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EP 5

不夜城の茶会――人心掌握の天才(月の引力)

昭和15年(1940年)初夏。

帝都・東京、霞が関。内閣直属の最高頭脳集団『企画院』のオフィス。

深夜二時を回っても、この不夜城の明かりが消えることはない。

大日本帝國を世界一の重工業・軍事国家にするという近衛総理(若林幸隆)の強烈なトップダウンの下、エリート官僚たちは連日徹夜で莫大な予算案と法案の作成に追われていた。

「……くそっ、また大蔵省から予算の差し戻しだ! 地方のインフラ整備費を削って、都市部の工場誘致に全額回せだと!?」

「総理の至上命令だ、仕方ないだろう。……あー、胃が痛い。これでまた、農村の連中が泣きを見ることになるな……」

中堅官僚の佐々木は、机に山積みになった書類を前に、胃薬を水で流し込みながら深くため息をついた。

彼らも元々は「国を良くしたい」という高い志を持って官僚になった男たちだ。しかし、幸隆の圧倒的な『覇道(数字と効率の至上主義)』の前に、人の心を殺し、ただの「政策マシーン」として働くしかない現状に、心身ともに限界を迎えつつあった。

ギスギスとした空気がオフィスを支配する中。

「……皆様、夜分遅くまでお疲れ様です」

ふわりと、静かで涼やかな声が響いた。

オフィスに姿を現したのは、アースカラーの麻のワンピースを身にまとった特別調査官、日野輝夜だった。

彼女の手には大きなお盆が抱えられ、その上には湯気を立てる素朴な陶器が並んでいる。

「少し休けいにしませんか? 温かいお茶と、夜食をお持ちしました」

輝夜は、疲労困憊の佐々木たちのデスクに、自作の備前焼の湯呑みと、小さな小鉢を配り始めた。

「日野調査官……これは?」

「長野の農村から届いた『規格外の林檎』で作ったコンポートです。甘みは抑えてありますが、疲れた頭には効くと思いますよ」

佐々木は、湯呑みから立ち上るほうじ茶の香ばしい匂いに、思わず肩の力を抜いた。

一口すすると、備前焼の土の温もりが手のひらから伝わり、ほうじ茶の深いコクが冷え切った胃の腑に染み渡っていく。

そして、林檎のコンポートを口に入れた瞬間。

「……ッ。美味い……。なんだこれ、すごく優しい味がする……」

佐々木の目から、ポロリと一筋の涙がこぼれ落ちた。

「あの村の土と、お婆ちゃんたちの手仕事が詰まっていますから」

輝夜は、佐々木の隣に静かに腰を下ろした。

「佐々木さん。……演じている人間も、沢山演じ過ぎていて、何を演じているか分からなくなる時がありますよね」

「えっ……?」

「官僚としての『冷徹な仮面』を被り続けて、本当の自分がどこにあるのか、分からなくなっていませんか?」

輝夜の言葉は、深夜の暗闇の中で迷子になっていた佐々木たちの心(最も柔らかい部分)を、的確に、そして優しく撃ち抜いた。

「私たちは、数字の辻褄を合わせるためにここにいるのではありません。この林檎を育てたような人たちが、明日も笑って暮らせるようにするために、ここにいるはずです」

輝夜は、窓の外の夜空に浮かぶ月を見上げた。

「……暗闇の中で迷う必要はありません。私の作る『新・農業および地方再生法案』は、地方を切り捨てるのではなく、自立させて国全体を豊かにする仕組みです。……どうか皆様の『本当の力』を、私に貸していただけませんか」

恐怖で縛るのではない。カネで釣るのでもない。

『癒やし』と『大義(官僚としての本当の誇り)』を与え、共感によって相手の魂を根本から惹きつける。

それは、幸隆の覇道とは全く別のベクトルを持つ、恐るべき『人心掌握チート』であった。

「……日野、さん」

佐々木は、涙を乱暴に袖で拭うと、自分のデスクにあった「地方切り捨ての予算案」をゴミ箱へ放り投げた。

「やります。……いや、やらせてください! 私は元々、内務省で地方行政を志していた人間です! あなたの法案の法的な『抜け穴』、私が完璧に塞いでみせます!!」

「俺も手伝う! 大蔵省の連中を黙らせる予算の引っ張り方なら、任せておけ!」

「俺は農林省の同期に裏から手を回す!!」

魔法にかけられたように。

あるいは、暗闇を照らす月明かりに導かれるように。

疲弊しきっていた霞が関の最高頭脳たちが、輝夜のデスクに集まり、省庁の垣根を越えた「最強の法案作成チーム(輝夜派)」が、瞬く間に結成されたのである。

   ◆

「……総理。あれは少々、ヤバいですぞ」

少し離れた別室。

マジックミラー越しにその様子を観察していた外務大臣の吉田茂が、葉巻をくわえたまま引きつった笑いを浮かべていた。

「企画院のエリート官僚どもが、日野調査官のお茶一杯とポエムで、完全に『洗脳』されとります。……あれでは皆、彼女のためなら喜んで徹夜し、過労死すら辞さない熱狂的な狂信者ファンですぞ」

「恐怖や利益(太陽)で動く人間は、裏切るのも早いが……」

幸隆は、腕を組み、三白眼を細めて笑った。

「『共感と癒やし(月)』で心臓を握り潰された人間は、一生裏切らん。……新興宗教の教祖顔負けの、えげつない人心掌握術じゃ」

幸隆は、自分には絶対にできないその「王道」の力に、ある種の頼もしさすら感じていた。

「よし。官僚ども(実務部隊)の根回しは、あいつの圧勝だ。……じゃが、最後に立ちはだかるのは、既得権益の塊である『帝國議会の老害議員ども』だぞ」

幸隆は、手元のピースに火を点けた。

「さあ、財閥の息のかかった政治家どもをどうやって黙らせる、輝夜。……お前の『月明かり』で、議会という最大の暗闇を照らし切ってみせろ」

帝國議会まで、残り二週間。

財閥による輝夜へのネガティブ・キャンペーン(妨害工作)が、マスメディアを使って静かに、しかし凶悪に忍び寄ろうとしていた。

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