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婚約破棄された世話焼き令嬢は、隣国で問題児に捕まりました  作者: ミナト


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10/25

10 夜会のあとで

 学園の秋の恒例行事に、「野外魔法実習」というものがあった。

 学園から馬車で二時間ほどの距離にある森に一泊二日で出かけ、自然環境の中での魔法制御を学ぶ――というのが建前で、実態は飯盒炊爨あり星空観察ありの、ほぼ遠足だとテシアは言った。二日目の夜には学園に戻って、成果発表を兼ねた小さな夜会もある。


「アレスさん、行きますよね」


 前日の朝、リリーナが確認すると、


「……考える」

「行きますよね」

「だから考えると――」

「行きましょう。外の空気は気分転換になります」


 翌朝、アレスは不機嫌そうな顔で――前髪しか見えないので想像だが――集合場所に現れた。

 リリーナは小さくガッツポーズをした。最近、回数が増えてきた気がする。


 森の中は、思いのほか快適だった。

 魔法実習の内容は、自然の魔力を感知して制御する初歩的なものだ。土や木に宿る微細な魔力の流れを読み取り、それを乱さずに自分の魔力と調和させる。リリーナには比較的得意な分野だったが、他の生徒の多くは苦戦していた。

 アレスはというと、実習エリアの端の木の根元に座って、空を見上げていた。


「アレスさん、実習に参加してください」

「見ている」

「見るだけでは単位になりません」

「めんどくさい」

「やってみてください」


 アレスはしばらく動かなかった。が、やがてのそりと立ち上がり、近くの木の幹に片手を当てた。

 一分もしないうちに、周囲の空気が変わった。

 引率の教師が振り向いた。リリーナも気づいた――

 アレスの手のひらから、ごく静かに、でも確実に魔力が流れ出している。木の幹を伝って、根から土へ、土から周囲の草へ。まるで元から自分のものだったかのように、なめらかに馴染んでいく。


 「……いつの間に」


 そう教師が呟くと、アレスはすぐに手を離して、また木の根元に座った。


「できるじゃないですか」

「やれと言ったからやった」

「素直です」

「……うるさい」

 でも、悪くなさそうだった。リリーナにはそう見えた。


 ◇ ◇ ◇


 夜は焚き火を囲んだ。

 学園の生徒たちがいくつかのグループに分かれて、思い思いに夜を過ごしていた。


「リリーナも来なよ!」


 他のクラスメイトと賑やかに話していたテシアが声をかけてきた。


「ありがとう、少し後で……」


 リリーナは一人でいるアレスを見ながら、そう返した。

 焚き火から少し離れた場所に、石があった。アレスはそこに腰かけて、燃える火をぼんやり見ていた。いつも通り前髪が顔を覆っているが、炎の赤い光の中では輪郭だけが浮かび上がる。


「隣、いいですか」

「……好きにしろ」


 リリーナは隣の石に座った。

 しばらく、どちらも喋らなかった。

 遠くでテシアたちの笑い声が聞こえる。木が燃える音がする。夜の森は思っていたより温かく、煙の匂いがした。


「こういう場所は好きですか」


 ふと、聞いてみた。

 アレスは少し間を置いてから、


「……嫌いじゃない」


 と答えた。


「部屋より広いから?」

「……人が少ないから」

「正直ですね」

「別に」


 また沈黙が来た。今度は少し違う質感の沈黙だった。悪くない沈黙、とリリーナは思った。


「リリーナは」


 アレスが、先に口を開いた。

 珍しかった。アレスが自分から話題を振ることは、ほとんどない。


「……故国に、戻りたいと思うか」


 リリーナは少し考えた。


「今は、思いません」

「今は、ということは」

「最初は少し思いました。知っている場所の方が楽ですから。でも今は――ここが、ここになってきた感じがして」

「ここが、ここに」

「うまく言えないのですが……帰る場所、というのとも違って。いる場所、というか」


 自分でも言いながらよく分からなかった。アレスは黙って聞いていた。


「アレスさんは、ここが好きですか。学園」

「……」


 少し長い沈黙だった。


「嫌いじゃない」


 また同じ答えだった。でも声音が、さっきとわずかに違った。


「前より、嫌いじゃない」


 追加があった。

 リリーナは炎を見たまま、小さく笑った。アレスには見えていないだろうけれど。


(前より、か)


 そっと、胸の中で繰り返した。


 ◇ ◇ ◇


 翌日、学園に戻っての成果発表夜会は、大広間で行われた。

 正式な夜会ではなく、各自が実習の成果を魔法で演示するという形式だ。煌びやかなドレスではなく制服のままで、飲み物と軽食が並んで、比較的自由な雰囲気だった。

 アレスは当然のように来ないかと思っていたが、珍しく現れた。大広間の隅の柱に寄りかかって、腕を組んで立っていた。

 リリーナが近づくと、


「うるさいから来た」


 と先に言った。


「部屋にいたら音が聞こえてきた」

「寮から大広間の音は聞こえないと思いますが」

「……うるさかった」


 何がうるさかったのかは、聞かなかった。

 演示の時間になって、リリーナは簡単な魔力制御の演示をした。空気中の魔力を収束させて、小さな光球をいくつか作る。実習の応用だった。光球がふわふわと漂うと、周囲から小さな歓声が上がった。

 消したあと、隅の柱に戻ると、アレスがまだいた。


「きれいだった」


 ぼそり、と言った。


「……ありがとうございます」

「事実を言っただけだ」

「それでも、ありがとうございます」


 アレスが黙った。また耳が赤い気がした。夜会の灯りのせいかもしれないが。


 夜会が終わって、生徒たちが三々五々に引き上げ始めたころ。

 リリーナは大広間の扉を出たところで、アレスが来た道とは違う方向へ歩き始めるのに気づいた。


「寮はこちらですよ」

「分かってる。少し外に出る」

「一人でですか」

「そうだ」

「では一緒に」

「来るな」


 来た。

 アレスは少し立ち止まって、それから諦めたように歩き続けた。リリーナは少し距離を置きながらついていった。

 渡り廊下を抜けると、中庭に出た。夜の中庭は静かで、月明かりだけが地面を照らしていた。アレスは噴水の縁に腰かけて、空を見上げた。

 リリーナは少し離れた場所に立って、同じように空を見た。星が、思っていたより多く出ていた。


(悪くない夜だわ)


 そう思った瞬間――。

 視界の端に、何かが動いた。

 中庭の外、学園の塀に沿った木立の陰。人の形をした影が、ひとつ。

 リリーナは目を細めた。

 動いていない。ただそこに、立っている。こちらを――

 正確には、噴水のところに座っているアレスを――見ている。


(生徒?)


 夜会帰りの生徒が外に出ることはある。でも、あの立ち方は違う。身を潜めている。気づかれないように、息を殺して、ただ一点を見ている――。

 リリーナは視線を動かさないように気をつけながら、アレスの方を見た。

 アレスは空を見上げたままで、影には気づいていない。


(あれは、学園の生徒じゃない)


 確信した理由を言葉にするのは難しかったが、分かった。立ち方が違う。物の陰への隠れ方が違う。普通の生徒が暗がりに立つときの、うっかりした気配ではなかった。

 見慣れた技術だった――リリーナ自身は持っていない技術だが、見たことがある。護衛の訓練を受けた者の立ち方だ。

 次の瞬間、木立の影が、ない。

 消えていた。

 リリーナは息を整えた。鼓動が、少し速くなっていた。


「リリーナ」


 アレスが声をかけてきた。


「どうした」

「……いえ」


 リリーナは笑った。できる限り、普通の笑顔で。


「星がきれいだと思って」


 アレスが、少しの間リリーナを見た――前髪越しに。


「……そうか」


 それだけ言って、また空を見た。

 リリーナも空を見た。

 きれいだと言ったのは嘘ではなかった。本当に、星は多く出ていたから。

 ただ、その美しさが少しも頭に入ってこなかったけど。


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