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EP 10

赤い皇帝の屈服――パクス・ジャポニカ

昭和15年(1940年)春。

モスクワ・クレムリン宮殿。

ヨシフ・スターリンの目の前には、極東からシベリア鉄道を経由して届けられた「最初の支援物資」が置かれていた。

それは、日本製のナイロン極寒冷地用防寒着と、無数の「化学加熱式レトルト・シチュー」の箱であった。

「……これが、我が赤軍を崩壊させた、資本主義の『毒』か」

スターリンは、震える手でシチューの封を切り、立ち上る肉の香りに顔を歪めた。

スプーンですくい、一口、口に含む。

……美味い。悔しいほどに、温かく、生命力に満ちた味がした。

黒パン一つまともに供給できない自分の国(共産主義)と、末端の兵士にまでこんな極上の食事と最新の防寒着を与えられる極東の島国。

「……私の、完全な敗北だ」

鋼鉄の大元帥は、誰もいない執務室で、深く、深く頭を垂れた。

日本との「悪魔の条約」により、ソ連はシベリアの莫大な資源をタダ同然で日本に吸い上げられ、そのハシタ金で日本の物資を買わされる『巨大な経済的奴隷』へと転落した。

だが、そうしなければ、間もなく西から攻めてくるナチス・ドイツの軍勢の前に、ソビエト連邦は完全に滅ぼされてしまうのだ。

「フミマロ・コノエ……あの男は、神か、それとも悪魔か……」

イデオロギーという名の狂信が、圧倒的な「豊かさ」の前に屈服した瞬間であった。

   ◆

一方、その頃。

帝都・東京は、人類の歴史上、いまだかつてどの国も経験したことのない「究極の黄金時代」の絶頂にあった。

『シベリア資源の第一陣、横浜港に到着! ガソリン価格、さらに大幅値下げへ!』

本田技研工業ホンダの新型大衆車、発売初日で十万台の予約殺到!』

『理化学研究所、次世代電子計算機の小型化に成功! 各家庭にトランジスタ・ラジオが普及!』

夜になれば、銀座や新宿の街は色鮮やかなネオンサインに照らされ、着飾った男女が映画館やダンスホールへと吸い込まれていく。

アメリカからは無関税で極上の食料と鉄が雪崩れ込み、シベリアからは無尽蔵のエネルギー(石油・天然ガス)がパイプラインと大型タンカーで供給され続ける。

他国に依存しない『強靭な内需』と、世界中から富を吸い上げる『最強の外交条約』。

世界中がヨーロッパの血みどろの戦争(第二次世界大戦)に巻き込まれ、何千万人もの命が失われていく中。

大日本帝國だけが、完全に戦争の惨禍から切り離された『安全な特等席』で、誰も追いつけないほどの超絶的な経済成長を謳歌していた。

「……ガッハッハッハ! 総理! 今年度の我が国のGDP(国内総生産)成長率、ついにアメリカをぶち抜いて『世界第一位』に躍り出ましたぞ!!」

首相官邸の屋上。

外務大臣の吉田茂が、最高級のキューバ産葉巻をふかしながら、歓喜の笑い声を上げた。

「ルーズベルトの野郎は議会で突き上げを食らって死に体、スターリンのヒグマはドイツの奇襲に備えて震え上がっております! 世界の超大国どもが、すべて我が国の『掌の上』で踊っている! 痛快極まりないですな!!」

「当然だ。俺がそのように盤面ルールを書き換えたんだからな」

近衛文麿(若林幸隆)は、夕暮れの帝都の空を見上げながら、ハイライトの煙を静かに吐き出した。

史実の焦土。

悲劇の特攻隊。

二発の原子爆弾。

そんな未来は、もうどこにもない。

かつて現代日本で「最強の与党幹事長」として政界の泥水をすすり、権謀術数の限りを尽くしてきた男は、そのすべての悪辣な手腕と未来知識を、この極東の島国を救うためだけに使い切った。

「軍部の老害を躾け、財閥にカネを吐き出させ、天才たちに魔法チートを作らせた。……そして、大義名分と経済力で、超大国どもの牙をすべてへし折ってやった」

幸隆は、三白眼をわずかに細め、眼下に広がる平和で豊かな「一億総中流」の街並みを見下ろした。

誰もが腹一杯の白米を食い、休日に家族と笑い合う。それこそが、幸隆が政治家として目指した「最強の国家」の姿だった。

「……吉田。これで俺の『大仕事』は終わりだ。あとは、この豊かさをどう維持するか、お前たち残された政治家の仕事だぞ」

「はて? 総理、どこかへ行かれるような口ぶりですな?」

吉田茂が、不思議そうに首を傾げる。

「さあな。……少し、長い休みをもらうだけさ」

幸隆は、タバコの火を携帯灰皿で揉み消すと、ふと、空の彼方に広がる星屑を見上げた。

アメリカを屈服させ、ソ連を解体し、大日本帝國を世界の頂点へと導いた最強の悪党政治家。

彼の成し遂げた偉業は、やがて『パクス・ジャポニカ(日本による平和)』として、人類の歴史に永遠に語り継がれることになる。

だが、その真実――彼が未来から来た一人の政治家であったことを知る者は、誰もいない。

(……悪くない『趣味(国づくり)』だったぜ)

幸隆の口元に、これまでにないほど穏やかな、最高の笑みが浮かんだ。

圧倒的な富と、圧倒的な技術、そして誰も血を流さない平和。

最強の国家防衛チート・ファンタジー、堂々の完結。

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