるなら考えてもいいけど」
「ふざけんな。お前のせいで、今とんでもないことになってんだぞ! お前のせいで、嵐が来て、この時計台が狂ってる。時計台が狂ったら世界の時間も狂うって話、ここに住んでるお前でもわかってんだろ!」
その言葉で、セレーネは理解する。
今、国が嵐に見舞われている。
だからこの雨音も、雷鳴もそれのせいなのだ、と。
「――あたしがそれを知ってて、あなたとセレーネさんを引き離していた、としたらどうする?」
ヘリオスの言葉を聞いて、悪戯っぽく笑んで、レーシュが言った。
その言葉に、ヘリオスも、隣にいたイェソドも、拘束されているセレーネも、表情を強張らせた。
レーシュは言葉を続ける。
「当たり前じゃない。ここに住んでる限り、あの話は知ってるわ。……ほんと、邪魔なのよ、この子。あたしの方があなたにふさわしい、あなたを愛してる。でも、あなたはあたしを見てくれない。だったら、国や世界がどうなろうとあたしが知ったことじゃないわ。だって、あたし、あなたと一緒にいれるだけでいいんだもの。あなたしかいらないんだから、別にどうなったっていい。関係ないもの。……まぁ、ただの昔話がほんとになるなんて、滑稽よね。〝太陽〟と〝月〟がこんなに身近にいたなんて、ほんとに昔話みたい。笑えるわ」
悪びれる様子もなく、レーシュはそう言った。
二人の名前の意味も、全てレーシュは知っていた。
「よく考えたら不思議だと思ったのよね。運命って不思議で時に残酷よね。名前の意味なんて、本人は調べないだろうけど、興味本位で調べてみたら、こんな結果だったんだもの」
セレーネはいまいち状況が把握できないまま、問いかける。
「……どうして、こんなこと、するんですか……?」
「いらないからよ、あなたが。邪魔だから、この世に」
セレーネの問いかけに、レーシュは即答した。
「どうせあなた一人いなくなったところで、あたしには何も関係ないのよ。――どうせ、あなた使えないんだし」
その言葉に、セレーネは目を見開いた。
昔、言われた言葉と同じ言葉。
明らかに様子がおかしくなったのをわかったのか、イェソドはここで初めて口を開いた。
「あの、お姉ちゃん返してもらえます? あたしの大切なお姉ちゃんなので」
「あなたのほうがしっかりしてそうなのに、この子あなたのお姉さんなの? 信じられない。あなたもコンプレックスなんじゃない? こんな使えないお姉さんと同じ血が流れているなんて」
「あたしはコンプレックスとか全く思ってないんで。お姉ちゃんはあたしの誇りです。あなたみたいな最低なババアにそんな事言われたくないし、うちの家庭の事は関係ない。これ以上お姉ちゃんにそんな口聞いたら、許さないから」
「……ババア……!? あなたのところの家庭は子供の躾もなってないわけ? 目上の人間に失礼よ」
「自己中心的なあんたよりマシだと思うけどね、あたし」
「……言わせておけば……。妹だか何だか知らないけど、しゃしゃり出て来ないで。これはあたしとヘリオスの問題なの。部外者が口はさまないで!」
「確かに、セレーネの妹の言う通りだよ。自己中女は大嫌いだ。一発殴られてぇか、クソ女!」
ヘリオスもイェソドも、レーシュの発言の数々には怒り心頭だった。
「殴ってもいいけど? それ、好きな子の前で出来る? ……あと、傷害罪で訴えるけど? あなたにそんな事出来るの?」
挑発的にレーシュがそう言うと、一歩ヘリオスが踏み出して、言った。
「訴えられようが構わねぇ。でも、お前のやってる事は全部間違ってる。てめぇのエゴで全部狂わせてるような奴は、逆に裁かれろ。お前が勝手に好きで俺に近づいて俺に婚約申し込んでんだろうが。勘違いな女は大嫌いなんだよ! お断りだ!」
そう言って、拳を振り上げて、迷いなくレーシュの顔面に拳を沈めた。
宣言通り、本当に殴ったのだ。
怒りに満ちた表情を初めて見たセレーネは、驚いたような、慄いたような表情でヘリオスを見た。
そのまま倒れたレーシュを横目に、ヘリオスはセレーネの傍に行き、手首の拘束を外してやる。
ヘリオスが買った服が薄汚れ、多分レーシュに乱暴に扱われたのだろう、少し傷がついている。
それを見て、ヘリオスは少し胸が苦しくなった。
「……怪我はしてないか?」
怖がっているようなセレーネに、なるべく優しく言葉をかける。
一瞬ヘリオスと目を合わせたセレーネだったが、すぐに目を伏せて、頷く。
「……怖かったな」
そう言って、セレーネを優しく抱きしめる。
何が不安だったのか、全て理解した今、ヘリオスはこう声をかけた。
「お前を見捨てたりしない。ずっとお前の傍に居る。……約束しただろ。お前はお前でいい。だから、自分を演じないで、素顔のお前を見せて欲しいんだ」
そんな言葉をかけられると思っていなかったセレーネは、驚いたようにヘリオスを見た。
ヘリオスの表情は、とても優しい表情で。
そんな彼の表情を見て、一筋、涙が流れた。
その涙は止まることなく、泣き顔で、セレーネは問いかけた。
「私、ヘリオスさんの傍にいて、いいんですか? 私、邪魔になりませんか?」
「ならねえよ。なるわけないだろ。俺は絶対お前を幸せにしてみせる。だからずっと、俺の傍にいろ」
泣いているセレーネを強く抱き、ヘリオスは言った。
瞬間、激しく時計台の歯車が回る音が聞こえた。
やがてそれは、規則正しい音を奏で、雷鳴も雨音も、次第に消えて行った。
セレーネを抱きしめたまま、ヘリオスは言った。
「帰るぞ、セレーネ」
「……はい」
ほっとしたような表情でセレーネがそう言って、見守っていたイェソドもほっとした表情で、心の中で祝福の言葉を呟いていた。
――よかったね、お姉ちゃん。
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