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EP 3

未来からの刺客――盤上の違和感

昭和15年(1940年)秋。

帝都・東京、駒込にある理化学研究所(理研)。

深夜、重厚なコンクリート造りの実験棟の一室には、巨大な「電子計算機」が放つ真空管の熱気と、リズミカルな機械音が鳴り響いていた。

「……計算、終わったか」

近衛文麿(若林幸隆)は、白衣を羽織った八木博士の隣で、積み上げられたパンチカードの束と、そこから吐き出された膨大な計算結果のシートを睨みつけていた。

愛用の『ピース』の煙が、計算機の放つ独特の熱い空気の中に渦巻いている。

「総理、驚くべき結果です。倉田局長の死に関連した『帝都通運』の株価変動、および関連企業の資金移動。……これを統計学的に解析したところ、人間による通常の売買とは思えない『異常なパターン』が検出されました」

八木博士が、震える指でグラフを指し示した。

「特定の時刻に、まるで未来の暴落を確信しているかのような、精密かつ大規模な空売り。さらに、資金が複雑なダミー会社を経由して消えていく。……この時代の経済学では、説明がつきません。まるで、市場そのものを『計算プログラミング』しているような……」

「……当たり前じゃ。これは昭和の商売じゃねえ」

幸隆は、ドス黒い広島弁を吐き出しながら、計算結果をひったくるように手にした。

そこに並んでいたのは、1940年の人間には「理解不能な数式」の痕跡だった。

「ヘッジファンドが使う『アルゴリズム取引』……。さらには、倒産リスクを売買する『クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)』の原型か。……クソが、昭和15年にこれ(現代金融工学)を持ち込みやがったか」

幸隆の背筋に、氷のような戦慄が走る。

自分がこの世界で行ってきたのは、未来の「技術(半導体やインフラ)」と「政治知識」を使った国家の底上げだった。

だが、この見えない敵がやっているのは、未来の「悪知恵システムハッキング」を使った、弱者の徹底的な略奪と精神破壊だ。

「総理、顔色が……。これほどまでの頭脳を持つ者が、この日本に……?」

同行していた日野輝夜が、不安げに幸隆の顔を覗き込む。

「……ああ。おるんじゃ。ワシと同じように、未来の記憶を持ったまま……この時代を『遊び場』に変えようとしとる狂ったガキがのう」

幸隆は、計算機を背に、闇に沈む窓の外を見据えた。

この瞬間、幸隆の中で「見えないバグ」は、明確な「敵」へと変わった。

   ◆

数時間後。不夜城・霞が関の企画院。

幸隆は、東條英機に命じて、ある「一人の男」の身辺調査の結果を持ってこさせていた。

倉田局長が死に、黒田社長が破滅する数日前。その周辺に「偶然」現れた、若き天才コンサルタント。

「……赤山天人あかやま・あまと、二十五歳」

幸隆は、報告書に貼られた写真を見た。

完璧に整った容姿。ミリ単位で調整された、相手を安心させるための微笑。

だが、その瞳の奥には、幸隆がかつて政界の深淵で見てきたどの悪党よりも深い「虚無」が宿っていた。

「二十五歳、じゃと? ……ワシを舐めるなよ」

幸隆はピースを指で弾き、嘲笑うように呟いた。

二十五歳の若造が、現代の金融工学をこれほどまでに完璧に、しかも昭和の不完全なシステムの上で使いこなせるはずがない。

「中身はワシと同じ『年寄り』か、さもなくば……『人間』の情緒が最初から欠けとる化け物か」

「……総理。この男の主催する『投資勉強会』に、多くの若手官僚や財閥の御曹司たちが心酔し、出入りしているようです」

輝夜が、別の資料を差し出した。

赤山は、単に金を奪っているのではない。幸隆が作った「黄金時代」のシステムの中に、自分の「信者(手駒)」を着実に植え付けていたのだ。

「……太陽ワシが照らす場所が明るければ明るいほど、その裏の影は深くなる。……あいつは、その影の中に潜んどる『ブラックホール』じゃ」

幸隆は、デスクから一本の漆黒の万年筆を取り出した。

それは、赤山が標的を処刑する際に残したシグネチャーのレプリカだった。

「輝夜。……こいつはワシらとは違う。国を良くしようとか、守ろうなんて考えは欠片もねえ。ただ『壊れる様』が見たいだけの、本物の虚無じゃ」

幸隆は、その万年筆を指で弄びながら、ドス黒い広島弁で低く、だが烈火のような怒りを込めて宣言した。

「……ワシが泥まみれで築いたこの国を、暇つぶしの玩具にされてたまるか。……赤山。おどれの盤面、ワシが根こそぎひっくり返してやるわ」

最強の政治家・若林幸隆(近衛文麿)と、虚無の調整者・赤山天人。

未来知識を持った二人の「神」による、大日本帝國を賭けた凄絶な『王殺し(キングサイド)』の幕が上がろうとしていた。

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