EP 7
太陽と月が支配する会議室――世紀の調印式
昭和16年(1941年)。
帝都・東京、帝国ホテルのメインバンケット。
「……彼女が、あの『ジュネーブの聖女』か……」
真っ白なドレスを揺らし、会議室に足を踏み入れた日野輝夜の姿を見て、アメリカ大統領とイギリス首相は息を呑んだ。
自国の国民たちが熱狂し、「彼女を見習え」と暴動まで起こす原因となった、大日本帝國の特命全権大使。写真や映像で見るよりも遥かに神々しく、その澄んだ瞳には、大国を前にしても微塵も揺るがない『月の光』が宿っていた。
輝夜は、円卓の最上座でふんぞり返る近衛文麿(若林幸隆)の隣に静かに立ち、列強の首脳たちに向かって、優雅に一礼した。
「アメリカ大統領閣下、イギリス首相閣下。遠路はるばる大日本帝國へお越しいただき、心より歓迎いたします」
輝夜の、鈴の音のように澄んだ流暢な英語が響く。
「……聖女殿。あなたが我々を歓迎してくれるのはありがたいが、この『条約』はあんまりだ」
アメリカ大統領が、すがるような目で輝夜を見た。
「近衛総理は、我々に一方的な敗北(完全降伏)を強いている。……こんなものにサインして帰れば、我々は国を売った無能な指導者として、国民から糾弾されてしまうのだ!」
「……いいえ。大統領閣下」
輝夜は、ふわりと慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「この条約は『敗北』の証明ではありません。大日本帝國と欧米列強が手を取り合い、世界を救うための『名誉ある人道支援の誓い』です」
「……人道支援の、誓い?」
「ええ」
輝夜は、テーブルに置かれた分厚い条約書の一節を指し示した。
「現在、我が国は満州において、数十万人の難民を受け入れる巨大なプロジェクトを進めております。しかし、日本一国の力では、彼ら全員を豊かに養うことはできません」
輝夜は、言葉を切って大統領の目を真っ直ぐに見据えた。
「ですから、自由と平等を重んじる『偉大なるアメリカ合衆国』と『誇り高き大英帝国』に、この難民救済プロジェクトの【共同スポンサー】になっていただきたいのです。……皆様が支払う莫大な資金は『敗戦の賠償金』ではなく、『世界を救うための尊い寄付金』として、歴史に刻まれます」
「あ……ッ!!」
アメリカ大統領とイギリス首相の全身に、雷に打たれたような衝撃が走った。
(そうか……!! そういうことか!!)
大統領の頭の中で、すべてのピースが完璧に噛み合った。
もしこの条約にサインすれば、彼らは自国に帰って国民にこう演説することができる。
『我々は日本への経済制裁を解除した! なぜなら、日本と共に世界中の難民を救うという、より崇高な人道同盟を結んだからだ!』と。
幸隆が突きつけた「莫大な資金提供」という残酷な罰を、輝夜が「人道のための名誉」という美しいオブラートで包み込んだのだ。
これなら、自国民の暴動も収まり、大統領としての体面も保ちつつ、崩壊しかけた経済を元に戻すことができる。
だが、それは同時に「大日本帝國の描いた盤面から、二度と抜け出せなくなる(永遠の属国になる)」という、完全な敗北を意味していた。
大統領は、隣に座る幸隆を見上げた。
漆黒の和服を着た極東の修羅(幸隆)は、ドカッと足を広げたまま、ドス黒い笑みを浮かべていた。
(……なんという恐ろしい男だ。自らは悪魔(恐怖)として完全に我々の退路を断ち、同時にこの美しい聖女(慈悲)を使って、我々が自ら喜んで首輪をはめるよう誘導したのだ……ッ!)
「……大統領閣下。どうしますか?」
輝夜が、静かにペンを差し出した。
「もしサインを拒否されるなら、このお話はなかったことに。……我が国は単独で難民を救い、あなた方の国の経済(心臓)は、総理の言う通り、明日完全に止まることになりますが」
優しい口調の裏に隠された、絶対に逃れられない「完全なるチェックメイト」。
「……うう……ッ、あ、ああ……」
大統領の手が、ガタガタと震えた。
彼はもはや、何の反論もできなかった。世界最強を誇った合衆国のプライドは、幸隆の『黒い太陽』と輝夜の『月』による究極の挟み撃ちの前に、完全に粉砕されたのである。
「……わかった。私が……サイン、しよう」
大統領は、震える手でペンを受け取ると、条約書の最後のページに、自らの署名を書き込んだ。
それに続くように、イギリス首相もまた、泣き出しそうな顔でサインを済ませた。
ピカッ!! ピカピカッ!!!
世界中のメディアのカメラが、一斉にフラッシュを焚き、この歴史的な瞬間をフィルムに焼き付けた。
「……クックック。よくできたのう、お前ら」
幸隆は、サインの書かれた条約書を引き寄せ、満足げに紫煙を吐き出した。
原爆も、特攻隊も、焦土と化した東京も、そこにはない。
大日本帝國は、たった一人の兵士も死なせることなく、血の一滴も流さずに、超大国を完膚なきまでに屈服させたのだ。
史実が抱えていた最も悲惨な『トラウマ』を、未来から来た二人のチートプレイヤーが完全に書き換えた、歴史の特異点。
「総理。これで……すべて終わりましたね」
フラッシュの光の中、輝夜が幸隆を見上げて、ふわりと微笑んだ。
「ああ。これからはワシら(大日本帝國)が、この世界の新しい『ルール』じゃ」
最強の悪党政治家と、世界を救う静かなる聖女。
彼らの足元に列強がひれ伏すその光景は、パクス・ジャポニカ(日本による世界の平和)の完全なる完成を告げる、黄金の時代の幕開けであった。




