11話【曖昧な指示は事故の元です。現場への指示は明確に。本日も皆様ご安全に。】
こらアカンわ。
戦ったら絶対に瞬殺される。
出会った瞬間から「狩る者」と「狩られる者」という格付けが自動的に完了してしまった事を、本能的に理解させられてしまった。
距離としては数メートル離れているはずなのに、首筋に鋭い刃を突き付けられているような強烈なプレッシャーで下手に動けない。
蛇に睨まれた蛙のように目の前の女から、視線を外せない。 いや、外してはいけない。
ほんの一瞬でも目を逸らせば、その隙に首を刎ねられる――そんな根拠のない確信があった。
なら、突破口を目で探すのは諦めるしかない。 女を正面に捉えたまま、ここへ入り込んでから目にした室内の光景を頭の中で巻き戻す。
女を挟んだ向こう側には、俺が入ってきた厨房のドア。
あそこへ向かえば、嫌でもこの女の間合いを通ることになる。
ここは絶対無理。
そして右手には大きな調理台。
女から一瞬たりとも目を離さないまま、俺は記憶の中だけで室内を探り始めた。
窓は確か……いや、あったはずだ。
屋敷の外周を一回りした時、開けっ放しの明かり取り用の突き上げ小窓があったはずだ。 窓枠が小さかったため、わざわざこんなところから入らなくても、とスルーしたところだ。
人一人通るのがやっとの大きさではあるが、身体を捩るようにして飛び込めば、そこから脱出出来るはずだ。
逃走の算段はまとまったが、問題はこの状況をどう打開するか。
依然として首元に刃を突きつけられているに等しい状況だ。
簡単には逃がしてくれないだろう。
それこそ逃走のため窓の方に振り向いた瞬間、後ろからバッサリやられてもおかしくはないが、逆にこうしていてもきっと強引に距離を詰められてやられてしまう。
そんな一方的に不利な膠着状態の中、この状況を打開出来る可能性を持った好機の気配を耳にした。
「はぁ……はぁ……お〜い、はっ……クラウディア〜。 は、早いって……こんなボロ屋敷に、……はぁっ……侵入者なんて来るわけ……はぁ……来るわけないだろうが……はぁ……」 随分と間の抜けた声だ。
これは先程「ご主人様」と呼ばれていた、恐らく領主の男の声だろう。
その声は間違いなくこちらに向かって近づいてきており、間もなくこの場に到着するはずだ。
この男が戦闘要員ではないことは明らかだ。 隙を作るとしたら、それを利用するしかない。 こうしている間にも間抜けな声と息遣いがどんどんこちらへ近づいてくる。
この声の男は確実に、この現場へ無防備にも顔を出すはずだ。
その瞬間を狙って、調理台の上の鍋を投げ付けて隙を作るしかない。
相手もその程度の事は予測し、対応出来るはずだが、メイドと主人という関係であれば主人の安全を第一に確保しなくてはならない。
飛んできた物を放置し、主人の顔面にクリーンヒットなどさせないだろう。
「だいたい、なんであの場にいて台所に誰かいるなんてわか……っうおぉ!!」
予想通り炊事場のドアから男が入って来た瞬間、調理台の上の鍋を思い切り男に向けて投擲する。
この角度であれば主人を守るため、確実にこちらの逃走の意図とは逆方向へ動かなくてはいけない。
投げ放った鍋がどうなったか確認することなく、俺はがむしゃらに突き上げ窓の方向へ走る。
背後で聞こえた金属音で思惑が上手くいった事を確信しながら跳躍し、窓枠へと強引に身体を捩じ込むようにして脱出口へ飛び込む。
身体が窓枠を完全に通り抜けた辺りで、空中から室内を顧みるとメイドがこちらに手を伸ばしているが、流石にもうその手が届くことはない。
そのまま勢いを利用してゴロゴロと転がるように窓から距離を取り、なんとか危機は脱したようだが、流石に今回は肝が冷えた。
流石にあの小窓をあの女が抜けるには時間が掛かるだろう。 そう高を括り、ざまーみろという気持ちで着地で汚れた膝を二度ほど払った――その時だった。
「うわ! バカ! お前なにやって……」
主人の言葉が終わらないうちに、先程通り抜けてきた窓枠周辺が大きく破壊され、大穴が開いてメイドが飛び出してくる。
「殺します。」
「ええ……ウソやろ……」
「おい! クラウディア! これ以上この屋敷をボロボロにしてどうする気なんだよ! ふざけんなよ!」
メイドの後を追って出てきた主人の男は、何故か俺にではなくメイドに怒っていた。
まぁ、そりゃそうか……明らかに出している損害はメイドの方が大きい……と場違いなツッコミを入れていると、気付けば夕日を反射してぬらりと光るナイフが目前まで迫ってきていた。
気付いたと同時に反射的に上半身を後ろへ反らし、海老反りになりながら辛うじて避ける。
しゃがんで避けようとしていては明らかに間に合わないタイミングであり、咄嗟に正解の選択肢を選んだ自分を褒めてやりたい。
こいつら二人を相手にするのは危険極まりない。
領主の男がいちいち油断を誘う言動をし、次の瞬間にはメイドが本気の殺意の籠った攻撃を仕掛けてくる。
あかんわ、俺みたいなタイプがこいつら相手にしたら、気づいたら殺されてそうや。
とにかくこいつら撒いて、はよ逃げんと殺されるわ……。
まずは領主邸の敷地内から出なくては始まらない。
だが、周りは高い塀に囲まれているため、平時に道具を使っても良いのなら難なく登れるが、逃走の最中にこの塀を登るリスクは冒せない。
今一番可能性があるのは、堂々と正門から敷地外へ出て、そこからすぐ右手の森の中へ身を隠すこと。
あのメイドの足も中々速いようだが、こと逃げる事に関しては自分にもそれなりの自信がある。
特にこういった平地での、いわゆる「追いかけっこ」では子供の頃からのものも含めて場数が違う。
森の中となれば尚更だ。
先程は完全な室内で、ほとんど袋小路のような状態での接敵だったため絶体絶命に陥ってしまったが、今回は逃げる事だけを第一目標にすれば、むしろ分があるのはこちらの方だろう。
俺は叱咤されているメイドに背を向けると脱兎のごとく走り出し、そのまま逃走経路である正門を目指し一気に駆け抜ける。
登ったり、何度も曲がったり、敵を撒いたりなど考えなくていい分、走る事だけに集中出来て良い。
後ろから俺を追いかけてくる気配があり、引き離せてはいないようだが、追いついても来ないらしい。
闘おうと思えば一合たりとも打ち合えもしないだろうが、逃走という土俵であればあのメイドにこれほど食い下がれるとは思いもしなかった。
このまま、さらに有利な森の中へステージを移してしまえば、もしかしたら本当に逃げきれてしまうかもしれない。
ラストスパートと言わんばかりに、地を蹴る脚に力が入る。
目の前の門を抜けた瞬間、右へ曲がる! そう思った矢先、あと少しで逃げ切れると確信しかけたところへ、急なイレギュラーが割り込んできた。
村の子供だろうか、竹籠を背負った7〜8歳くらいの女の子が右の門柱の影から突如として飛び出してきた。
本人にはそのような意識もなく、彼女にとってはたまたま家への帰り道の途中、いつもの見知った場所を通っただけに過ぎないのだろう。
それでもこちらにとっては、飛び出してきたとしか認識出来ない。 トップスピードで駆け抜けようとしていたところへ目前に立ち塞がれては、咄嗟の回避はかなり難しいだろう。
せっかくこのまま順調にいけば逃げおおせる事が出来たと言うのに。
咄嗟に「アホ! このガキ!」と口汚い言葉が出て、その声でようやく少女も状況に気付いたのか驚愕の表情を浮かべるが、どちらかと言えば自分の不運に対しての暴言なのかもしれない。
とにかくこのまま直進しては、この子供にぶつかってしまう。
それは全力で回避しなくてはならないため、右へ傾きかけた身体の重心を左へ戻し、無理矢理左足を踏み込んで方向転換を図ろうとした。
無理に差し込んだ左足が地面とのグリップを失い、体が宙を舞う感覚を覚える。
次の瞬間にはトップスピードを維持したままの体が宙に投げ出され、5mほど派手に地面を転がる。
そこへすかさず追従していたメイドが飛び掛かり、地面に仰向けに組み伏せられ、右手に持っていた短剣が唸りを上げ首元へ――――― 「殺すな!!!!!」
俺たちの逃亡戦に追いつけなかった主人が何とかメイドに指示を通そうと、こちらへ走りながらも鬼気迫る大音声を張り上げる。
そしてその声を聞いたメイドが…………ズブリと力強く右肩へ短剣を突き立てる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
「う゛わ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん!!!」
「あ゛あ゛あ゛! 自分何しとんねん!!
主人が殺すな言うたやろ!!!」
「殺すなって言っただろうがぁぁぁ! お前何してんだよぉぉ!!」
「いえ、殺す気なら首に刺さってます。」
「そういう問題じゃないだろ(やろ)!!!」
俺は肩を刺された痛みと、張り詰めていた緊張が弛緩したこと、それに組み伏せられてどうにもならないという諦観から、そのまま意識を手放した。 ーーーーーーーーーーーーーー。
「なんで刺した! お前馬鹿なの!? メイド失格なの!?っていうかメイド失格とかそういう括りでいいのかどうかも、もうわかんねぇよ!」
「う゛わぁぁぁぁぁぁぁん!」
この騒動に巻き込まれてしまった女の子が大号泣している。
一旦、この血みどろの惨状が目に入らないよう彼女の前にしゃがみ込み、頭を撫でながら宥める。
「よしよし、怖かったな〜。
びっくりしたなぁ〜大丈夫だぞ〜。
どっか痛いところないか?」
精一杯の優しそうな笑顔を作ろうと意識はしたが、状況が滅茶苦茶過ぎて多分引き攣ってる。
「ひっく……ひっ……、痛くない……ぐす……」
幸い、これだけ派手に土埃が上がった割に少女に怪我は一切なかったらしい。
って事はやっぱりこのコソ泥、反射的にこの子にぶつからないように避けたって事だよなぁ……。
結果、自爆してこの有様なわけなんだけど。
「というか、クラウディア。 お前ちっとは状況考えろよ…。
こんなちっちゃい子の前で人殺そうとしてんじゃねぇよ。
刺した時点でだいぶアウトなんだけど、俺の命令を聞かずにやっちゃってたらガチでクビにしてたからな?
あんな小さな子供にトラウマが残ったらどうする気なんだよ…?
一応俺は領主様だし、お前は領主のメイドなんだからな…?」
そこでようやく意味を理解したのか、ハッと目を見開き、クラウディアの口から消え入りそうな声で「申し訳ございませんでした」と謝罪の言葉が出る。
「俺じゃなくてこの子に謝りなさい。
怖い思いをさせてごめんなさいって。」
今まで見たことがないレベルで落ち込みながらも、クラウディアから少女に謝罪が入り、とりあえずこの場は収まった。
送っていかなくても大丈夫か?と聞いたが、家は割と近くだとの事で、そのまま気をつけて帰るように伝え見送る事にした。
まぁ、その気をつけなきゃいけない事をやらかした張本人は俺達なんだが……。
とりあえず、これ(コソ泥)どうするよ……?
まぁ、事情がありそうだ。
話を聞いて、どうしようも無い事情で困ってるなら――――利用してやろう。
お涙頂戴で助けてやる気なんてあるわけないだろ。
なんだその勇者主人公みたいな思考は。
俺はそういうのが一番嫌いだ。
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