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2話【アイツを連れてきたのは俺だけど、俺は悪くねぇ!】

人影を見つけてしまっては、もう居ても立ってもいられなかった。


歩き通しで鉛のように重くなった脚に期待という名の鞭を入れ、俺はとにかく街道へ向かって全力で走った。


最初こそ「やっと助かる」という一心で全力疾走していたが、当然そんなものが長く続くはずもない。

森の中を走るだけでも体力を奪われる。

これ、多分普通に走っても30分くらいかかるやつだろ……。

無理だよ……今更そんなに全速力で走り続けられるわけないだろ…こっちは遭難してたんだぞ。

とうとう限界を迎え、そこからは息を切らせながら歩きで目的地へ向かっていく。

脇腹痛くてもう走れないです…。


さらに15分ほど進んだ頃だろうか。

恐らく上空から見えた人々のものだろう。

遠くから何人もの声が聞こえてきた。


……怒声?


距離があるため何を言っているのかまでは聞き取れないが、明らかに穏やかな様子ではない。


不安を覚えながらも人のいる方へ近づいていくと、木々の隙間から甲冑を着た人たちがガラの悪そうな連中と戦っているのが見えた。


何かの撮影……?

そんな考えが一瞬頭をよぎる。


……あ。


剣が、腹に刺さった。


血が……。


おかしい……リアルすぎる……。


あれは流石に特殊メイクなんかじゃない。


なんでこんなところで……こんなこと……。


「ごぼっ……がはっ……おぇ……」


初めてリアルに人が刺されるところを見た。

目の前のグロテスクな光景に加え、現実離れした状況への混乱、それまでの移動による疲労まで一気に押し寄せ、その場で嘔吐してしまった。


しばらく蹲ったあと、どうにか顔を上げ、改めて戦っている連中を見る。


俺が吐いている間にも戦況は進んでいたらしく、柄の悪そうな連中の数はかなり減っている。


甲冑を着た側が圧倒的に優勢だ。

このままなら、残った連中がやられるのも時間の問題だろう。


そこまで考えて、ようやく別の問題に気づいた。


……待て。

これ…今俺が見つかったら、あのガラの悪い奴らの仲間だと思われるんじゃね……?


見つかったら絶対にやばい。

さっき人を斬ってた奴らに囲まれることになる。

絶対に殺される。


一刻も早くこの場から離れなくては。

そう思い、音を立てないよう慎重に後退しながら、ゆっくりと身体の向きを変える。


ちょうど戦闘が終わったのか、背後から大きな勝鬨が上がった。


うかうかしていられない。

このまま気づかれる前に――。


そう思って進行方向へ顔を向けた瞬間、ヒュッと喉が鳴った。


声が出ない。


全身の筋肉が一瞬で強張り、まるで身体そのものが自分のものではなくなったかのように動かなくなった。


人間って怖すぎると、本当に足がすくむんだなぁ…

こんな時だというのに、妙に他人事めいた考えが頭に浮かぶ。


多分、恐怖から逃げるために脳がどうでもいいことを考えているのだろう。


額からは冷や汗が流れ続けていた。


動け。


逃げろ。


そう何度命令しても、俺の両脚は主人の言うことをまるで聞いてくれない。

その間も、奴とはバッチリ目が合ったままだ。


こいつ……俺が振り向くまで、ずっと俺のこと見てたってこと?

意地が悪すぎる。


これはもう、だめかもわからんね。


なんで?って。


目の前には、見たこともないような巨大な猪のような『何か』がいた。


『何か』としか言いようがない。


まず、明らかに大きさがおかしい。

次に、体毛の色がおかしい。

全身が何故か極彩色の毛に覆われ、巨大な牙だけでも充分ヤバそうなのに、その頭には更に角まで生えている。


こんな生き物、日本に――いや、地球に生息しててたまるかよ。


今まで思い当たる真実から必死に目を逸らしてきたが、そろそろ認めなくてはいけないようだ。

まあ、認めたところでこの状況が好転するわけではないんだが。


明らかにここは日本ではない。


いや。

多分、地球ですらない。


目の前の巨大猪は興奮しているのか、低い唸り声を上げながら何度も前脚で地面を掻いている。


冗談じゃない。


次の瞬間、巨大猪が空気を震わせるほどの咆哮を上げ、その巨体からは想像もつかない勢いでこちらへ突進してきた。


その大音声に全身がビクリと震える。

皮肉にも、その衝撃のおかげで身体の硬直が解けた。


「うわぁぁぁぁぁ!!」


動くようになった両脚で反射的に踵を返し、さっきまで戦闘していた一団の方へ全力で走り出す。


この化け物を引き連れて行くことになるが、そんなこと知るか!


今この状況で『人のいない方向へ逃げよう!』なんて冷静な判断ができるわけないだろ!


助けてくれそうな人間がいる方へ走る!

これが普通の人間の本能だよ!


俺は夢中で走った。


実際の距離にすれば、わずか20mほどだったと思う。


だが、すぐ後ろから化け物に追われている俺にとっては、永遠に終わらないんじゃないかと思えるほど長い20mだった。


木々の間を必死に駆け抜け、最後は転がるようにして見通しの良い街道へ飛び出す。

それとほぼ同時に背後まで迫っていた巨大猪が再び咆哮した。


「ひっ!」


耳元で爆発したような鳴き声に身体が竦み、足が縺れる。

そのまま勢いよく地面へ転倒した。


完全に終わったと思った。


だが、いつまで経っても牙も角も俺の身体には突き刺さらない。


恐る恐る振り返る。


巨大猪は森を抜けたところで、その場に立ち止まっていた。


突然開けた場所に出たうえ、大勢の人間が目に入ったことで驚いたのかもしれない。


奴は俺への興味を失ったかのように視線を外すと、興奮した様子で滅茶苦茶に前脚を地面へ叩きつけ始めた。

どうやら俺はターゲットから外れたらしい。


こんな貧相な奴より、目の前にいる屈強な兵士たちを相手に選んだようだ。

助かった……のか?


いや、全然助かってねぇ。


巨大猪は名乗りを上げる戦士のように、兵士たちへ向かって再び大音声の咆哮を浴びせると、そのまま猛然と突撃していった。


「なっ!?」


「なんだあれは!!」


今度は、つい先ほどまで盗賊たちと戦っていた一団が大混乱に陥る。


完全に俺が連れてきた形になってしまった。


と、とりあえず今は……。

巨大猪の視界から外れた隙に、俺は這うようにして近くにあった馬車の物陰へ逃げ込み、そこから恐る恐る様子を窺う。


「うっ……ぐぁぁあ!!なんだコイツ!!」


「さっきのデケェ鳴き声はやっぱりこいつかよ……!なんだってこんな時に……!」


「俺の足がぁぁぁぁあ!!」


あれ……?


これって、もしかして俺のせい……?


あ……。


……ああ……。


ヤバいだろコレ……。


もしかしなくても確実に俺のせい。


巨大イノシシをトレインして兵士たち御一行にぶつけて……盗賊よりヤバい行為なのでは……?


「誰か!姫様を……姫様をお守りしろ!!」


姫様……?


その必死な叫び声を聞き、俺はそこで初めて、自分が隠れている馬車をまともに見た。


……めちゃくちゃ豪華だ。

普通の荷馬車とは明らかに違う。

装飾まで付いている。


兵士。


お姫様。


豪華な馬車。


そして、そこへ巨大イノシシを連れてきた謎の男。


まずい。


ものすごくまずい。


何とかしなくては。

どうにもならなくても、どうにかしなくては。


恐る恐る馬車の中を覗き込むと、そこには物凄く不安そうに震えている金髪のめちゃくちゃ美人な女の子がいた。


そして、目が合ってしまう。


と、とりあえず安心させないと。

俺は精一杯優しそうな笑顔を作った。


「ひ、ひぃぃ……いやぁ……」


「…………」


反応はおかしかったけど、多分あれは俺に対してじゃない。


こんな状況だ。

彼女も錯乱してるんだ。

そういうことにしておこう。


少しムスッとしながらも、俺は馬車から離れ、その前へ立つ。

何ができるわけでもない。

だが、少なくともこのまま物陰に隠れているわけにはいかなかった。


考えるんだ。

俺が助かる方法を。


あ、そうじゃなくて彼女を助ける方法を。


というか多分、あの子を助けないと自動的に俺も死ぬことになる。


この状況で姫様に怪我なんてさせようものなら、ほとんど俺のせいなわけだし。

巨大猪に殺されなくても、その後兵士に処刑される未来しか見えない。


そんな自己保身全開の思考を巡らせながら前を見ると、巨大猪に跳ね飛ばされた兵士が何人も宙を舞っていた。


幸い、兵士たちはプレートメイルを着込んでいるため即死した様子はない。

だが、吹き飛ばされた何人かはもうまともに立ち上がれていなかった。

改めて見ると、これ結構本格的にやばいぞ。


その時、派手に吹き飛ばされた兵士が手放した剣が、地面を滑るようにして俺の近くまで飛んできた。


……あ。


俺は地面に落ちた剣へ意識を向ける。

これ使えるかも…。

リンゴを取った時と同じ感覚で念じると、剣はふわりと宙へ浮かび上がった。


そのまま刃先を巨大猪へ向け、空中に固定する。


さらに、そこへ力を込めるようなイメージで、より強くその場へ縫い付ける。


動かすのは遅いからそれで戦うのは無理。


だったら、動かさなければいい。


向こうから勝手に突っ込んできてくれるなら、俺は刃を置いておくだけでいい。


周囲を見回すとさっき兵士たちと戦っていた盗賊のものだろう。

折れた剣や槍の穂先が、街道のあちこちに散らばっている。

それらへ次々と意識を伸ばし、一つずつ宙へ浮かべていく。


「あ、あなた魔術が使えますの!?」


唐突に背後から声を掛けられ、思わず振り返った。


「いや、これは……」


魔術ってなに……?


「それに、その魔術はもしや古の賢者ハロルドが使ったという操刃魔術ではなくて!?」


「あ……えーと……その……」


「素晴らしいですわ!なんてことですの!

戦場で無数の刃を自在に操り、数千の敵兵を蹂躙したという操刃魔術の使い手!

伝説の魔術の使い手が現代に蘇りましたのね!?」


「あ………あ……、………はい……。」


もう無理です。


こっちは集中しないと謎パワーを上手く使えないのに、後ろから物凄い勢いで話しかけられるせいで、まともに誤解を解く余裕すらない。


脳の処理が追いつかない……。


そんな状態で前方を確認すると、ついに巨大猪がこちらへ顔を向けていた。


荒い息を吐き、前脚で地面を何度も掻いている。


遂に俺の番が来てしまった。

一応、防衛策は思いついて実行中だ。


だが、残念ながら空中に固定できた剣はまだ3本しかない。


全然根拠とかはないんだけど、少なくともあと5本くらいは浮かべとかないとやばい気がする。


「賢者様!グロリアスボアがこちらを向いてますわよ!

そのお力、存分に振るってくださいまし!」


後ろから見当違いな黄色い声援が飛んでくる。

それどころじゃないから出来れば話しかけないで欲しい…。


俺は近くに転がっている槍や折れた剣へ意識を向け、一つずつ宙へ浮かべては前方へ固定していく。


4本。


5本。


5本目となる折れた槍を追加したところで、巨大猪が空気を震わせるような雄叫びを上げた。


来る。


そのまま奴は一直線にこちらへ突っ込んでくる。


所詮は奴も獣よ。

馬鹿正直に真正面から突っ込んで来る気満々だ。


いや、逆にそうじゃないと、俺はもう終わりなんだけど。


「キャー!遂に突っ込んできましたわぁー!

さあ!今こそ、その刃の雨を戦場に降らせるのです!」


そんなこと言っても無理だよ!


俺にできるのは、剣を浮かせて刃先をアイツに向け、その場に固定するだけ。


飛ばせない。

正確には、飛ばしても遅すぎて何の役にも立たない。


「け、賢者様……?も、もう十分ではなくて……!?

本数は充分ですわよ……?

あとは、その刃を敵に撃ち出して串刺しに……え、もう1本!?」


うるさい。


本数が増えてきたせいで、一つ増やすだけでも集中が必要になってきた。


最初の3本から、さらに3本。


6本。


あと2本……。


「ちょっ……ちょっと!もう、もう来てますわよ!!

早く!……早く!えっ!?……ちょっ……もう要らないでしょ!!」


7本。


8本。


これで全部で8本……!


もう増やす時間はない。


残された僅かな時間は、全部固定の強化に使う。


動くな。


絶対に動くな。


その場から一歩も動かない壁になれ。


「馬鹿馬鹿!十分ですわ!早く!!…早く撃てって!!なんで……早く!!……撃てって言ってんだろぉぉ!!!!」


バギンッ!!


凄まじい破砕音が辺りに響き渡った。

生き物へ刃物が突き刺さったとは思えない。


まるで金属と金属を全力で叩きつけたような音だった。

巨大猪の突進を正面から受け止めた剣や槍が、奴の顔面へ深々と突き刺さりながら、何本も砕け散っていく。


さすがに効いた。

見るからに深手だ。


やった……!


そう思ったのも束の間だった。


止まらない。


流石にこれだけの巨体が全力で突っ込んできた勢いまでは殺しきれなかったらしく、巨大猪の身体がそのまま俺へ突っ込んでくる。


「うわっ――!」


次の瞬間、身体が宙へ浮いた。


そのまま地面へ叩きつけられ、何度か転がる。


全身が痛い。


だが――生きている。


かなり勢いを殺せていたらしく、派手に吹き飛ばされた割には大した怪我はしていないようだった。


砂まみれになりながら上体を起こし、巨大猪の方を見る。


こちらは明らかに酷い。


顔面には折れた剣や槍が突き刺さり、傷口からドクドクと血を流している。


足元もおぼつかず、立っているだけでも精一杯に見えた。


それでもまだ息はあるらしく、低い唸り声を漏らしながら再び立ち上がろうともがいている。


そこへ、体勢を立て直した兵士の一人が駆け寄った。


「今だ!仕留めろ!!」


掛け声と共に振り下ろされた剣が、巨大猪の急所へ深く食い込む。


巨大な身体がビクリと大きく痙攣する。


そして今度こそ完全に力を失い、どうっと大地へ倒れ伏した。


「ひ、姫様!ご無事ですか!?申し訳ございません! この度は姫様のお命を危険に晒すという大変な失態、申し開きのしようもございません!!」


なんかやたら神経質そうな顔をした、身なりの良い中年のおっさんが、もう終わりだ…みたいな青い顔して彼女の元へ駆け寄ってくる。


「大丈夫ですわ、アイゼンベルク伯爵。

私はこの通り怪我ひとつしておりません。

……こちらの方が助けてくださったのです。」


今なんで間があった…?

いや、絶対俺が助けたじゃん。


「それは、ご無事で何よりでございます。

しかし……そこの貴様。 一体何者だ……?」


「あ……えっと……その……」


「そういや、あいつグロリアスボアを引き連れてなかったか?」


「賊の生き残りじゃねーのか?」


「姫様を襲わせるためにあんなでかい魔物を……」


……あ。


空気が変わった。


さっきまで俺を命の恩人みたいに見ていたはずの何人かの視線が、みるみる疑わしげなものへ変わっていく。


待って。


違う。


違うんだって。


「ち、違います!!俺じゃない!!俺じゃないです! それに、姫様は俺が守ったんですよ!!

襲うつもりなら最初からそんなこと――」


そこから長い問答が始まった……。


日本から来たって言っても意味わからんって言われるし……。


俺、頑張ったのに……。



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