EP 3
守旧派の反乱 ―― 時代遅れの「尊王攘夷」
元禄17年、春。
吉良上野介(若林幸隆)が主導した「廃刀令」と「秩禄処分(給金の停止)」は、江戸の武士たちに決定的な絶望と怒りをもたらした。
「……見よ! 我ら武士の魂たる刀を奪い、吉良の悪鬼は公儀を完全に私物化しようとしている! 上様(将軍)はあの化け物にたぶらかされておるのだ!!」
江戸の北、上野・寛永寺の境内。
先日の御前会議で若林に一蹴された大番頭・長谷川を筆頭に、約三千人の旗本や御家人が、甲冑に身を包み、抜き身の刀や槍を掲げて集結していた。
「我らこそが公儀の盾! 悪徳商人・吉良を討ち果たし、上様をお救いし、古き良き武士の世を取り戻すのだ! 尊王攘夷! 義軍、出陣せよォォォッ!!」
「「「オオォォォォォッ!!!」」」
長谷川の激を合図に、三千の武装集団が江戸の町へと行進を開始した。
彼らの目的は一つ。江戸湾にそびえる吉良家の本拠地『お台場要塞』を強襲し、若林幸隆の首を物理的に刎ね飛ばすことである。
長谷川は、自らの行動を「正義」だと信じて疑わなかった。江戸の町民たちも、国を憂いて立ち上がった自分たち武士の雄姿を見れば、必ずや涙を流して道を譲り、声援を送ってくれるはずだと思い込んでいた。
***
同時刻。江戸湾・お台場要塞の最上階。
「大殿(社長)!! 不良債権どもが、上野からこちらへ向かって行軍を開始したとの報告が入りました!」
大石内蔵助が、目を血走らせながら執務室に駆け込んできた。
「数は約三千! 旧式の火縄銃と刀槍のみの烏合の衆にございます! 我ら特別保安課に迎撃の許可を! イギリスから強奪した技術で完成した『手回し式連発銃(ガトリング砲のプロトタイプ)』の掃射で、一分以内に全員ミンチにしてご覧に入れます!!」
大石は、新しいおもちゃ(近代兵器)を使いたくてうずうずしている狂犬のような顔をしていた。
武士の反乱を、資本主義の暴力で完膚なきまでにすり潰す。それこそが吉良グループの防衛担当としての責務であると。
だが。
上座で鉄の煙管を磨いていた若林幸隆は、呆れたようにため息をついた。
「馬鹿か、大石。三千人の侍を機関銃でミンチにしてみろ。江戸中が血の海になり、死体処理のコストが跳ね上がるじゃろうが」
若林は、ゆっくりと立ち上がり、窓ガラス越しに江戸の町を見下ろした。
「それに、奴らを武力で皆殺しにすれば、民衆の目に『権力に立ち向かって散った悲劇のヒーロー』として映ってしまう。忠臣蔵のようにな。……政治において、死者に『殉教者のブランド』を与えることほど愚かな手はねえ」
「で、では、いかがなされますか!? このまま要塞まで来させるわけには……」
「フン。あいつらの息の根を止めるのに、銃の弾なんぞ一発も要らんわ」
若林は、極悪非道な笑みを浮かべ、部屋の隅に控えていたお雪に視線を送った。
「お雪。印刷(刷り)は終わっとるな?」
「はい、ご主人様。……三日間、輪転機をフル稼働させ、江戸中の瓦版屋を総動員しました。配布準備、完了しております」
お雪が、無機質な瞳のまま、一枚の紙(瓦版)を若林に差し出す。
若林はそれを受け取り、鉄の煙管の雁首を灰吹に打ち付けた。
――ガキィィンッ!!
「現代政治の戦争っちゅうのはな、敵の肉体を破壊することじゃねえ。敵の『社会的な存在意義』を完全に抹殺することなんじゃよ。……作戦開始じゃ」
***
「どけェッ! 義軍の行軍である! 道を開けいッ!!」
長谷川率いる三千の反乱軍は、日本橋のメインストリートへと差し掛かっていた。
長谷川は胸を張り、周囲の町民たちからの畏敬の眼差しと歓声を期待していた。
だが、日本橋の空気は、彼の予想とは全く異なっていた。
「……おい、なんだあの空を飛んでる妙な玉は?」
町民の一人が空を指差した。
江戸の空に、吉良家が開発した数十個の『熱気球』が浮かんでいた。
そして、その気球の籠の中から、まるで吹雪のように、無数の紙切れが江戸の町へとばら撒かれたのだ。
紙吹雪は日本橋の通りにも降り注ぎ、町民たちが次々とそれを拾い上げた。
「号外だ! 吉良大蔵省からの公的瓦版だぞ!」
字が読める町民が、その内容を大声で読み上げ始めた。
『――江戸の民よ、真実を知れ。
現在、武装して町を練り歩いている武士たちは、国のためではなく【自分たちの既得権益(贅沢)】を守るために暴れているテロリストである。
吉良大蔵省は、武士の給金をなくすことで浮いた莫大な予算を、町民の減税と、水道・ガスのインフラ整備に回す予定であった。
しかし、あの武士どもは、吉良様を殺して政治の実権を奪い返し、再びお前たちから重い税(年貢)を搾り取ろうとしているのだ!』
その文章を聞いた瞬間。
日本橋を埋め尽くしていた数万人の町民たちの目の色が、完全に変わった。
若林が仕掛けた『ポピュリズムの猛毒』である。
「正義の武士」というメッキを完全に剥がし、「あいつらは、お前たちの財布からカネを盗もうとしている強盗だ」という最も強烈な『経済的ヘイト』へとすり替えたのだ。
「……ふざけんなよ」
一人の屈強な大工の男が、長谷川たちを睨みつけた。
「吉良様のおかげで、俺たちの給金は何倍にも跳ね上がったんだ。水道も通って、夜も明るくなった。それを……お前ら穀潰しの侍どもが、元に戻そうってのか!?」
「その通りだ! 俺たちの税金で偉そうにふんぞり返ってた癖に、吉良様の邪魔をすんじゃねえッ!!」
「帰れ! 働けニートども!!」
ドスッ!!
長谷川の顔面に、町民が投げた泥まみれの大根が直撃した。
「なっ……!?」
長谷川が呆然とする中、それを合図に、周囲の町民たちから一斉に石や泥、生ゴミの雨が反乱軍に向かって降り注いだ。
「き、貴様ら! 無礼であろう! 我らは武士だぞ! 斬り捨て……ッ!」
怒り狂った旗本の一人が刀を抜こうとした。
だが。
「おう、抜いてみろや!!」
「俺たちを斬ってみろ! ここには五万人いるんだぞ! 一人でも斬ったら、お前ら全員、囲んで叩き殺してやるからな!!」
圧倒的な数の暴力。
吉良の経済政策(資本主義)の恩恵を受け、もはや武士を「恐れるべき絶対的上位者」とは見なしていなくなった大衆の怒りのエネルギー。
それに取り囲まれた三千人の武士たちは、抜いた刀を振り下ろすこともできず、ただゴミと泥を投げつけられ、ガタガタと震えることしかできなかった。
「な、なぜだ……。我らは、国を……上様を……」
泥まみれになった長谷川は、完全に心をへし折られ、その場にへたり込んで号泣した。
大義名分は瓦版によって完全に破壊され、守るべき民衆からは石を投げられ、刀を抜くことすら許されない。
肉体は生きていながら、武士としての「社会的な死」を完璧に突きつけられた瞬間であった。
***
「……フン。傑作じゃな」
お台場要塞から望遠鏡でその様子を眺めていた若林は、愉快そうに鉄の煙管をふかした。
「刀を振り回すだけの時代遅れどもに、大衆の波を乗りこなせるわけがねえ。……これで幕府の『武力』は完全に無力化された」
若林は、傍らに控える義周に視線を向けた。
「さあ、仕上げじゃ。江戸城の将軍サマに、『公儀の権威では、もはやこの巨大な大衆の怒りは収められん』と引導を渡してこい。……江戸幕府を終わらせ、政権を民に返上(大政奉還)させるんじゃ」
一滴の血も流さず、情報と大衆扇動だけで武装蜂起を完全に鎮圧した怪物。
彼の描く『暗黒のデモクラシー』の舞台が、今、武士たちの無惨な屍(社会的な死)の上に、完璧に組み上がろうとしていた。




