008 闘技場
「……はああぁ~」
本日二度目の盛大なため息をつく。
訓練場の地下、結界が張られた小さな闘技場にて、剣を握りしめ闘気を練り上げるシベリアを横目に俺は酷く後悔をしていた。
首を縦に振ってしまった以上もう避けることは出来ないが、持たされた木剣を手にし、この場に及んでなお逃げ腰である。
これ、片手剣だよな? 両手でも持ち上がらないんだが……。
生まれてこの方デスクワークしかしてこなかったため筆より重いものを持ったことがなく、渡された武器を持つだけでも……結構ぎりぎりであった。
それでもプルプルしている足に鞭を打ち、意地でも立っているのは、隅の方で『ノア様頑張って』と恥ずかしそうに小声で応援してくれるいたいけな少女のおかげであって、本音はさっさと負けて彼女の太腿に飛び込みたい気満々である。清く正しいノア君といえどあくまでも男の子なのだ。
「ノア様、片手剣でよろしかったのですか?」
「……あぁ。うん、大丈夫だよ」
片手剣を引きずり、とぼとぼと歩いている俺を見かねたのか、真面目そうな若い青年が話しかけてきた。そういう彼は軽々と片手で数本の大剣を運んでいる。その細身の体のどこにそんな力があるのだろうか。人体学とは不思議なものである。
「剣だけでなく弓や斧などもありますよ。マイナーなところですと金棒などもありますが……」
「…………ありがとう。……なんというか、もう、正直なんでもいいよ」
「!? ……そうですか。何かありましたらおっしゃってください」
懇切丁寧に教えてくれるが今更武器を選んでもしょうがない。
……全部使えないのだ。
貴族の端くれとはいえ、なんの武器も使えないことに、聞き耳を立てていた騎士達がぎょっと目を見開いているが、そんなことなどもうどうでもいい。俺の脳内は早く終われの一言だった。
「それでは両者、中央に集まってください。」
先程話しかけてくれた青年が号令をかける。どうやら審判役をやってくれるらしい。
もうすぐ始まってしまう現実にすごく嫌気が差すが、審判がいる以上怪我をする前に止めてくれるだろう。少しだけ安心もした。
視線を上げる。
目の前には剣を持ち、闘志をたぎらせるシベリアの姿があった。
龍殺しにふさわしいそれは到底十歳の子供に向けていいものではない。
「ねえ、本当にやらないとダメなの?」
正直、めちゃめちゃビビり散らかしてはいたが、藁にすがる思いで何とかならないかと話しかける。
「……ノア様。……これは、あなた様を知る上で必要なことなのです。」
「確かに話すのは久しぶりだし、ここには初めましての人もいるけど何も模擬戦をする必要なんてないじゃない」
「……恥ずかしながら。私は育ちが悪く学もないため、剣を合わせる以外にノア様の本当の力を知る術がないのです」
俺の本当の力ってなんだよ、と脳内でツッコミを入れる。
引き籠って顔を合わせられなかったのは百パー俺が悪いが、何も自己紹介に命を張る必要はない。それに何か俺に期待をしているようだが、兄さんのような剣術は習得してないのだ。いくら血が繋がっていようが、剣すら持ち上がらないのに秘められた力などあろうはずもない。あるなら逆に教えてくれよ……。
「俺、剣なんて持ったことないよ……。それに戦うメリットもないし……」
小声でボソボソとつぶやく。こういうやからに何を言っても無駄なのだ。
こうなってしまった以上、嵐が過ぎ去るのを待つしかない。早く終われと願いながら数歩シベリアから距離を取り剣を構える。
何度か力を入れてみるものの重すぎて持ち上がらないため、仕方なく剣先を地面にずったまま柄を逆手に掴んだ。
独特な俺の構えに『なんだ、あの構えは……』や『どこの流派だ……』などと騎士団の方々が騒めいているが、そんな大したものではない。ただの筋力不足です。……早く終わんねぇかなあ。
シベリアも俺が構えたことでやる気になったと勘違いしたのか、真剣な表情で剣を構えた。やる気になっているのはいいが、できるだけ、……怪我をしないくらいには手加減してほしいものだ。
「それでは、両者よろしいでしょうか」
シベリアが構えたことで空気が変わり、それを察した青年が合図を取る。
シベリアが青年に目配せをし、それをまねて俺も青年をちらりと見やる。
これが準備を終えたというサインなのだろう。……つまりもうすぐ地獄が始まるのだ。覚悟を決めて痛みと衝撃に備える。
青年が息を吸う。……そして、
「……始め‼‼」
合図が響いた。
――刹那。
目の前のシベリアが消え、高速で動く物体が俺の横を通り過ぎる。
ブンッと鳴る爆音と共に風が頬を掠めた。
気が付くと握っていたはずの片手剣が宙を舞い、目の前にいたはずのシベリアはなぜか俺の背後にいた。
――カランッ
闘技場に木剣が転がる乾いた音が響く。
容赦のない一撃。目で追うことすら不可能であった。
一瞬にして踏み込むと同時に俺の剣を弾いたのだろう。痛みのないことにまず胸をなで下ろすが、十歳そこらの子供に対して向ける威力ではない。大人げないという言葉を超越しており、もはやここまでくればいじめという言葉が一番ふさわしいと感じる。おそらくシベリアは男児を痛めつけることで快感を得るタイプの性癖の持ち主なのだろう。
カイル兄さんはこのシベリアに指南を受けていると聞くが、本当に大丈夫なのだろうか。
「……ノア様」
静寂を断ち切るように背後から声が鳴る。もちろんシベリアの声だ。
今起きたことに脳はパニックを起こし理解を拒んでいるが、体は強者に従っているのか脳の命令が出る前にシベリアの方へと勝手に振り返った。
「……その、……真面目にしていただいてもよろしいでしょうか。」
顔をわずかにしかめ、吊り上がった口から紡がれた言葉は全くもって信じられないことであった。




