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婚約破棄された世話焼き令嬢は、隣国で問題児に捕まりました  作者: ミナト


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13/25

13 同行します

 三日後、アーレンがリリーナの部屋の扉をノックした。

 朝の七時より前だった。リリーナがまだ支度中に、控えめなノックが三回。扉を開けると、アーレンが立っていた。

 制服を――ちゃんと着ていた。前髪は相変わらず顔を覆っているが、シャツのボタンは上まで留まっていて、上着も羽織っている。リリーナがいつも起こしに行くときの「かろうじて着ている」とは、明らかに違う着方だった。


「……起きていたか」

「はい。珍しいですね、あなたがこちらに来るのは」

「……来てはいけないか」

「そんなことはありません。どうぞ」


 テシアは早朝の自主練習があるとかで、部屋はリリーナ一人だった。アーレンは部屋に入らず、扉口に立ったまま廊下を向いた。


「決めた」


 短く言った。


「王宮へ戻る」


 リリーナは手に持っていたヘアピンを置いた。


「呪いのことを諦めていた。継承争いからも逃げていた。それをずっと――」


 アーレンが止まった。


「恥じていたのかどうかも、よく分からなかった。分からないふりをしていたのかもしれない」

「アレスさん」

「アーレンだ」


 リリーナは少し、目を瞬かせた。


「……そちらで呼んでいい」

「……では、アーレン」


 初めて名前を呼んだ。アーレンの肩が、かすかに動いた。


「王宮へ戻って、父王に話をする。王位継承権はいらないとはっきり伝える。それから、呪いを解く手段を探す。このまま逃げていても、いつかは追い詰められる。それなら――」

「向かい合う方がいい」


 リリーナが続けると、アーレンが黙った。


「それを言いたかったのですか」

「……そうだ」

「そうですね」


 リリーナはうなずいた。それから、クローゼットを開けた。


「何をしている」

「荷造りです」

「……何の」

「同行します」


 アーレンが、固まった。


「俺は一人で行くと言った」

「言っていません。『王宮へ戻る』とだけ言いました」

「お前は関係ない」

「あります」


 リリーナはてきぱきと着替えを鞄に入れながら、振り向かずに言った。


「私は学園長から、あなたの教育係を任されています。あなたが卒業するまで、その責任があります。卒業前に王宮へ行くなら、私も行きます」

「屁理屈だ」

「筋の通った理屈です」

「危険だと言っている」

「刺客にはすでに遭遇しました」

「だからだ」

「だからこそ、一人で行かせられません」


 リリーナは鞄を持ち上げて、アーレンの方を向いた。


「あなたが一人で行って、何かあったら――」


 言いかけて、止めた。

 何かあったら、という続きが、うまく言葉にならなかった。


(何かあったら、どうするの)


 自分の中にある感情の輪郭を、リリーナは少しだけ確かめた。心配、というには少し重い。でも今はその名前をつけなくていいと思った。


「行きたいんです」


 代わりに、そう言った。


「理由は後でゆっくり考えます。でも今は、行きたい。それじゃ駄目ですか」


 アーレンが、しばらく動かなかった。


「……お前は」

「何ですか」

「本当に、よく分からない人間だな」

「よく言われます」

「貶していない」

「知っています」


 またそのやり取りになった。リリーナは少し笑って、鞄の留め具を閉めた。


 ◇ ◇ ◇


 学園長への説明は、リリーナが行った。

 「アーレン――アレスの身分と事情を知った、共に王宮へ向かう必要がある」と話すと、学園長は丸眼鏡の奥の目を細めて、しばらくリリーナを見た。


「……なるほど」


 それだけ言って、眼鏡を外して拭いた。何かを考えている顔だった。


「アレス君が王子だということは、私は知りませんでした」

「はい」

「ただ――」


 学園長は眼鏡をかけ直した。


「この学園には、学外活動という制度があります。正当な理由があれば、学習の一環として学外へ出ることができる。書類を用意します。二人で、堂々と正門から出なさい」


 リリーナは一拍置いてから、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」

「礼はいい」


 学園長は小さく手を振った。


「ただ一つだけ」

「はい」

「必ず戻ってきなさい。二人とも」


 リリーナは顔を上げた。学園長の目が、眼鏡越しに真っすぐこちらを見ていた。


「……はい」


 ◇ ◇ ◇


 馬車は午後に出た。

 学園の正門を出ると、石畳の道が王都の方向へ続いている。王宮まではおよそ四時間の道のりだと、アーレンの側近――身分を知る数少ない一人で、「カイ」という名の青年――が教えてくれた。カイは先に馬で向かい、王宮側の準備を整えるという。

 馬車の中は二人きりだった。

 向かい合って座っている。アーレンは窓の外を見ていた。前髪が揺れるたびに、鼻筋の輪郭がわずかに見えた。

 しばらく、どちらも喋らなかった。

 石畳の振動が、馬車の底から伝わってくる。遠ざかっていく学園の尖塔が、窓の外に小さくなっていった。


「なぜそこまでする」


 アーレンが、窓から目を離さないまま言った。


「屁理屈は聞いた。本当の理由を聞いている」


 リリーナは少し考えた。

 本当の理由。自分でも、さっきうまく言葉にできなかったものを、今ここで説明できるかどうか分からない。


「さあ?」


 笑いながら、そう答えた。

 アーレンが、窓から視線をこちらに動かした。前髪の向こうで、目がこちらを向いている気配がした。


「さあ、とは」

「まだ言葉になっていないので。言葉になったら教えます。そのほうが誠実だと思うので」


 アーレンが黙った。

 しばらくして、また窓の外を向いた。


「……急かさない」

「分かっています」

「ただ、一つだけ言っておく」


 アーレンの声が、少し低くなった。


「お前を危険な目に遭わせるつもりはない。今朝のようなことは、二度と起こさない」


 リリーナは少し驚いた。


「それは――謝っているんですか」

「……事実を言っている」

「そう聞こえませんでしたが」

「事実だ」


 リリーナは窓の外を見た。道の両側に、秋の枯れ草が続いている。空は高く、雲がゆっくりと流れていた。


「謝らなくていいです。あなたのせいじゃないので」

「お前が巻き込まれたのは俺のそばにいたからだ」

「私がいたいからいたんです」


 アーレンが黙った。


「今もそうです」


 リリーナは付け加えた。

 それ以上は言わなかった。アーレンも、何も言わなかった。

 馬車は静かに、王都への道を走っていく。

 窓の外を流れる景色の中に、そろそろ見慣れない家並みが増えてきた。学園のある街から外れて、もう少し先に進めば、王宮のある王都に入る。

 リリーナは膝の上で手を組んだ。


(言葉になったら……)


 心の中で、もう一度そう思った。

 今はまだ、輪郭だけがある感情だった。でもそれが何かは、少しずつ、分かってきていた。


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