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異世界には娯楽が少ない。  作者: 紅くらげ


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012 第一楽章



 ――そこにノアはいなかった。



 夕暮れ時の空、茜色に照らされる大地。

 その果ては想像できぬほどに広がり、どこまでも続いていた。


 ――風が吹いた。


 呼応するように虫達が(ざわ)めき、鳥は一つ喉を鳴らす。

 草花はたなびきその身を任せ、木々はしなり音を奏でた。


 沈んでゆく。太陽が沈んでゆく。

 雲は黒く影を落とし、来たる夜を迎え入れる。


 月が出るのだ。星が出るのだ。

 光のない空に輝こうと、その晴れ舞台を待っているのだ。


 それは昼から夜への移ろいだった。

 何億とも繰り返される、一日のたった数分。


 幻想的で。神秘的で。

 赤と青で彩られる、――昼と夜の交わりだった。



「……どこだ、……ここは。」


 夕暮れ時の空、一面に広がる平原。

 その中心にただ一人、ポツンと立ち尽くす私はそう溢した。


 一度、目をこする。


 おかしい、すべてがおかしい。

 目を閉じるまでとはなにもかもが違う。


 昼だったはずだ。地下にいたはずだ。手合わせをしていたはず……なのだ。

 考えれば考えるほど疑問は沸きつづけ、そのすべては解決しない。



 景色だけではない、私自身も変わっていた。


 纏っていた運動用の安い下着は手首まで延び、逆に履いていた長ズボンは腿の付け根まで短くなっていた。それを隠すかのようにガーターベルトやレッグリングがお気持ち程度に素肌を隠し、どこからか出てきた黒い布が私の口元を覆う。


 その姿はまるで、アサシンのようだった。




 ……変だ。

 

 景色、服装、エトセトラ。

 どこをとっても違和感しかないが――問題はそこではない。



 ……風だ。

 感じなかったのだ、何一つとして。

 木々をしならせ草花を揺らし、確かに風は吹いていた。

 だが私は一度も感じていない、流れる風は一度たりとも私の肌には触れていないのだ。


 それだけではない。

 私の腰のあたり――何も下げていないはずなのに黒いベルトの下がわずかに重く、ほんの少しだけ重心がずれている。ハーフパンツでむき出しにされた両の脚には確かに布を纏っているような感触が残っている。


 ……目に入る光景と、肌で感じる感覚のズレ。



 その不可思議を確かめるため、ゆっくりとしゃがみ草に手をやる。

 ……手は空を切った。


 石ころで不安定な足元にもっていく。 

 ……ひんやりと冷たい板材の感触がした。


 明らかに異常をきたしている。



 ……思い当たる節はあった。

 以前、知り合いから聞いたことがある。

 言葉巧みに操り()()であると思い込ませる催眠と同じように、魔法で幻覚を見せ、あたかもそれが()であると思わせる魔法があるということを。


 それは種類はあれど、総称して幻術といった。


 ……だが、そうであると私は断言できないのだ。

 幻覚はあくまでも幻覚だ。所詮は脳をだますトリックであり、幻であると解れば全ては瓦解する。

 私は何度も疑った、これは幻覚であると疑った。幻術であるならばそれで解けるはずなのだ。

 なぜ解けない? そもそも幻術ではないのだろうか?

 明らかに魔法であった。それだけは確かなのだ。


 ……いや待て、根本が違う。

 そもそも魔法を発動したのは私だ。剣士の魔力量などたかが知れている。

 どんな魔法であったとしても、視覚も聴覚も遮断するそんな大それた技など私の魔力量では到底打てるはずもない。そんな魔力、いったいどこからきているのだろうか……?


 ……あの魔道具だ。


 目線を胸元へと下げる。渡された魔道具は私の目からは消えていた。

 だが、気配はあった。これを外せば元通りになるのだろうか。


 危険物に触れるように、恐る恐る手を首元へ持っていく。


 ……あった。確かにあった。首元を這うチェーンが指にかかった。

 冷たく、固く、頑丈にそれを守る金属が指に触れた。……その時だった。



 ――世界に帳が下りた。


 色とりどりの景色は一瞬にして闇に染まり、見る影もなく無に帰した。


 ……夜だ。――否、夜ではない。

 空に黒雲がかかったのだ。

 広大な天を覆うように、何かを迎える舞台を作るかの如く、

 黒く、黒く、立ち上る黒雲は世界から色を消すには十分だった。


 音が消えた。

 風の音も、虫の声も、世界から忘れられたかのように消えていた。


 分かっている。すべては幻覚だ。

 分かっている。すべてが幻聴なのだ。

 これもすべてノア様が作る虚像であり、この感情も誘導されているだけに過ぎない。頭ではちゃんと理解していた。


 だが、不安にならずにはいられなかった。

 確信はない。だが、なぜだかわかる。

 獣人族の野性の勘というものだろうか。今まで培ってきた経験だろうか。

 いや、そうではない。どう考えてもそれは嵐の前触れであった。

 これだけでは終わらない、そういう気がしてならないのだ。




 歌だ。

 歌が聞こえてくる。


 か細く、ささやくように。

 消え入りそうなその歌声は、鳥肌が立つほどに綺麗で……芯があった。



 気付けば少女がたっていた。

 光のないその世界で、スポットライトに照らされるかの如く。

 白いワンピースを身にまとったはかなげな少女は、いまだ生み出される疑問の数々をまるで邪念だと言わんばかりに、――ただ私の目を奪っていた。


 何かを嘆いているように、誰かを憂いているように。

 消え入りそうなその声で


 ――少女は歌う。


 鎮魂歌(レクイエム)だ。


 ――歌う。歌う。

 魂の叫びだ。誰かへの誓いだ。

 約束を違えたあの人への――感謝だ。



 歌う。少女は歌う。


 揺れる。大地は揺れる。

 その歌に答えるかの如く。


 世界は呼応し姿を変える。



 黒天(そら)が割れた。


 世界を飲み込むその闇を割き

 沈む夕陽が顔を出す。


 黒雲の間を縫う様に、世界に一筋の陽が差した。



 天を割り、大地を鳴動させ、――その者は降ってきた。


 魔王だ。そう呼ぶにふさわしい。


 形などない。黒いもやが全身を纏い、集まった闇がゆらゆらと姿を作り出す。

 顔もなく、声もなく、

 ……ただ、少女を一目見て、――彼の者は笑った。



 歌う。少女は歌う。

 洋琴(ピアノ)が鳴り、提琴(ヴァイオリン)が鳴り

 王に捧げる鎮魂歌は魂を震わせ


 世界はクライマックスを奏でていた。




 ……目をこする。

 何度目だろうか? 分からないが視覚はさらに異常をきたしていた。


 視界の右下。

 何だろうか、青色でできた長方形の物体。二次元のように薄っぺらく何かのメモリがついている。


 視界の左上。

 懐中時計のような小ぶりの時計だ。四時と六時、そして十二時の方角に線が引かれている。その上には残り三分と文字が浮かんでいた。


 そしてそれらの二つの物体は、首を振り視線を変えようとも、初めからそういうものであるかのように、視界に張り付き居座っていた。



 洋琴が鳴る。提琴が鳴る。



 曲が変わった。


 歌声はより深みを増し

 独唱(ソロ)から三重奏(トリオ)へ――


 少女は伏せた顔を上げ

 両の目をしっかりと見開き。


 カチリ、カチリ。


 時計が動き始める。

 秒針は時を刻み、第二楽章が始まった。




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