19 一人で動くな
(やはり、罠だったか……)
思いながら、後退する。廊下の幅を測りながら、逃げ道を探した。背後は行き止まりに近い。前は二人が塞いでいる。
「大人しくしてください」
男の一人が言った。「大人しくしていれば何もしない」という言葉が続くのだろうと、リリーナは思ったその時――
廊下の角から人が飛び込んできた。
一瞬で、男の一人が壁に押し込まれる。
アーレンだった。
打ち合わせ中のはずのアーレンが、なぜここに――
考える間もなく、もう一人の男がアーレンに向かった。
アーレンが体を半身に開いて、男の動きを流す。無駄のない動きで、十秒もかからなかった。
気づけば、二人の男が廊下に倒れていた。
倒れてはいるが、意識はある。アーレンが何かを言うと、男たちは立ち上がって廊下の奥へ消えていった。
静寂が戻り、アーレンが、こちらに向く。
前髪の向こうで――目が、怒っている気配がした。気配だけで分かる。声を聞く前から、分かった。
「……」
沈黙があった。
リリーナはその沈黙の重さを、正面から受け取るしかなかった。
「一人で動くな」
静かな声。怒鳴っていない。叫んでもいない。
ただ、これまでリリーナに向けてきたどの言葉とも違う、芯のある声だった。
「分かっているはずだ。なぜ来た」
「……頼まれて」
「断れなかったのか」
「……」
「リリーナ」
アーレンが、一歩近づいた。
「断れなかったのか」
「……困っていそうだったので」
アーレンは何も言わなかった。
言わないまま、リリーナの腕を取った。強くはなく、でも確実に。
そのまま廊下を歩き始めたので、リリーナは黙ってついていくしかなかった。
◇ ◇ ◇
自室の近くまで戻ってきて、アーレンがようやく手を離した。
「なぜここに来れたんですか。打ち合わせ中では」
「カイから連絡が来た。お前が西翼に向かったと」
「カイが――見ていたんですか」
「見ていた」
「……それはアーレン、あなたが頼んでいたんですか」
「そうだ」
リリーナは少し止まった。
「昨夜から、ずっと見張っていたんですか」
「……そういうことだ」
「それは――」
「信用していないわけじゃない」
アーレンが、前を向いたまま言った。
「ただ、お前は困っている人間を見ると止まれない。それは知っている。だから、俺が見ていないときに誰かに見ていてもらう必要があった」
リリーナは少しの間、何も言えなかった。
(この人は)
ずっとそうだった。
学園のときから、少しずつ、こちらを見てくれていた。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない」
「言います。それと、もう一つ」
リリーナはアーレンの顔――前髪の向こうを――まっすぐ見た。
「ごめんなさい。言うことを聞きませんでした」
アーレンが、少し動く。
「謝らないでいい」
「謝ります」
「……」
長い沈黙。
「……分かった」
アーレンが、短くつぶやくように言った。
「次は、俺を呼べ。それだけだ」
「はい」
リリーナが返事をすると、アーレンがまた歩き始めた。リリーナも並んで歩く。
廊下の窓から、午後の光が差し込んでいた。二人の影が、並んで床に伸びていた。
◇ ◇ ◇
夕方の打ち合わせで、魔法師団の長が言った。
「西翼の魔法書庫の蔵書記録を調べました。五年前に幻惑系の術式書が数冊、側妃の私室に貸し出されています。返却はされていません」
アーレンが書類を受け取る。
「それと」
魔法師団の長が、もう一枚紙を出した。
「今朝、王宮の外で不審な人物が捕まりました。持っていた術式道具を調べたところ、アーレン王子にかかっている呪いと同系統のものでした。その人物が雇われた先は――」
アーレンが受け取った書類を、リリーナは横から覗いた。
そこに書かれた名前は、一行だけ。
エリザ・ヴォルト。
「……証拠が、揃いましたね」
リリーナが言うと、アーレンが静かにうなずいた。
「ああ」
声は穏やかだったが、その一言に、長い間抱えてきたものがようやく形になった重みがあった。




