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EP 6

財閥の罠と泥まみれの姫――最強の世論操作

昭和15年(1940年)初夏。

帝國議会の開会まで、残り一週間と迫ったある日の朝。

帝都・東京の街頭は、新聞の号外を配る鈴の音と、人々のざわめきで異様な空気に包まれていた。

『企画院は赤く染まったか!? 地方再生法案の正体は「共産主義」!』

『若き女性官僚・日野輝夜の暴走! 資本主義を破壊する魔の法案!』

財閥の息のかかった大手新聞各紙が、一斉に輝夜の『新・農業および地方再生法案』に対する大規模なネガティブ・キャンペーン(バッシング)を開始したのである。

農村を法人化して利益を独占させる仕組みは「ソ連のコルホーズ(集団農場)の真似事」であり、自由経済を脅かす国賊の法案であるという、強烈なレッテル貼りだった。

「……やりやがったな、財閥のタヌキども。完全に日野調査官を『アカ(共産主義者)』に仕立て上げて、世論と保守派の議員を煽る気だ」

首相官邸で新聞を広げた外務大臣の吉田茂が、葉巻を噛みちぎらんばかりに顔をしかめた。

「総理。いかがなさいますか。このままでは、議会が開く前に彼女の法案は『危険思想』として潰されますぞ」

「放っておけ」

近衛文麿(若林幸隆)は、デスクに足を投げ出し、ピースの煙を深く吸い込んだ。

「相手はカネでメディアを買って殴ってきた。……ここでワシが権力で新聞を弾圧すれば、それこそ『独裁政治』のレッテルを貼られて逆効果じゃ」

幸隆の三白眼に、ドス黒い広島弁の凄みが宿る。

「ワシの隣に立って、この国の『月』になるんじゃろうが。……この程度の盤外戦術メディアスクラム、自力でひっくり返せんでどうする」

もし彼女が泣きついてくれば、そこで終わりだ。

幸隆は、愛用の備前焼の灰皿にタバコをトントンと落としながら、沈黙を守る「月」の次の一手を待ち構えた。

   ◆

同じ頃。長野県の山間部。

財閥系新聞の「共産主義の巣窟」という記事を真に受けた、他社の雑誌記者や野次馬たちが、スクープの証拠を掴もうと村へ押し寄せていた。

「おい見ろ! 村の広場に人が集まっているぞ! きっと赤い旗を振って、恐ろしい革命の集会をやっているに違いない……!」

カメラを構えた記者が、息を殺して広場を覗き込む。

だが。

彼らの目に飛び込んできたのは、赤旗でもなければ、資本家を呪う怒号でもなかった。

「はい、そっちの木箱運んでー! 林檎が傷つかないように優しくね!」

「日野さーん! こっちのジャムの煮込み、そろそろいい塩梅だべか!」

「どれどれ……わぁ、最高の色ですね! さすが村の皆さんの腕前です!」

抜けるような青空の下。

村の広場では、盛大な『収穫祭』が開かれていた。

その中心で笑っていたのは、霞が関で着ていた上質なスーツではなく、素朴なモンペ(農作業着)姿に麦わら帽子を被った、日野輝夜だった。

彼女の白い頬には土埃と泥がつき、手は林檎の果汁でベタベタになっている。

しかし、その泥まみれの笑顔は、都会のどんな宝石よりも眩しく、生命力に満ちて輝いていた。

「……えっ? あ、あの泥まみれの美しい娘が、噂の『日野輝夜』調査官……!?」

記者は、完全に毒気を抜かれ、ポカンと口を開けた。

「あら、東京からのお客さんですか? 遠いところをご苦労様です」

輝夜は記者に気づくと、泥のついた手をエプロンで拭いながら歩み寄ってきた。そして、籠に入ったもぎたての真っ赤な林檎と、冷たい井戸水で冷やしたお茶を差し出した。

「さあ、まずは林檎を一つ召し上がってください。……我が『信州農業生産法人』が誇る、世界で一番甘くて美味しい資本主義の結晶フルーツですよ」

輝夜がイタズラっぽくウインクする。

記者が恐る恐る林檎を齧ると、パリッという音とともに、信じられないほどの甘い果汁が口いっぱいに弾けた。

「……う、美味いッ!! なんだこの林檎は!?」

「美味しいでしょう? 皆が自分の仕事に誇りを持ち、正当な利益カネを得られる仕組みを作ったからです。……イデオロギー(共産主義)では、こんなに甘い林檎は育ちませんよ」

記者は、ハッとして広場を見渡した。

そこにあるのは、お互いを助け合いながら、豊作を心から喜び、笑顔で汗を流す「日本の古き良き美しい農村」の姿だった。

財閥の新聞が書き立てたような、恐ろしい思想などどこにもない。あるのは、正当なビジネスで自立した、誇り高き日本人の姿だけだ。

「……写真、撮らせていただいてもよろしいですか?」

「ええ。皆の一番いい笑顔を、帝都に届けてあげてください」

カシャッ、カシャッ!!

フラッシュが焚かれ、泥まみれの姫と、笑顔の村人たちが、真っ白な光の中に切り取られた。

   ◆

翌日。帝都・東京。

財閥の総帥は、朝刊を見てコーヒーを吹き出した。

『泥まみれの姫君! 霞が関の月が育てる「日本一甘い林檎」!』

『共産主義のレッテルは嘘! これが日本の美しき共同体コミュニティの姿だ!』

大手新聞に対抗する大衆誌やグラフ誌のトップを飾ったのは、モンペ姿で泥にまみれ、子供たちと満面の笑みで林檎をかじる「日野輝夜」の巨大な写真であった。

「な、なんだこれはァァァッ!?」

記事には、彼女が中間搾取(財閥の問屋)を排除し、村人たちに正当な利益をもたらしたこと。そして、海軍にも最高品質の食糧を納入しているという「愛国的」な事実が、これでもかと美しく書き連ねられていた。

反響は、文字通り爆発的だった。

「泥にまみれて農民と笑う美しいエリート官僚」というドラマチックな構図は、理屈抜きで大衆の心を完全に鷲掴みにした。

逆に、東京の冷暖房の効いたビルから彼女を「共産主義だ」と叩いていた財閥の人間たちは、一瞬にして「農村をイジメる悪代官」へと世論のヘイト(怒り)を向けられることになったのだ。

「……ガッハッハッハ!! まさか、あの女! 叩かれることを逆手にとって、わざと『泥まみれの姿ビジュアル』をマスコミに撮らせやがったのか!!」

首相官邸。外務大臣の吉田茂が、雑誌を片手に腹を抱えて笑い転げていた。

「論理(新聞)で殴ってきた相手に、感情(写真と林檎の美味さ)でカウンターを合わせやがった」

幸隆は、呆れたような、しかし極上の笑みを浮かべてピースをふかした。

「ワシのような悪党は、カネと恐怖でマスコミを『操作』する。……だが、あの女は、自分の美しい信念と泥まみれの姿を晒すだけで、勝手に大衆が味方になってマスコミを『圧倒』してしまう」

幸隆は、雑誌の表紙で笑う輝夜の写真に、ポンッと指を弾いた。

「えげつない女じゃ。……これでもう、世論は完全にあの『月』の引力に囚われた。議会で輝夜の法案に反対する奴は、『国民の敵』のレッテルを貼られて次の選挙で落ちる羽目になる」

盤面は、完全に整った。

世論、官僚(実務部隊)、そして海軍。すべての外堀を、輝夜は「光のチート(人心掌握と実績)」で完璧に埋め尽くした。

「……さあ、吉田。明日はいよいよ帝國議会だ。ワシら『悪党』の出番だぞ」

幸隆が、三白眼を獰猛に光らせて立ち上がる。

「あの小娘が綺麗事(王道)で作った最高の神輿、最後にワシの『覇道』で、思いっきり担ぎ上げてやろうじゃねえか」

太陽と月が交差する、最大のクライマックス。

財閥と保守派の老害どもを絶望のドン底に叩き落とす「帝國議会」の幕が、ついに上がろうとしていた。

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