007 将来の夢
膝枕とは良いものだ。
年端もいかない少女メイドの太ももに顔を埋め、そう結論を出す。
過呼吸に陥るほど荒々しかった息は整い、胸を打つ激しい鼓動も少しずつ落ち着いてくる。天敵とも呼べる太陽も今となっては心地よく日向ぼっこをしている気分になるほどだ。
倒れたときはおろおろしていたセリアだが、少しずつ慣れてきたのか優しい表情で俺の髪をそっと撫でてくれている。
……うん、女神かな?
ご利益ご利益と言って清純なセリアの太ももに頬をスリスリする。
すごく柔らかい。若いっていいね。
「ノア様。少しよろしいでしょうか」
セリアの太ももを堪能していると不意に影が落ち、頭の上から女性の声がかけられた。
よくよく考えると十歳の男の子が年下のメイドにセクハラ紛いのことをしているという犯罪臭がプンプンするこの構図はあまりよろしくない。
はっと我に返り、脊髄反射でうつ伏せから仰向けへと体を反転させる。
急な明暗差により視界は一瞬で白に染まるが、数秒かけて慣れてくると太陽をバックにこちらを覗き込んでくるグレーのけも耳が目に入った。
シベリアだ。シベリア・グラーチカだ。
引き籠りとはいえ何度か顔を合わせたので知っている。
レオン兄さんの専属メイドであり、カイル兄さんの剣の指南役でもある。
にも拘わらずそれでも何度か程度しか会っていないが、武の化身のような父さんが一目置くぐらいにはこの領で屈指の実力を誇る戦士であるため、知らないようではこの領の住民ではない。そこまで俺はもぐりではないのだ。
白狼族の特徴でもあるグレーの髪に白い肌。鍛え抜かれた男顔負けの美しい肉体美は誰もが見惚れる程であるが、その体中に刻まれたいくつもの傷跡は騎士団副団長にいたるまでの壮絶な戦歴を表し、困難なくして今の地位はなかった事が窺える。
キリッと結んだ口元と鋭い切れ長の眼孔は狼の本能が垣間見える野性見溢れるものであるが、こちらを訝し気に睨んでいる様にも読み取れた。
「………………。」
「………………。」
沈黙の時が流れる。
あぁ、なるほど。この体制が悪いのか。
蛇に睨まれた蛙のように脳も体もフリーズしてしまっていたが、膝枕されたまま年上の女性と会話するわけにはいかない。
頭をゆっくりと回転させ、睨まれ続ける理由を理解した俺はぐっと腹部に力を込め起き上がろうと試みる。
勢いをつけ半分ほどまで体を起こしたが、ガス欠を起こしたかのように急に全身の力が抜けた。
自由落下という自然の摂理に従って上半身は来た道を引き返し、おかえりなさいと言わんばかりにセリアの太腿へと背中が吸い込まれていく。
――ポスンッ。
「「………………。」」
沈黙の時が流れる。
……なるほど。今の俺には起き上がる力も残されていなかったのか。
危機感をも覚えるこの体の現状に辟易し、これから毎日筋トレを続けようと決意する。
体を反転させセリアの太腿に顔を埋めると世界から消えさるようにゆっくりと目蓋を閉じた。
何もなかった。俺は何も見なかったのだ。
「……ノア様。少しよろしいでしょうか。」
頭の上から声がする。
なかった事にはできないらしい。
逃避行動から現実に戻された俺は、観念したように再び体を反転させ口を開いた。
「………ナンデショウカ」
立場的には俺の方が上だがもちろん敬語である。
『なんだよ』などとは死んでも言わない。………だってこわいもん。
「………ノア様はこの領を。グラテロル領をどう導いていくおつもりでしょうか。」
真剣な面持ちで口を開いたかと思うとシベリアはそう俺に聞いてきた。
目を合わせるたび睨まれていたのでかなり身構えていたが、発せられた言葉は思いのほか大したことではなかった。
ただ将来の夢を聞きたかっただけらしい。緊張がゆるみほっと胸をなでおろす。
グラテロル家は六人家族である。
父のアルバート、母のソフィア。
子供は四人おり、長男のレオン、次男のカイル、三男のノア、最後に妹のリリアナ。
もちろん後継ぎは上の者から優先されるわけで、俺に回ってくることなどまずありえない。
つまり俺の意見を聞いても全くもって意味がないのだ。
領主の息子である以上、貴族としての責務を求めているのだろうか。
兄さんたちの足を引っ張るなという意味も含まれているのかもしれない。
ふと、この領について考えてみる。
魔物の出る森と隣国に接するこの町は確かに危険であろうが、それを抜きにしてみればこのグラテロル領というものは辺境とは思えないほどの魅力がある。
資源の豊富なダンジョンをいくつも保有し、気候が穏やかで水はけもよいこの土地では作物も簡単に育てやすい。資源も食べ物もダンジョンもあるのであれば一獲千金を求め多くの冒険者がやってくる。冒険者が増えると商人や職人が住み着き彼ら向けに商売を始めるのだ。このようなロジックでグラテロル領の中心街は信じられない程に発展している。
……ふと、俺は考えてみる。
レオン兄さんは天才。カイル兄さんは剣豪。妹のリリアナは俺よりも賢いと思う。
領の指揮も、領の防衛も彼らに任せておけば大丈夫であろう。
資源もある。食べ物もある。辺境であるが故に資金はそこまで多くないが、辺境とは思えないほど街は発展している。それを率いる領主は英雄で後継ぎは天才ときた。
冒険者も多く、騎士団も強い。領を守れるほどの武力も有している。
現実に意識を戻す。
依然俺は寝ころんだままだが、彼女もまた俺を睨めたままであった。
………いったい何を問いたいのであろうか。
完璧だ。完璧すぎるのだ、この領は。
少なくとも俺が何かをやらかしたとしても、揺らぐような領ではない。
無論、何かをしでかすつもりは毛頭なく、何なら兄さんたちの脛を限界までかじり働くことなく一生養ってもらう気でもいる。――てか、俺いらなくね??
………まあ、不満が無いわけでもない。
娯楽だ。とにかく娯楽が少ないのだ。
人生とは暇潰しの連続である。この世界に来てようやくその意味が理解できた気がする。
皆忙しいため子供の相手をしてくれる暇がないのだ。相手をしてくれるのは可愛い妹のリリアナだけ。しかも遊び道具もない。ゲーム生まれゲーム育ちの俺にはとてもきつかった。チェスとトランプだけの遊び道具でどうやって楽しめというのだ。常にアレンジしてリリアナに飽きられぬよう必死だった。
仕方がないのだ。彼らはこの世界で生きてきた。彼らにとってはこれが普通なのだ。
「………みんなを笑顔にしたいかなあ」
「――っ!? ………そうですか。」
自然と口から言葉が漏れた。
彼らが笑顔でないわけでもない。娯楽に飢えているわけでもない。
ただ、知ってほしいのだ。屋内でやるゲームの楽しさを、屋外でやるスポーツの楽しさを。この世にはトランプのカード一束では表せない数多の娯楽があるということを。
反射で漏れ出た口に手を当てるが間違いでないため訂正はしない。
シベリアは俺の言葉に一瞬瞳孔を開いた気がするが、瞳を伏せ考えに耽っている。
数秒して伏せていた瞳を開きゆっくりと顔を上げたシベリアは、何かを表情から読み取ろうと俺と目と目を合わし言葉を紡いだ。
「………ノア様。私と手合わせを願います」
俺はただ何も考えず首を縦に振った。




