表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された世話焼き令嬢は、隣国で問題児に捕まりました  作者: ミナト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/11

7 そうですか

 あの日以来、アレスが「引きずり込まれるような眠り方」をする場面に、リリーナは何度か遭遇した。

 最初は授業中だけだと思っていたが、寮の廊下で突然壁にもたれて動かなくなったこともあった。昼食の途中で箸を置いたまま顔が落ちていくこともあった。いずれも数十分で自然に目を覚ましたが、その間は何をしても起きなかった。本人に訊いてみたことが一度あるが、「ほっておけ」と言われておわりだった。


 気になる。


 でも今のところ、それ以上は踏み込めていない。


(いつか話してくれるかしら)


 根拠のない期待だとは分かりながら、リリーナはそう思っていた。


 ◇ ◇ ◇


 手紙が届いたのは、隣国に来て三週間が経ったある日の昼下がりのことだった。

 差出人は父、アルベルト・エルフォード侯爵。封を開けると、整然とした父の筆跡が並んでいた。

 最初の二段落は近況確認だった。侯爵家の屋敷は変わりなく、秋の収穫も例年通りで、母は先月から編み物を始めたらしい。リリーナは口元を緩めた。父の手紙はいつも、こういう些細なことから始まる。

 三段落目で、筆跡がわずかに変わった。書くことを選んだ、という意志が滲む書き方に。


 ――こちらでの出来事について、知らせておいた方がよいと判断した。


 マリカ・ヴァントワーズが、学年末の魔法理論試験において不正を行ったことが発覚。カンニング用の魔法道具を持ち込んでいたのを、試験監督に見つかったとのことだ。これにより試験は失格、停学処分を経て学園を退学となった。本人は「誰かに嵌められた」と主張しているが、証拠が明白なため聞き入れられていないという。

 リリーナはそこで一度、目を止めた。

 それから続きを読んだ。


 ――また、王太子殿下とヴァントワーズ嬢の関係も、先の件を機に急速に冷え込んでいる模様だ。殿下の周囲では、軽率な判断だったと囁く者も出始めている。お前が心を痛める必要はないが、一応の報告として。


 そこで手紙は終わっていた。父らしい締め方だった。「どう思うかはお前が決めろ」と言外に書いてある。

 リリーナは便箋を折りたたんで、封筒に戻した。


(そうですか)


 自分の中を確かめるように、もう一度思った。

 怒りは来なかった。溜飲が下がった、という感覚も、正直なところよく分からなかった。

 ただ――どこか遠い国の話を読んだような、静かな感じがあった。あの夜会も、噂も、衆人環視の婚約破棄も、もうずいぶん前のことのように思えた。


「……何を読んでいる」


 声がして、リリーナは顔を上げた。

 アレスがいた。

 中庭のベンチ――リリーナが手紙を読んでいた場所のすぐ隣、別のベンチに、いつの間にか座っていたようだ。前髪は相変わらず顔を覆っていて、制服の上に上着を引っかけた格好。視線がこちらに向いているのか、それとも別の方向を向いているのかも前髪のせいで分からない。


「父からの手紙です」

「ふうん」


 興味なさそうな返事だった。

 リリーナは封筒を鞄にしまいながら、少し考えた。話す必要もないが、隠す必要もない。


「故国の知り合いが、学園を退学になったそうです」

「……誰だ」

「私を悪役に仕立て上げた人です」


 さらっと言ったつもりだったが、アレスが少し動いた気がした。


「不正行為で試験に失格したとのことで。まあ、本人の問題ですから」

「……前の婚約者のことも書いてあったか」


 リリーナは少し驚いた。


「話したことがありましたか、殿下の話」

「テシアが喋っていた。事情はだいたい知っている」


 テシアか、とリリーナは思った。あの子は悪意があって言いふらすというより、単純に情報の区別がついていないのだろう。


「ええ、少し触れてありました。王太子殿下と、その方との関係が冷え込んでいるとのことで」

「悔しくないのか」


 唐突な問いだった。

 リリーナはアレスを見た。前髪が邪魔で表情は読めない。ただ声音は――いつもの気だるい塩対応とは少しだけ違う、何かを確かめるような質だった。


「悔しい、というのは、何に対して?」

「利用されたこと。貶められたこと。婚約者まで奪われたこと」


 三つを並べられると、なかなかの内容だとリリーナも思った。


「……そうですね」


 少し考えてから、正直に答えた。


「終わったときは、痛かったです。悲しかったというより、傷みたいな感覚で。自分のしてきたことが全部、無駄だったみたいで」

「今は」

「今は、」


 リリーナは空を見上げた。秋の午後の空は高く、薄い雲が一筋だけ流れていた。


「もう終わったことですから」


 嘘ではなかった。本当に、そう感じていた。


「あっちで悔しがっていても、ここでは誰も知らない話ですし。それより今日の午後の授業、アレスさん、ちゃんと来られますか?」


 話を変えると、アレスが少しの間黙った。


「……お前は」


 何かを言いかけて、やめた。


 リリーナはちらりとアレスの方を見た。前髪の向こうで、何かを考えている気配だけがある。


「お前は変わっているな」


 結局、そう言った。


「よく言われます」

「貶してない」

「分かっています」


 短いやり取りだった。でもアレスが「貶してない」と補足したのは、リリーナには少し意外だった。このひとが、言い方を気にするとは思っていなかった。

 沈黙が流れた。悪い沈黙ではなかった。

 中庭の木が、風に揺れた。


「……午後の授業は、考える」

「来てください」

「考えると言ってる」

「来てください」


 アレスが、また黙った。

 やがて、ふいと立ち上がった。寮の方向へ向かって歩き出しながら、


「今日の四限の内容、後で教えろ」


 と言った。

 来る気がないのか、来る前提で予習を要求しているのか――リリーナには判断がつかなかったが。


(来る気はあるのかもしれない)


 そう受け取ることにした。

 アレスの後ろ姿が校舎の角に消えてから、リリーナは鞄を抱え直した。

 その時、同じ中庭にいたクラスメイトの一人が、慌てた様子で走ってきた。テシアだった。


「リリーナ! ねえ聞いた?」

「何を?」

「さっき学園の正門に、見慣れない馬車が来てたって。紋章がグランシア王家のものだったって話が――」


 リリーナの手が、鞄の持ち手をわずかに握り直した。


「――それ、いつの話?」

「今日の昼過ぎ。まだ敷地の外で待ってるらしくて、学園長に面会の申し入れをしてるって噂で」


 グランシア王家の紋章。

 父の手紙の内容が、もう一度頭の中を通り過ぎた。


(……なるほど)


 リリーナは小さく息を吐いた。

 悔しくないかと聞かれたばかりだった。「もう終わったことですから」と答えたばかりだった。

 どうやら向こうは、終わっていないらしかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ