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EP 9

盤面返し(ルールの破壊)――法がないなら、一晩で作れ

昭和15年(1940年)秋。

長野の農村の集会所。受話器を置いた日野輝夜は、血走った目で金(前払金)を求める村人たちに向き直った。

「日野さん! どうなんだ! 国は俺たちの借金を助けてくれるのか!?」

「今すぐ銀行に電話して、金を振り込ませろ!」

騒ぎ立てる彼らに向けて、輝夜は冷ややかな、しかし凛とした声で宣言した。

「……皆さん。明日、太陽が昇るまで待ちになさい。そうすれば、すべてが終わります」

「あ、明日までだと!? ふざけるな、明日には業者が借金の取り立てに来るんだぞ!!」

「来るなら来させればいいのです。……明日、太陽が昇った時、その契約自体が『存在しなかったこと』になりますから」

輝夜の、静かだが確信に満ちた言葉の圧力に、村人たちは気圧され、それ以上何も言えなくなった。

彼女は知っている。帝都にいる「最強の共同発議者」が、今この瞬間、国という巨大なシステムの歯車を、暴力的なまでの力で回し始めていることを。

   ◆

同時刻。帝都・東京、首相官邸の総理執務室。

真夜中であるにもかかわらず、そこには外務大臣の吉田茂、大蔵省のトップ官僚たち、そして憲兵司令官の東條英機が召集されていた。

「……ええか。奴の仕掛けた手口は、債権を担保にした莫大な『保険契約(CDS)』じゃ。村の農家を連鎖倒産させ、それをトリガーにして帝都の投資銀行から合法的に外貨を強奪する仕組みだ」

近衛文麿(若林幸隆)は、黒板に赤山のマネーロンダリングの図式を書き殴りながら、ドス黒い広島弁で怒鳴った。

「これを『現在の法律』に照らし合わせれば、奴のやっていることは完全な合法だ。……だからこそ、ルールごとる。今夜中に、実体のない金融派生商品デリバティブや大規模な空売りを『国家反逆罪』として取り締まる、全く新しい法律の草案を書き上げろ!!」

大蔵官僚たちが、血の気を引かせて顔を見合わせた。

「そ、総理! お言葉ですが、いくらなんでも無茶苦茶です! 法律というものは、帝國議会に諮り、審議を重ねて数ヶ月かけて制定されるもので……一晩で法案を作るなど、物理的に不可能です!」

「それに、そんな法律を作れば、外国の投資家たちから『日本は資本主義を捨てた』と猛反発を食らいますぞ!」

「うるせえッ!!!」

ダァンッ!!

幸隆が、黒板を割らんばかりの勢いで拳を叩きつけた。その覇気に、官僚たちがビクッと肩を震わせる。

「議会を通す時間などねえ! 天皇陛下の『緊急勅令(超法規的措置)』を使う! 陛下への上奏と根回しは、ワシが今すぐ電話でやり切ってやる!」

幸隆は、備前焼の灰皿に火のついたピースを投げ捨て、狼のように牙を剥いた。

「外国の投資家がなんぼのもんじゃ! 今の日本は、アメリカからもソ連からも資源を吸い上げとる『完全な売り手市場』だ。外国の連中が文句を言おうが、日本の市場からは絶対に逃げられん。……法がないなら、今すぐこの場でワシが作る!! お前らはただ、ワシの言う通りに条文の辻褄を合わせりゃええんじゃ!!」

最強の政治家による、徹夜の「独裁チート」。

それは、かつて彼が未来から持ち込んだ「史実の地獄」を回避するために使った、あの強引なトップダウンの再来だった。

だが今回は、国を焦土にしないためではない。自分の愛する「月」のサンクチュアリを守るためだけに、彼は国家権力をフルスイングしたのだ。

「……やれやれ。総理を本気で怒らせるとは。あの赤山という若造も、不運な男ですな」

吉田茂が、呆れたように葉巻の煙を吐き出しながら、万年筆を手に取った。

霞が関の最高頭脳たちが、幸隆のドス黒い怒号の下、前代未聞の『金融統制令』をたった一晩で錬成していく。

   ◆

翌朝。

長野の農村に、一筋の朝日が差し込んだ。

同時に、帝都から日本全国に向けて、ラジオの臨時ニュースがけたたましく鳴り響いた。

『――臨時ニュースを申し上げます。本日未明、天皇陛下の緊急勅令により、【国家金融統制法】が即日発布、施行されました!』

「……なっ!?」

帝都の高級ホテルで、優雅に朝の白湯を飲んでいた赤山天人の手が、ピタリと止まった。

『本勅令により、実体を伴わない有価証券の投機的売買、および債権のデフォルト(倒産)を前提とした保険契約等、いわゆる「新興の金融派生商品」の取引は、国家経済を脅かす【国賊行為】として、即刻、非合法化されます!』

ラジオから流れるアナウンサーの声が、赤山の完璧な計算式(盤面)を粉々に打ち砕いていく。

『また、昨日までに結ばれた該当するすべての金融契約は「無効」となり、関連するダミー会社の資産はすべて国庫に没収。……なお、悪徳業者によって不当な借金契約を結ばされた農家等の債務は、特例として「全額免除」とみなされます!』

パリンッ……!

赤山が握っていたグラスが、手から滑り落ち、床で粉々に砕け散った。

長野の村で。

「……借金が、チャラになった……? 法人が、守られた……!?」

絶望していた農家たちが、ラジオの前でへたり込み、次々と涙を流し始めた。彼らを破滅の淵に追い詰めていた赤山の奴隷契約は、たった一夜にして「違法な紙切れ」へと変わったのだ。

「言ったでしょう? 明日、太陽が昇れば、すべて終わると」

輝夜は、朝日に照らされながら、静かに微笑んだ。

論理と経済学で完璧に組み上げられた「トロッコ問題」を、幸隆は「トロッコの線路ごと爆破する」という強引すぎる荒業で解決してみせたのだ。

   ◆

「……あり得ない。……あり得ない!!」

帝都のホテル。

赤山の完璧に整えられていた髪の毛が、初めて乱れた。

彼の構築した現代の金融ハッキング網が、すべて機能停止し、ダミー会社の資産が秒刻みで国家に没収されていく報告が、次々と電話で入ってくる。

「一晩だぞ……! 議会も通さず、憲法すら無視して、たった一晩で国の『金融の法律』を書き換えるだと!? そんな無法、ただの独裁チートではないか!!」

赤山の瞳の奥にあった「虚無」が、初めて『焦燥』と『理解不能な恐怖』に染まった。

彼は知らなかったのだ。

彼が弄ぼうとしたこの国のシステム(パクス・ジャポニカ)が、一人の男の「未来を変えるという狂気」と、一人の女の「誰も見捨てないという愛」によって構築された、化け物のような国家であることを。

ガチャリ。

その時、ホテルのスイートルームの重厚なドアが、一切のノックもなく、外から蹴り破られた。

「……おはようさん。狂ったガキ」

土足で踏み込んできたのは、着崩したスーツに身を包み、ドス黒いオーラを放つ近衛総理(幸隆)と、無数の銃を構えた憲兵隊だった。

「おどれの使っとった『未来のルール』は、さっき全部、昭和の泥で埋め立ててやったわ。……さあ、チェックメイト(死刑執行)の時間じゃ」

最強の政治家が、ついに絶対的な虚無を物理的に追い詰めた。

極上のざまぁ(処刑)の幕が、今、上がる!

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