010 家臣の務め
……なめられている。
ノアの剣を軽々と弾き、シベリアはそう認識した。
武器など何でも良いと、よりにもよって私と同じ片手剣を選び、散々あおったうえでなお棒立ちである。
ノアが剣を構えたとき、シベリアは確かに興奮していた。
柄を逆手に持ちふらふらとした不定のリズムで揺れるそれは、シベリアが見てきたどの流派にも属さない新しい構えであり、あのアルバートの息子でありカイルの弟でもある、未知数な彼の力を見ることが出来るのだと、少し胸を高鳴らせていた。
二年前、剣術すらまともに習っていないカイルがポテンシャルだけで三割近くまでついてきたことは紛れもない事実である。ノアはいったいどこまでついてくるのだろうか。
手始めに一割だ。ほんのわずかに全身の筋肉に命令を出す。
いくら血筋というものがあるとはいえ、ノアがまだ成長期真っただ中であるということは頭の悪いシベリアでも十分に理解していた。
だが、どこか期待してしまっている。ノアであれば大丈夫であろうと、ノアからはそんな雰囲気、剣豪たちとは違う謎の……違和感? のようなものをまとっているようにおもえた。
最初は様子見である。徐々に出力を上げていくつもりではいるが、もし簡単に見切られたのなら、一気に二割近くまで上げても問題ないだろう。
一つ深呼吸をし、剣を構える。
焦ってはいけない。冒険者時代にこれでもかと学んだことだ。
身体は燃やせど頭は冷静に、……いつものことである。
深く酸素を取り込んだことで体中の血液が回り出す。
準備は終わった。審判役のフランツに目配せをする。
彼も私も真剣な表情だ。この腕試しは上のお二方にも行った恒例の儀式のようなものである。この儀式の重要性ぐらい全員が分かっていた。
騎士団の団員たちが息をのむようにその行方を見守る。
……しばらくの間、静寂が流れた。 ――そして
「はじめ!!」
合図が鳴った。
――同時、思い切り一歩を踏み込む。……彼は真剣な表情を浮かべたまま全く動く様子がない。
もう一歩踏み込み一気に距離を詰める。……彼はまだ動かない。
懐まで入り込み剣を構える。……まだ動かない。
薙ぐように剣をふりはら……なぜ動かない??
何千万回と研鑽を積んだいつもどおりの剣を振り残心が残る中、ノアに抱いていた疑問はやがて苛立ちに変わっていた。
彼は私のことを目で追うこともなく、元いた場所を一転に見つめ、ただ隙を晒したままぼーっと突っ立っている。
あのアルバートの息子だ。いくら筋肉が無かろうと目で追うことぐらいは可能なはずだ。それがどうだ? 彼はピクリとも動かなかった。いくら何でも一ミリも動かないのはおかしい。ノアは動けないのではない、――動かなかったのだ。やはり、……なめられている。
「ノア様、真面目にしていただいてもよろしいでしょうか。」
相手は辺境の三男坊であろうとも仕えている貴族の子供である。
こみ上げる怒りを無理やり押さえつけ、剣を腰に戻しながら紡ぐように言葉を出す。
どういうつもりなのだろうか。
やはり、貴族の子供のことはよくわからない。
いつみても彼の表情からは何も読み取ることが出来ない。
――その時だ。ノアが何かを指さした。
私の背後だ。つられるようにして振り返る。……何もない。
あるのは訓練場の石壁のみ。誰がいるわけでもなく、ノアの指さすものが何であるかも理解できなかった。
『すきあり―』
何がしたいのだとノアに直接聞くため視線をノアに戻そうとするとき、急にノアが声を上げ、腰に差していた短刀を振り下ろしてきた。
……おそい。あまりにもおそい。
一瞬にして太刀筋を見切り、避けると同時に剣を弾く。
カラン。カラン、
静寂の中、短刀の転がる金属音だけが響いた。
「……ノア様、真面目にしていただいてもよろしいでしょうか。」
気付けば、先程より低い声が出ていた。
表情からは何も読み取れないが、馬鹿にされていることだけは分かった。
ノアは両手をすくめ、落ちた短剣を拾いながら言葉をつづける。
「ほら、奇襲してもやられたんだよ? これ以上やっても意味ないって」
「⁉⁉ なにを――」
――なにを言っているのだ、この子供は。
奇襲? ……笑わせる。なんだあのゆっくりとした縦振りは? そもそも大声を出しては奇襲の意味がないではないか。
貴族の子供とやるご機嫌取りのおままごとではないのだ。わぁーとわざとらしい声を出して負ければよかったのだろうか。ノアの一連の行動はどこからどう見ても大根役者の下手な演技にしか見えなかった。
周りを見渡す。部下たちは口をあんぐりと開け、驚愕の表情を浮かべている。
……くそ、私が折れなければならないのだろう。
貴族とはいえ、子供とはいえ、馬鹿にされたまま引き下がっていては部下に示しがつかない。真面目に剣を合わせるには私が折れてノアの条件をのむしかないのだろう。
――用は、ノアは気持ちよく剣を振りたいのだ。
傲慢で、自分勝手で、思うようにいかないと気分を損ね駄々をこねる、まさに貴族のそれであった。
「……わかりました。先手は譲ります。」
「――え!? まだやるの!?」
ノアが驚いた声を出す、彼の中ではこの立ち合いはすでに終わっていたのだろう。このままではいけない。少しでもやる気を出してもらうよう、下手に出ていくしかない。何とかして説得するのだ。
「……私はノア様が剣を振るまでここから一歩も動くことはありません、――どうですか、これで良いでしょう」
「いやいや、そういう意味じゃ……。ていうか不意を突いても簡単にはじかれたんだよ? 一歩も動かなくても意味ないって……、それにもう俺疲れたんだけど……。怖いし、痛そうだし、全然楽しくないし、俺にメリット無いし……、etc」
「ッ!! ――分かりました。 剣は弾きませんし、確実に一撃を受けますッ! カウンターや攻撃を跳ね返すことも致しませんッ! 疲れたのであればすぐ終わりますし、私に勝ったのなら何でも一つ言うことを聞きます!! ……ですので、ですので!! ――どうか。……どうか真面目に剣を振っていただけないでしょうか!!!!!」
熱がこもり捲し立てるように言葉を羅列する。最後の方はもはや懇願になっていた。ノアの言葉にイライラしてしまう自分がいる。
ノアはびっくりしたように目を見開き、恐る恐る口を開く。
「…………なんでも?」
「――っ!? ……何でもです。」
……吐いた言葉は戻らない。冷や水をかけられたかのようにはっと我に返ったが、ノアの言葉をオウムのように繰り返す。万が一にも負けることはないだろう。……大人と子供の差、シベリアが一番身をもって知っていた。
コケにされていたことで少し頭に血が上っていた。少し冷静になり頭を冷やしながらポーカーフェイスを立て直し、反省する。
「なら、ちょっとぐらいならいいけど……」
視線をノアに向ける。少しはやる気になっていただけたようだ。
……はあ。やっとだ、やっとである。
ここまでの茶番劇、ノアがやる気を見せてくれるまでけっこうな時間をかけてしまった。いつもとは違う謎の疲労感に襲われながらも、剣を構える。
そこで一つ疑問が浮かんだ。たしかノアは魔法師ではなかっただろうか。
あくまでも人づてではあるが、長男であるレオン様からは魔法の研究をしていると窺ったことがある。
……なぜ、魔法を使っていないのだろうか。使うそぶりも見せなければ魔力の流れも感じない。魔法師がよく使う、オーソドックスな身体強化すら使っていないように見える。
「……時にノア様。風のうわさでノア様は魔法師だとお聞きしたのですが、攻撃魔法は使わないのでしょうか。魔法師であるなら身体強化魔法ぐらいは使えると思うのですが。」
これ以上無駄な茶番劇を避けるため、意を決して聞いてみる。何か使わない理由でもあるのだろうか。
少し言葉の節々に棘を入れてしまったが、売り言葉に買い言葉だ。貴族とはいえおいそれと黙っておく訳にもいけない。態度には気を付けるが多少言葉に出しても問題はないであろう。堪忍袋も切れかかるぎりぎりであった。
するとノアは怒るでもなく不機嫌になるでもなく驚いたような表情を浮かべていた。
「え、魔法って使ってもいいの!?」
……知っているだろうに、大根役者顔負けの大袈裟なリアクションだ。
それともあれか? 部屋に引きこもりすぎて本当に知らないのか??
……そんなことあろうはずがない。私はここにきても明らかに馬鹿にされていた。
「……全然かまいません。そういえばノア様は魔法の研究が終わったとお聞きしましたが、それを使ってみればよいのでは? 私はどうせ必ず一撃受けますので」
言葉には出ど、顔に出さないように気を付ける。
自分でもわかるほど、明らかにイライラしていた。
「いいの?? やった!! まだ完成はしてないけど一回使ってみたかったんだ。」
そういうとノアは『ちょっと待ってて』と言い残し訓練場から立ち去ってしまった。
ふう~、と一つ深呼吸をする。
なぜか浅くなっていた呼吸が仕事を思い出したかのように酸素を肺に送り込む。
グラテロル家を見てどうやら私はマヒしていたようだ。ノア様以外が優秀なだけでどうやらノア様は違うらしい。巷の貴族の言動を思い出し、深く吸った空気を出すとともにため息をついた。
もう一度周りを見渡す。部下たちは哀れそうな目で私を見ていた。
貴族の子供に振り回される哀れなメイドを見るような目を私に向けていた。
ノア様は貴族の子供で私はメイド。何も間違っていないことに皮肉を感じる。
それにしてもどうしたのだろうか。
グラテロル家の者は優秀で、民にも優しく、貴族とは思えないほど欲がなく紳士的である。民からはそう評価されており、使える私の目から見ても贔屓目抜きにそれは真であるといえる。であるのに、どうしてノア様はあのような自分勝手な言動をしているのであろうか。
……思い返してみればおかしい点はいくつかあった。
ノア様はなぜか初等学校に通わず、生活リズムも滅茶苦茶に乱れていた。
それだというのにソフィア様とアルバート様はノア様の我儘を通しただけでなく、研究費と称して少なくない賃金を毎月ノア様にお与えなさっている。
明らかにノア様は甘やかされていた。
レオン様もカイル様も、末娘であるリリアナ様であっても、我儘を言い、駄々をこねたなど噂でも聞いたことがない。
ああ、そうか。子供の我儘が初めてで、お二方はつい甘やかしてしまったのだろう。子供が優秀すぎたのだ。優秀すぎる兄弟を持ってしまったことでノア様はああなってしまったのだろう。
肩を回し筋肉を軽くほぐす。
カイル様から始まったこの儀式だが、続けてきてある意味正解だった。
ここでノア様が研究した成果を、私が簡単に受け止めるのだ。世間はそこまで甘くないのだと、そう簡単に思ったようにはいかないのだと、ぬるま湯に浸かったノア様の顔をひっぱたき正気に戻して差し上げなければならない。
五分ほどまち、石階段を駆け下りる音が聞こえてきた。
ノア様だろう。“逃げたのでは”という考えが何回か頭によぎったが、よほど自分の魔法に自信があるらしい。その足取りは軽やかだった。
そんな甘やかされ肥大してしまったノア様の自信を、その魔法ごと私が両断しなければならない。
今一度、胸に手を当て気を引き締める。
完璧のように見えたグラテロル家だが、……欠点があった。
いくら英雄だとはいえ、どこまで行こうと人は人なのだ。
それもそうだ。――であるならば、それを正すのが部下の定め。
これは、グラテロル家に仕える私の責務なのだろう。
ガラガラと訓練場の扉が開き、――ノアが入ってきた。
反応するように、その場にいる全ての者が視線を向ける……そして、誰一人欠けることなく固まった。
――ノアだ、ノアである。
当たり前だ。予想どおり、そこには満面の笑みを浮かべたノアがいた。
だが、そこではない。そこではないのだ。皆の視線はノアではない、――その下、……ノアの首元に向けられていた。
『ッ!?』
時間が止まったかのように、全員が停止した。
瞬き一つない。指一本たりとも動かない。
思考を停止したかのように、すべての視線を“それ”は奪っていた。
黒く、黒く、……禍々しく。
取り込まれそうなほどおどろおどろしく黒紫色に光る“それ”は、金属でできた六芒星の中心にどんと居座り、一目見ただけで分かるほどの莫大な術式が込められたジュエリーという名の高価な装飾品をその身に宿していた。
莫大な術式と莫大な魔力量。秘められたものが、何であるかは分からない。だが、呪具とも言えるそれはどうみても、――ネックレスであった。
“一撃受ける”。騎士団たるものその誇りにかけて言質を覆すことは許されない。しかし、シベリアはノアが笑みを浮かべ嬉々として持ってきた“それ”を目にし、一瞬にしてその信念が崩れそうであった。




