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EP 9

悪魔の取引――シベリアの買い叩き

昭和14年(1939年)冬。

帝都・東京、首相官邸・地下極秘会議室。

深夜の重苦しい静寂の中、分厚いマホガニーのテーブルを挟んで、二つの陣営が対峙していた。

余裕の笑みを浮かべて葉巻をくわえる日本の総理・近衛文麿(若林幸隆)と、外務大臣の吉田茂。

対するは、極秘裏にモスクワから飛んできたソビエト連邦の外務人民委員(外相)ヴャチェスラフ・モロトフと、駐日大使である。

モロトフの顔は、極度の緊張と疲労で土気色に濁っていた。

「……近衛総理。書記長スターリンの命により、我が国は貴国との『不可侵および講和条約』の締結を希望する。極東における武力衝突を即時停止し、両国の平和的関係を……」

「前置きはいい、モロトフ外相」

幸隆は、退屈そうにブラックコーヒーをすすり、モロトフの言葉を冷酷に遮った。

「アンタの親分が、西から攻めてくるヒトラーの三百万人にビビり散らかして、俺たちに泣きついてきたんだろう。……時間が惜しい。さっそく、我が国が提示する『講和の条件』を読み上げさせてもらおうか」

幸隆が顎でしゃくると、吉田茂がニヤリと笑って分厚いファイルを開いた。

「第一。ソ連軍は満州国境から即時、無条件で完全撤退すること。第二。現在ソ連が占効している『北樺太(サハリン北部)』の領有権を、大日本帝國へ完全返還すること」

ここまでは、モロトフも想定の範囲内だった。敗戦国として領土の一部を割譲するのは屈辱だが、背後のドイツに比べれば安い代償だ。

だが、吉田茂が読み上げた「第三の条件」に、モロトフは耳を疑った。

「第三。……ウラル山脈以東、すなわち『シベリア全域』における、石油、天然ガス、石炭、および希少鉱物レアメタルの『独占的な採掘権』と『鉄道輸送権』を、向こう九十九年間にわたり、大日本帝國に譲渡すること」

「な、なんだと……ッ!!?」

モロトフは、椅子を蹴り倒さんばかりの勢いで立ち上がった。

「馬鹿なッ! シベリアの資源を独占するだと!? それでは事実上、ソビエト連邦の東半分を日本の『植民地サイフ』にするのと同じではないか! いくらなんでも条件が狂っている、断じて呑めんッ!!」

激高するモロトフに対し、幸隆は顔色一つ変えず、静かにハイライトの煙を吐き出した。

「呑めないなら、帰っていいぞ。……この交渉は決裂だ」

「なっ……」

「俺たちは別に急いじゃいないんだ」

幸隆は、テーブルの上に広げられた巨大なユーラシア大陸の地図を指先でトントンと叩いた。

「ドイツのバルバロッサ作戦が始まれば、アンタたちは嫌でも極東の兵力をヨーロッパへ回さざるを得なくなる。……俺たちは、アンタたちの極東の防衛が『空っぽ』になったところを、ゆっくりと後ろから歩いて占領させてもらうだけだ。もちろん、一滴の血も流さずにな」

「あ……」

モロトフの顔から、一瞬にして怒りが消え失せ、代わりに底知れぬ絶望が張り付いた。

「呑めば、極東の安全は保証してやる。呑まなければ、東西から挟み撃ちになってモスクワは陥落し、アンタもスターリンも揃って絞首台行きだ。……さあ、どっちの地獄がマシか、モスクワの親分に電話して聞いてこい」

幸隆の三白眼が、絶対的な強者の光を放つ。

暗号解読による「未来の確定情報」を持っているからこそできる、究極の足下見(買い叩き)。

数十分後。

別室でモスクワとの極秘電話(暗号通信)を終えたモロトフは、亡霊のようにふらふらとした足取りで会議室に戻ってきた。

「……書記長は、なんと?」

吉田茂が意地悪く尋ねる。

「……『サイン、しろ』……と……」

モロトフは、血の滲むような声で絞り出した。

猜疑心と恐怖に支配されたスターリンにとって、もはやシベリアの資源などどうでもよかった。自分の命とモスクワを守るためなら、悪魔に魂を売るしかなかったのだ。

「ガッハッハッハ! 賢明な判断ですな! これで我が大日本帝國のエネルギー問題は、向こう百年間、完全に解決しましたぞ!」

吉田茂が、腹の底から愉快そうに大笑いする。

アメリカから関税ゼロで屑鉄と物資を買い叩き、ソ連からは無尽蔵の石油と天然ガスをタダ同然で吸い上げる。

「資源を持たない極東の島国」という大日本帝國の最大の弱点が、幸隆の恐るべき外交手腕によって完全に消滅した瞬間であった。

「……近衛総理。貴方は、人間の心を持たない悪魔だ」

震える手で条約書にサインをしながら、モロトフが恨みがましく吐き捨てた。

「悪魔? 人聞きが悪いな。俺はこれでも、商売の『アフターサービス』は欠かさない主義なんだぜ」

幸隆はニヤリと笑い、テーブルの上に「一枚の書類」を滑らせた。

「これは……?」

「我が国が誇る『ナイロン製極寒冷地用防寒着』と、『化学加熱式レトルト食品(シチュー等)』の輸出カタログだ。……前線でアンタの国の兵士たちが、泣いて喜んだ代物だよ」

幸隆は、モロトフの顔を覗き込み、極悪非道な商人の笑みを浮かべた。

「これからドイツ軍と血みどろの冬将軍(市街戦)を戦うアンタたちには、喉から手が出るほど欲しい物資だろう? ……安心しろ。シベリアから採掘した資源の『利益』で、特別価格で売ってやるよ。たっぷり買って、ヒトラーの野郎を食い止めてくれや」

「き、貴様ァァァ……ッ!!」

自分の国の資源を奪われた挙句、その資源から出たハシタ金で、日本の商品を買わされる。

完璧なまでに出来上がった『搾取のエコシステム』を前に、モロトフは完全に言葉を失い、その場に崩れ落ちた。

「総理。完全にペンペン草も残らないほどの買い叩きですな」

「当然だ。取れる時に全部むしり取るのが、政治ってもんだ」

大日本帝國を世界の頂点に押し上げるための、すべてのピースが揃った。

圧倒的な技術、無尽蔵の資源、そして世界最強の経済力。

世界が血みどろの大戦に突入していく中、極東の島国だけが、すべてを支配する「黄金の玉座」へと座ろうとしていた。

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― 新着の感想 ―
あまりやり過ぎると世界が日本を叩き潰しにくるぞ〜
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