013 第二楽章
「っっっ!!!!」
反射で飛ぶ。
何が起きたのかは理解することが出来なかったが、考えるよりも先に体が動いていた。
地面を転がり、勢いを殺しながら距離を取る。
―――!!!
――剣だ。
私のいた場所には巨大な剣が刺さっていた。
いや、訂正しよう。――振ってきたのだ。
私のいた場所に、寸分の狂いもなく。
その質量にこらえられず地面が大きく抉れる。
――見ずともわかる。
当たれば……私は死ぬ。
思い出したかのように、はっと天を見上げる。
君臨する魔王は腕を振るい、光の矢を作っていた。
千を超える光の矢が天を覆いつくし、その主の命に従って今、大地に降り注ごうとしていた。
「――くっッ!!!」
体制を立て直す暇なく地面をける。
より速く、より遠くへ。
身体を伸ばし、少しでも安全圏へと手を伸ばす。
だが反応がわずかに遅かったのか、検討むなしく、広範囲に降り注ぐ矢の雨は私の脚に突き刺さってしまった。
……しくじった。
思わず顔をしかめる。
戦闘の基本は機動力だ。動けなければ剣は届かず、避けることすらままならない。そのほとんどを担う利き足を真っ先に潰され、歯を食いしばり痛みに備える。――が、なぜだか痛みがやってこない。
……なぜだ? 思わず首をかしげる。そもそも矢が私に触れた感触すらしないのだ。
一度瞬きをし、今一度確認をする。
確かに私の目には右足に矢が数本突き刺さっているように映っている。
――思い出した。
これはノア様が見せる幻覚であった。
巨大な剣も、光の矢も、空に浮かぶあの王でさえも、最初からこの世に存在などしていない。
視覚も聴覚もノア様の作った幻覚に騙されているだけであって、あくまでも私の本体はあの訓練場にあるのだった。
矢が足に刺さろうとも、剣で胸を突かれようとも、そのすべては幻覚である。
私の本体に何かされない限り、衝撃も痛みも伴はない、至極当然のことであった。
……であれば、彼は何をしたいのだろうか?
戦闘において、五感はどれも欠けてはならない必需品だ。
言葉巧みに私を誘導し、紫黒石をはめた魔道具を首に掛けさせ幻覚を見せる。
その結果、聴覚と視覚は奪われてしまった。ノア様の作戦は完璧だった。
人間の得るほとんどの情報は目と耳だ。それが狂えば著しく戦闘能力は低下する。触覚から感じる気配までもは遮断することが出来ないようだが、それ以外から入ってくる情報があまりにも多い。逆にそのズレから全部がまともに機能していないようにも錯覚する。
あとは簡単だ。
私の間合いの外から勢いをつけ――
一振り。
あっという間に勝敗はつく。
……だというのに、なぜなにもしない??
幻覚ばかりが攻撃をし、致命の一撃はいつまでたってもやってこない。
終始、ノア様の掌の上で踊らされているような感覚。
いや――
……遊ばれている??
脳がそういう仮説を立てたとき、ノアの言葉が頭に蘇る。
『ゲームだけど、死なないでね』
娯楽、娯楽といったか。
ノアは確か娯楽だといっていた。
娯楽といえばあれだ、巷ではやっている王棋や札戯などの遊具のことだ。
私はあまり遊ばなかったが、ルールくらいは知っている。
王棋は法則にのっとって駒を進め、守られている相手の王を取れば勝ち。
札戯はそろった札を捨て、最後に厄札を持っていなかったならば勝ちだ。
頭の悪い私はその遊びに楽しさを見いだせなかったが、孤児院の子供たちは満面の笑みで楽しそうに遊んでいた。
ある光景が脳裏に浮かぶ。
ノア様の笑顔だ。
私に向けた笑顔、あの無邪気な表情。
魔法を使ってもいいと知ったときのあの楽しそうな顔。
魔道具を持ってくるときのあの軽やかな足取り。
――あれは、まるで。
遊びに夢中な子供と全くもって同じであった。
…………いや待て、落ち着け。
暴走を始め、あらぬ方向へ進みそうになった思考を落ち着かせるため、順序だてて考える。
そもそも手合わせをお願いしたのは私だ。
魔法を使わないのですかと聞いたのも、私だった。
私の言動が無ければ手合わせなど始まることもなく、ノア様が魔道具を使うことなどありえなかった。
そもそも、ノア様は研究ばかりの子供で、基本的には部屋に籠っているため、外に出ることなどはめったにない。今回はたまたま私たちが訓練していたところにやってきたが、外に出ること自体が珍しいため、あくまでも試合が始まったのはノア様の気まぐれからであって、運動していたのも――
…………本当に??
普段は引き籠っているはずなのにわざわざ外に出てきたのはなぜだ?
息が切れるほど運動をしていたのは?
メイドに膝枕を頼むことで注目されたのはたまたまか?
私と同じ武器を取り、散々挑発を重ねたのはなんのためか?
すべて――
この状況を作るためだったとしたら?
背筋に冷たい何かが走る。
……まさか、ここまでの会話すべてが。……いや、その会話すらも。
――遊びだった?
……ゲーム。
そうだ、これはゲームなのだ。
初めからノア様は私というおもちゃで遊んでいたにすぎないのだ。
そう考えると合点がいく。ノアの言動すべてに説明がつく。
視界の隅に映る二つの物体に目が留まる。
時計の針は十五を進み、青のゲージは十分の一ほど削れていた。
思い返せば、あの魔王が動き始めたのは時計の針が進みだしたのと同時だった。
それまでは宙に浮かび、まるで何かを待っているかのように静止して動かなかった。
そして針が一歩を踏み出したとき世界は動き出した、否。ゲームが始まったのだ。
だとするならば、あの三分は時間制限ではない。
満刻まで逃げ続けなければいけないという、タイマーなのだ。
ごくりと唾を飲み込む。
この距離では攻撃する手段がない。
あったとしても幻覚に攻撃など届くはずもない。
できることは一つしか残されていなかった。
ゲージが尽きる前に。
時間が満ちるその瞬間まで。――逃げ続ける。
嫌な思考が私を襲う。
――もし。
もし、奴の攻撃を受けゲージが減り、ゼロになってしまったとき。
彼の王の猛攻に耐えられず、ゲージが減りきってしまったとき。
――私は、私は……。
――駆ける。脱兎のごとく。
気付いてしまった、理解してしまった。
初めに抱いた恐怖が、一番正しかったのだ。
地面から突きあがる岩突を避け、追い打ちをかける闇の球体を躱す。
忘れていたが、紫黒石は少しの衝撃で大爆発を引き起こす。
落ちてきた剣を躱したとき。降り注ぐ光の矢を避けたとき。
私は地面を転がりながら、衝撃を流していた。
私の胸には依然としてあのネックレスがかかっている。
さすがにあの速度で動けば間違いなく作動するであろう。
つまり、あの紫黒石は制御されているのだ。
そんな技術、聞いたこともない。だが実際に目の前で起きている。
ハナからあれは私を縛る "枷" ではなかったということだ。
『ゲームだけど、できるだけ死なないでね』
ノアの残した言葉が、何度も、何度も、脳に反響する。
シベリアには学がない。
魔法については詳しくは分からない――が、あの魔力量ならどうだろうか。
国をも亡ぼせる、あの膨大な魔力量。
魔法に疎い私でさえも恐怖を感じたほどのあの魔力量ならば……。
獣人一匹呪い殺すなど造作もない――。
飛ぶ斬撃を避け、這い寄る蔦を躱し。
ノアの掌で踊りながら、必死に生にしがみ付いていた。
反撃する手は失われ、息をする暇もなく、ただひたすらに逃げ続けていた。
恐怖。恐怖である。
シベリアは幼いころに植え付けられたトラウマを思い出していた。
村が魔物に襲われた時のあの恐怖を、ただ蹂躙されることを見ることしかできなかったあの恐怖を。
息が切れようとも、手足が血で滲もうとも。
前へ、遠くへ、命を削りながら魔物から逃げ続けていたあの恐怖が蘇ったのだ。
氷の槍をしゃがんで躱し、毒の沼を跳んで避ける。
強さとは様々だ。アルバート様とは違った異質の強さ。
パワー、スピード、頭脳。どれにも属さない異質の強さ。
ああ。鍛え抜かれた肉体も、磨き続けてきた剣技も、圧倒的強者の前では無力。
敵うはずがないのだ。彼らには。
凡人と天才の差のような、そんな陳腐なものではない。
種が違うのだ。生まれ落ちた魂の格が違うのだ。
努力など、才能など、戦闘民族である血筋など、全くもって意味をなさない。
炎の息吹が頬を掠め、痛みも衝撃もなく淡々とゲージが減る。
慣れない。未だ死へと歩んでいるというのに、気配と視覚との差に思うように体が動かない。脳は常にSOSを出している。だが裏腹に肉体は危機感が足りていない。
気持ちが悪い。
何かに蝕まれていく感覚であった。
毒に侵されたり、手足が腐り始めたり、そういう感覚ではない。
ただ何かに蝕まれているのだ。気づかぬうちに、少しづつ、少しづつ、死へのカウントダウンが進んでいく。
時計は絶え間なく時を刻み、一分が過ぎた事を告げた。
ゲージは半分を切り、青から黄色へと変わっていた。
死にたくない。死にたくない。
筋肉を動かし呼吸を止め、しがみつく。抗う。
禍々しい魔力波を避け、降る矢の雨を躱し、光の波状撃を伏せて躱す。
何十、何百とも絶え間無く襲い掛かる猛攻を必死に避け――
――一筋の光を見つけた。
……パターンが有る。
あくまでも作られたものなのだろう。
腕を振るうと早い単発の。
溜めの時間が入ると遅い波状撃。
確かめるように空に構える王を見つめる。――間違いない。
疑問はすでに確信へと変わっていた。
速さも手数もすさまじいが、パターンが分かれば対処できない程ではない。
シベリアは戦闘民族である。体は考えるよりも先に動くのだ。
降り注ぐ闇の弾丸を避け、迫る炎の壁を躱し、風の刃を捻りながら回避する。
――駆けろ。駆けろ。脚を回せ。時計の針は二分を超えていた。
天に浮かぶ彼の異形はその姿を変え、怒り狂う様に魔術を唱えている。
攻撃頻度も徐々に上がっていき、パターンも種類も増えていく。
ゲージは四分の一を切り。
青から黄色へ、黄色から赤へ。
炎の渦、光の壁、岩の槍、水の刃。
頬を掠め、薄皮を切り、指先に触れる。
その度、ゲージは赤くひかり、ついには点滅を始めていた。
踏ん張る。歯を食いしばる。まだ、まともには食らっていない。
息を吐く暇もなく。全身を鳴動させ、脳を動かす、集中する。
避けろ、避けろ、避けろ!!!
体中が悲鳴を上げるがそれでも動けと命令を出す。
限界などとうの昔に越えていた。
もっと速く、もっと速く……。
全身に力を込め、血液を回し、寸でのところで躱していく。
一瞬でも迷えば手遅れである。一度でも判断を違えれば命はない。
集中しろ。脚を回せ。
――駆けろ。駆けろ。駆けろっ!!!
飛翔する剣を避け、炎の息吹を躱し、迫る光の波状撃を――
――体中に衝撃が走った。
痛みだ。全身を巨大な物体に轢かれたような痛みが走る。
……何だ、……何が起こった??
思考は一瞬でパニックに陥りかけるが、軍人として培われた冷静な部分がそれを制す。
……いくつか骨がいかれている。内蔵の損傷も芳しくない。いつものように体の状況は分析できていた。
……立たなければ。茜色の夜空に悠々と浮かぶそれは、指にかたどられた闇を揺らし邪悪な魔弾を打ち込んできている。
「――ッ」
避けようと歯を食いしばり全身に力を込める。――が、想像だにしない痛みに耐えられず、脳が停止命令を出した。反射だ。超えてはならぬ壁を守るように、人の本能が抑制する。
……速い。もう間に合わない。
どのような状況に置かれても冷静に判断するように強制された私の脳が、無情にもそう結論を出した。
“あきらめたくない” “死にたくない”
そのような何かが折れた気がした。
もう、全身はほとんど動かせなくなっていた。
オーバーヒートしていた筋肉はゆっくりと冷め、限界を超えた代償がこのタイミングでやってくる。
ああ、……私は、……死ぬのか。
プツンと何かが切れたかのように力が抜け、迫る魔弾を最後にゆっくりと目蓋を閉じる。
……おかしい。
いつまでも衝撃を感じない。……私はもう死んでしまったのだろうか。
不安に駆られながらもわずかな勇気と共に目蓋を開ける。
……目の前には悪魔がいた。
倒れた私を覗き込み、心配そうな表情でその悪魔は口を開いた。
「……あの、だいじょうぶ??」
……ああ、私はなんて恐ろしい異形に手を出してしまったのだろうか。
「……助けていただき、……ありがとうございます」
薄れゆく意識の中、私はただ、幼き怪物に首を垂れることしかできなかった。




