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EP 7

影の内閣崩壊――月の論破

昭和15年(1940年)冬。

帝都の地下深くに位置する特別監房。その面会室の分厚いアクリル板の前に、近衛文麿(若林幸隆)はドスッと重い音を立てて「分厚いファイルの束」を投げ捨てた。

「……さて。おどれの可愛い『影の内閣』の連中から搾り取った、裏帳簿の全データじゃ」

幸隆は、ドス黒い広島弁で低く笑った。

「お前が指示したスイスへの送金ルートも、海軍の裏金の隠し場所も、全部ワシの直属の『掃除屋ヤクザ』たちが物理的に回収してきたわ。……どうじゃ? 自分の作った完璧な盤面が、たった半日で木端微塵にされた気分は」

アクリル板の向こう側。

囚人服を着た赤山天人の顔から、これまで彼を形作っていた「完璧な微笑(UI)」が完全に消え失せていた。

あるのは、理解不能な事象に直面し、フリーズした機械のような強張った表情だけだ。

「……あり得ない。あなたは、大日本帝國の総理大臣だ。自らが築き上げた法治国家のシステムを、自らの手で破壊し、無法者ヤクザを放つなど……。そんな非合理な自傷行為、どんなゲーム理論にも存在しない!!」

赤山は、アクリル板に両手を叩きつけ、初めて声を荒らげた。

「法を破れば、あなたはただの独裁者(暴君)だ! 後世の歴史家から非難され、国民からの支持も失う! あなたは『自分の保身』と『権力』を最も重んじるはずの政治家ではないのか!!」

「政治家? クックック……」

幸隆は、肩を揺らしてドス黒い笑いを漏らした。

「ワシはな、この国(輝夜)を守るためなら、歴史に大悪党として名を残そうが、地獄に落ちようが、知ったこっちゃねえんじゃ。……てめえみてえな空っぽのガキには、一生理解できん『温度』じゃろうがな」

「温度、だと……? くだらない! そんな非論理的な感情で、私の完璧な数式アルゴリズムが……!」

「――ええ、あなたの数式は完璧でした。ただ一つ、『一番大切な変数』が欠落していたことを除けば」

幸隆の背後から、静かに歩み出た日野輝夜が、凛とした声で言い放った。

彼女の澄んだ瞳が、ガラス越しに赤山の狂乱を真っ直ぐに射抜く。

「日野、調査官……ッ!」

赤山が血走った目で輝夜を睨む。

「あなたは、人間の『欲』と『保身』だけを計算式に入れて、この世界をハッキングしようとした」

輝夜は、床に散らばった裏帳簿を見下ろし、そして再び赤山を見据えた。

「確かに、人間は弱く、欲に溺れる生き物です。……でも、同時に人間には、自分を犠牲にしてでも『誰かを守りたい』と願う、強くて温かい心(熱)がある。総理は、私やこの国の人々を守るためなら、自分の地位も名誉も、躊躇なく投げ捨てる方です。……あなたには、その『愛』と『自己犠牲』という変数が、どうしても理解できなかった」

「愛……? 自己犠牲……? そんな実体のないポエムで、私の超人思想ツァラトゥストラが否定されるというのか!!」

「否定しているのは私ではありません。あなた自身です」

輝夜の言葉は、決して怒りや憎しみを含んでいなかった。

むしろ、そこにあったのは、途方もなく冷たい『憐れみ』だった。

「あなたは『他者の痛みが分からない』ことを、神や超人の特権だと思っていた。でも違う。……それはただ、あなたが誰からも愛されず、誰のことも愛せなかった結果生まれた、悲しい『欠陥』に過ぎない」

「ッ……!!」

赤山の胸に、見えない杭が深々と突き刺さった。

「あなたは、自分が安全な玉座から愚かな人間たちを観察している気になっていた。でも本当は、暗闇の中で一人ぼっちで震えているのが怖くて、他人を自分と同じ『冷たい影』に引きずり込もうとしていただけでしょう?」

輝夜の言葉は、赤山がひた隠しにしてきた「虚無の正体」を、残酷なほど正確に暴き出していた。

神でもなんでもない。彼はただ、愛を知らない「空っぽの迷子」だったのだ。

「ち……違う……私は……私は、神が死んだこの世界で……愚かな大衆を……ッ!」

赤山は、ガラスにすがりつきながら、うわ言のように繰り返した。だが、その声はすでに誰の心にも届かない、ひどく虚ろな響きだった。

「もう終わりじゃ、赤山」

幸隆が、冷徹な声で最終宣告を下した。

「お前をチヤホヤしてくれた看守も、権力者も、もう一人もおらん。……お前はこれから、誰とも口を利かず、一切の光も音も入らん『本物の独房(暗闇)』で、その空っぽの魂と一生向き合い続けるんじゃ」

「あ……ああ……ああああああッ!!」

完璧だった赤山のUIが、完全に崩壊した。

彼は床に崩れ落ち、頭を抱え、まるで幼児のように泣き叫び始めた。論理も、プライドも、すべてを剥ぎ取られた男の、無様で哀れな末路だった。

「……行きましょう、総理。もう、ここに私たちの太陽と月が照らすべき場所はありません」

輝夜は、静かに背を向けた。

「ああ。地上(ワシらの国)に帰るぞ、輝夜」

幸隆は、最後に一度だけ、泣き喚く虚無の残骸を一瞥し、そして面会室のドアを重く閉ざした。

ガチャリ、と。

永遠の暗闇を封じ込める音が、地下深くの監房に響き渡った。

大日本帝國を揺るがした最悪のハッカー(未来人)との戦いは、最強の政治家(太陽)の理不尽な暴力と、静かなる革命家(月)の圧倒的な論破によって、完全なる決着を迎えたのである。

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