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EP 7

黒い太陽と空を切る猟犬――絶対回避

昭和15年(1940年)秋。

長野の農村の集会所。

「……送金が、すべて内閣府の特命で凍結されただと?」

部下からの報告を受けた赤山天人の顔から、一瞬だけ、完璧に作り上げられていた「微笑(UI)」が剥がれ落ちた。

昭和の未熟な通信・金融インフラの中で、自分が幾重にもダミー会社を経由させて構築した現代水準のロンダリング網。それを、たった数十分で逆探知し、すべての首根っこ(銀行口座)を完全に押さえたというのか。

(……この時代に、それができる人間はただ一人)

赤山は、帝都の方角へと冷たい視線を向けた。

『近衛文麿(若林幸隆)』。大日本帝國という国家の全システムを掌握した、規格外の太陽チート

総理大臣という立場の人間が、一介の調査官(輝夜)のために、法的手続きすら無視して強権を発動するなど、赤山の計算式アルゴリズムには入っていなかった。

「赤山先生! どうしますか! このままでは憲兵隊が踏み込んできます!」

パニックに陥る部下に対し、赤山は数秒の沈黙の後、再び完璧な無機質さを取り戻した。

「慌てる必要はありません。……プランCに移行しなさい」

「プ、プランC……!?」

「ええ。該当のダミー会社の帳簿をすべて燃やし、役員を直ちに満州へ逃亡させろ。そして、帝都の新聞各社へ『内閣府による民間企業への不当な弾圧』として、一斉に情報をリークしなさい」

赤山の恐ろしさは、彼自身に「会社への愛着」や「部下への情」が一切ないことだ。

自分の手駒が潰されると分かった瞬間、彼はそれをノータイムで『損切り』し、逆に相手へのトラップとして再利用する。

赤山は、泥だらけで立ち上がった日野輝夜を振り返った。

「……素晴らしい。さすがは総理大臣。強大な『暴力』をお持ちだ」

だが、と。赤山は村人たちを見回した。

金が振り込まれないと知った契約農家たちは、「どういうことだ! 約束の金を出せ!」と、赤山の部下たちに猛烈な勢いで詰め寄っていた。一度「大金」という毒を味わった彼らの強欲は、そう簡単には消えない。

「物理的な力で私を黙らせても、一度火のついた彼らの欲望は消えません。……では、私は帝都へ戻ります。暴徒と化した彼らを、あなたの『月明かり』でどう鎮めるのか……特等席で見物させてもらいますよ」

赤山はそう言い残し、混乱の極みにある村から、優雅な足取りで立ち去っていった。

   ◆

数時間後。帝都・東京。

東條英機率いる憲兵隊の特務部隊が、赤山のダミー会社『新東亜アグリ』の帝都オフィスへ、軍靴の音も荒々しく踏み込んだ。

「動くな! 憲兵隊だ!! 帳簿と関係者をすべて押さえろ!!」

だが。

オフィスの中はもぬけの殻だった。金庫は開け放たれ、ドラム缶の中で大量の書類がまだ燻りながら灰になっている。

「……くそっ! 逃げられたか!!」

東條が歯噛みしたその時、部下の一人が真っ青な顔で駆け込んできた。

「し、司令官! 今日の夕刊各紙に、とんでもない記事が……!!」

そこには、巨大な活字でこう踊っていた。

『近衛内閣、罪なき民間企業を強制捜査! 恐怖政治(独裁)の始まりか!?』

『長野の農業法人は近衛総理の私物か? 自由経済への深刻な弾圧!』

赤山がばら撒いた裏金によって、財閥系の新聞が一斉に「近衛総理の強権発動」を非難する世論工作を開始したのである。

   ◆

首相官邸、総理執務室。

真っ二つに割れたデスクの残骸の横で、近衛文麿(若林幸隆)は、ブラックコーヒーをすすりながら、その夕刊を放り投げた。

「……申し訳ありません、総理。奴は我々が動くことを完全に読み切り、証拠を隠滅しました」

直立不動の東條が、脂汗を流しながら報告する。

「その上、奴はマスコミを使って総理を『独裁者』に仕立て上げました。これ以上の強権発動は、帝國議会や国民の猛反発を招き、内閣の支持率を致命的に下げます……!」

猟犬(東條)の牙は、完全に空を切った。

現代の洗練されたコンサルタントである赤山は、「昭和の独裁者」である幸隆が、実は『民主主義のルール(支持率や世論)』に縛られていることを正確に見抜き、それを盾にしたのだ。

執務室に重い沈黙が降りる。

だが。

「……東條。お前は、ワシがそんな安いもんでビビるタマに見えるんか?」

幸隆の口から、地を這うような、ドス黒い広島弁が響いた。

彼の怒りは限界を突破し、逆に冷ややかで不気味な「凪」のような状態に達していた。

「支持率? 世論? ……そんなもん、外の化け物(欧米列強)から国を守るために、ワシが着とった『薄皮』に過ぎん」

幸隆は、備前焼の灰皿に、ゆっくりとタバコの灰を落とした。

輝夜が傷つけられ、彼女のサンクチュアリが荒らされた今。幸隆にとって、もはや「良い政治家」を演じる意味など塵芥ほども残っていなかった。

「奴は、ワシが『ルール(法律)』に縛られとると思っとる。だからそのルールを利用して、ワシの喉首を狙ってきやがった。……現代の悪党気取りが。甘えんじゃ」

幸隆の三白眼に、深淵のような漆黒の殺意が宿る。

「いいか、東條。……奴に協力した銀行、証券会社、マスコミのトップ。その『すべてのリスト』を明日までに用意しろ」

「そ、総理……まさか……?」

「奴が『法律の影』に隠れてワシの月を狙うなら。……ワシが、そのルールごと、この国から消し去ってやる」

最強の太陽(権力)が、その正体を「黒い太陽(理不尽)」へと変えようとしていた。

一方、帝都の高級ホテル。

赤山天人は、窓から見下ろす首相官邸の明かりを見つめながら、静かに白湯を飲んでいた。

「さて。これで近衛総理は、表立っては動きづらくなったはずだ」

赤山は、手元のメモ帳に、ある『究極の二択(トロッコ問題)』の数式を書き込んでいた。

「暴力(太陽)が封じられた今。月明かりの姫君は、自分の手で『切り捨てる命』を選ばなければならなくなる。……さあ、見せてください。あなたがどこまでその綺麗なポエム(論語)を貫けるのかを」

大日本帝國を盤上にした、最悪の神々のゲーム。

「月食の夜」と呼ばれることになる、輝夜への最も残酷な試練が、静かにその口を開き始めていた。

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