表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/93

EP 2

影の内閣シャドウ・キャビネット――見えない浸食

昭和15年(1940年)冬。

帝都の地下、東條英機が管理する憲兵隊本部の特別監房。

その面会室は、毎深夜、まるで高級ホテルのVIPラウンジのような異常な熱気を帯びていた。

「……赤山先生。近衛総理が提出した『新・労働基準法案』ですが、このままでは我々財閥の工場は利益を出せなくなります。どうか、対策を……!」

「先生! 海軍の軍縮条約の枠組みを誤魔化すための、予算の付け替えについてご相談が……!」

分厚いアクリル板の向こう側に座る、囚人服の青年・赤山天人。

彼に対して頭を下げているのは、日本を動かす政治家、大企業の総帥、さらには軍の高級将校たちであった。

彼らは皆、幸隆の作り上げた「誰も切り捨てない、清廉潔白で強権的な国家」に息苦しさを感じていた。

欲深い彼らにとって、自分たちの既得権益を容赦なく削り取っていく幸隆(太陽)は、眩しすぎて直視できない恐怖の対象だったのだ。

だからこそ彼らは、太陽の光が絶対に届かないこの「地下牢」に群がった。

「落ち着いてください。皆さんの要望は、すべて私が『調整』します」

赤山は、看守が用意した高級な玉露をすすりながら、無機質な微笑みを浮かべた。

「労働基準法案については、第十三条の『例外規定』に、一つだけ曖昧な文言を紛れ込ませておきました。そこを突けば、合法的に労働時間を延長できます。海軍の予算については、満州のダミー会社を経由させる『飛ばし』のスキームを使いましょう」

赤山の頭脳から生み出される、現代の悪知恵と抜け穴の数々。

それは、昭和の権力者たちにとって、まさに「魔法の杖」だった。

「おお……! さすがは赤山先生だ!!」

「これで我々も生き残れる……!」

歓喜に沸く権力者たちを見下ろしながら、赤山の瞳の奥には、変わらぬ絶対的な虚無が広がっていた。

(近衛総理は、強大な権力で彼らの『行動』を縛った。だが、彼らの『強欲』までは消せなかった。……欲望がある限り、人間は必ず抜け道を探し、そこに依存する)

赤山はアクリル板に触れ、冷たく笑った。

(私は一歩もここから動く必要はない。……彼らが勝手に、私の代わりに盤面(大日本帝國)を壊してくれる)

地下深くで構築された、欲望にまみれた『影の内閣シャドウ・キャビネット』。

彼らの放つ見えない猛毒は、やがて地上の霞が関へと、静かに浸食を開始した。

   ◆

数日後。霞が関、企画院。

「……どういうことですか。長野の農村に回すはずの『追加のインフラ整備予算』が、三割も削られているなんて!」

日野輝夜は、大蔵省の担当官僚のデスクに資料を叩きつけ、珍しく声を荒らげていた。

「申し訳ありません、日野調査官。しかし、手続き上の『不備』がありまして……」

担当官僚は、目を逸らしながら答えた。

「不備? 完璧に書類は揃えてありましたよ! なぜ、今になって急に『新たな監査が必要』だなんて難癖をつけるのですか!」

「難癖ではありません。我々はあくまで『法と規則』に則って、厳格な審査を行っているだけです。……近衛総理ご自身が、『ルールを厳守せよ』と仰っているではありませんか」

官僚の言葉に、輝夜は息を呑んだ。

彼の言う通り、手続き上は完全に「合法」なのだ。ただ、審査の順番を意図的に遅らせたり、重箱の隅をつつくような指摘を繰り返したりすることで、実質的に輝夜のプロジェクトを『兵糧攻め(サボタージュ)』にしているのである。

(……おかしい。誰もあからさまな反逆はしていないのに、国全体が、まるで見えない泥沼に足を踏み入れたように……重い)

輝夜の背筋に、嫌な汗が伝った。

かつて赤山天人が長野の村を内部崩壊させようとした時の、あの「人間の醜いエゴ」の匂いが、霞が関中に充満しているような気がしたのだ。

   ◆

同じ頃。首相官邸、総理執務室。

近衛文麿(若林幸隆)は、デスクに積み上げられた法案の決裁書類を睨みつけながら、愛用の『ピース』を深く吸い込んでいた。

「……東條」

「はっ、ここに」

直立不動で控える東條英機に対し、幸隆はドス黒い広島弁で低く唸った。

「最近、どうも霞が関の『UI(操作性)』が悪い。ワシがトップダウンで下した指示が、末端に届くまでに妙なタイムラグが発生しとる。……おまけに、議会を通ったはずの法案の条文に、ワシの記憶にない『抜け穴』がいくつも開いとる」

幸隆は、備前焼の灰皿にタバコを押し付けた。

彼の政治家としての鋭い嗅覚カンが、警鐘を鳴らしていた。

これは、ただの官僚の怠慢ではない。誰かが意図的に、システム全体に「見えないバグ」を仕込んでいる。

「東條。お前の情報特高で、各省庁の幹部や財閥の連中を洗え。……誰かが裏で糸を引いとるはずじゃ」

「……承知いたしました。直ちに調査を命じます」

東條は恭しく頭を下げた。

だが、その顔には、彼自身も気づいていない「致命的な盲点」があった。

東條は、外の敵(官僚や財閥)を疑うことには長けているが、自分自身の足元――すなわち、赤山のいる『特別監房の看守たち』がすでに寝返っていることには、微塵も気づいていなかったのである。

「……何か、嫌な予感がするのう」

幸隆は、窓の外の帝都を見下ろした。

目に見える敵(武力)なら、いくらでも捻じ伏せられる。

しかし、人間の「欲」という見えない泥に潜み、合法という盾の裏からチクチクと毒針を刺してくる敵には、国家権力という巨大なハンマーは驚くほど相性が悪い。

地下の玉座で微笑む虚無と、地上で苛立ちを募らせる黒い太陽。

大日本帝國を蝕む最悪の「精神戦」が、今、本格的に牙を剥き始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ