EP 4
帝都ホテル、狂気のティータイム――現代人同士の密室
昭和15年(1940年)秋。
帝都・東京の中心にそびえ立つ、帝国ホテル。
その最上階にある、一般客は決して足を踏み入れることのできない特級VIPルーム。
分厚い絨毯に足音を吸い込まれながら、一人の青年が案内されてきた。
完璧に仕立てられた三つ揃えのダークスーツ。髪の毛一本すら乱れのない、赤山天人である。
「……失礼いたします、近衛総理」
赤山は、部屋の奥のソファに深く腰掛ける日本の最高権力者に向かって、ミリ単位で調整された完璧な「敬意の微笑(UI)」を浮かべて一礼した。
「座れ。……ここでは、昭和の礼儀正しい若者を演じる必要はねえぞ」
近衛文麿(若林幸隆)は、テーブルの上のブラックコーヒーをすすりながら、冷徹な三白眼で赤山を見据えた。
赤山は静かにソファに腰を下ろすと、ボーイが差し出した高級な紅茶や酒には一切目もくれず、「常温の白湯を」とだけ注文した。
「さて。ワシが今日お前を呼んだ理由だが」
幸隆は、愛用の『ピース』に火を点け、紫煙を赤山の顔に向けてゆっくりと吹きかけた。
「帝都通運の株価暴落と、それに連動したダミー会社の資金移動。……見事な『クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)』の手口じゃったわ。昭和15年の大蔵省の連中には、魔法にしか見えんじゃろうな」
その言葉が出た瞬間。
赤山の完璧な微笑みが、ほんのコンマ一秒だけ、わずかに静止した。
「……なるほど」
赤山は、グラスの白湯を静かに一口飲み、そして、今日初めて「本物の声」を出した。
それは、昭和の青年が使う言葉遣いではなく、洗練された現代(平成・令和)のビジネスマン特有の冷たくフラットなイントネーションだった。
「この数年間の、大日本帝國の異常なまでの技術革新と法整備。単なる天才政治家にしては出来すぎていると思っていましたが……やはり、あなたも『あちら側(未来)』から来た人間でしたか」
「平成か、令和かは知らんがな。……お前みたいな血も涙もねえサイコパスは、霞が関や永田町の裏で腐るほど見てきたわ」
幸隆から、ドス黒い広島弁が低く唸るように漏れ出す。
「おどれ、何が目的じゃ。……未来の知識を使って、この時代で金と権力を握りたいんか? 王様にでもなりたいんか? それなら、ワシがいくらでも買い取ってやる。値札(要求)を言え」
幸隆の言葉は、最大の妥協であり、同時に「これ以上ワシの国を荒らすなら殺す」という最後通牒だった。
だが。
赤山は、面白くもなんともないというように、小さく首を振った。
「お金? 権力? ……そんな陳腐なもののために、私が動いているとでも?」
赤山の瞳の奥にある「絶対的な虚無」が、幸隆を真っ直ぐに見つめ返した。
「目的などありませんよ、総理。強いて言うなら……『観察』です」
「観察、じゃと?」
「ええ。あなたが泥にまみれて作り上げた、このパクス・ジャポニカという完璧な箱庭。……そこに、私が少しだけ『環境の変化(水)』を注ぎ込んだ時、中のアリ(人間)たちがどんな滑稽な悲鳴を上げて溺れ、裏切り合い、壊れていくのか。私はそれが見たいだけなのです」
赤山にとって、大日本帝國は巨大な実験室に過ぎない。
人間が恐怖や絶望で尊厳を失い、自ら奴隷契約にサインをする瞬間。既存の神が壊れる瞬間こそが、彼の唯一の存在意義だった。
「……おどれ、マジで反吐が出るほど胸糞悪いガキじゃのう」
幸隆の三白眼が、極限の怒りと殺意に細められた。
政治家として「利益」や「国益」のために非道な真似をする人間は理解できる。だが、この赤山天人という男には「他者の痛み」という概念が完全に欠落している。ただ壊すことだけを目的とする、完璧な『バグ』だ。
「お前がその気なら、ワシも容赦はせん。……東條の憲兵隊を使って、お前の息のかかった企業を片っ端から物理的に潰してやる」
「どうぞご自由に。……ただし、私が次に狙うのは『帝都』ではありませんよ」
赤山は立ち上がり、完璧な身のこなしでジャケットのボタンを留めた。
「総理の作り上げた強権的な『太陽(覇道)』は、私にとっても少し眩しすぎる。……ですから、まずはあなたの愛する『月(王道)』から壊させてもらいます」
「……ッ!!」
幸隆の顔色が変わった。
輝夜の作った、長野の農業共同体。それが赤山の次の標的だという宣戦布告。
「利益と恐怖で支配するのではなく、打算のない『絆』で結ばれた共同体……素晴らしい理想です。ですが、人間の本質はもっと醜く、脆い」
赤山は、振り返りざまに、狂気すら感じさせない無機質な微笑みを浮かべた。
「あの心優しい日野調査官が与えた光(優しさ)が、私が少し数字(利益)を弄るだけで、どれほど簡単に嫉妬と裏切りに変わるか。……楽しみにしていてください、総理」
静かにドアが閉まり、VIPルームには幸隆一人だけが残された。
テーブルの上には、一口も手をつけていない赤山の白湯のグラスと、半分まで灰になったピースだけが残されていた。
「……上等じゃ、クソガキが。ワシの女(相棒)の庭を荒らしたこと……その冷え切った魂の底から後悔させてやるわ」
備前焼の灰皿に、タバコが乱暴に押し付けられる。
最強の政治家(太陽)の逆鱗に触れた赤山のゲームが、輝夜(月)の守るサンクチュアリへと、その毒牙を向け始めた瞬間であった。




