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EP 7

魂のシリンダー ―― 職人の意地と「黒船」の産声

元禄15年、冬。

大英帝国の経済テロの拠点であった横浜の隠し倉庫を物理的に消し飛ばした数日後。

三河国・吉良荘の『吉良帝国大学』実験棟に、一陣の熱風が吹き込んだ。

「……遅うなって済まんの。実験の進み具合はどうじゃ?」

実験棟の入り口。

そこに立っていたのは、泥と硝煙にまみれ、外套の端が焼け焦げた若林幸隆(吉良上野介)であった。

彼の背後には、同じく血と泥にまみれながらも、誇らしげに胸を張る大石内蔵助ら特別保安課の面々と、包帯を巻かれながらも静かに付き従うお雪の姿がある。

「大殿様……!? そのお姿は、一体……」

鉄砲鍛冶の鉄五郎が、金槌を持ったまま呆然と立ち尽くした。

オランダ人技師のヤンも、信じられないものを見る目で若林を見つめている。

大石が一歩前に出て、事の顛末を誇らしげに語った。

大殿自らが『算盤』を捨て、短銃を手に最前線のキルゾーンへ飛び込み、一人の間諜(お雪)のために大英帝国の傭兵どもを皆殺しにして帰ってきたのだと。

「……フン。大げさに言うな、大石」

若林は、懐から無骨な『鉄の煙管』を取り出した。

横浜で純銀の煙管を自らへし折った若林のために、大石が急ごしらえで見繕ってきた代物だ。

若林は、鉄の煙管の雁首を、灰吹の代わりに近くの金床に打ち付けた。

――ガキィィンッ!!

純銀の澄んだ音とは違う、荒々しく、腹の底に響く重厚な金属音が実験棟に響き渡った。

若林は、鉄五郎たち職人を見据え、ドス黒い広島弁で静かに告げた。

「ワシは、ワシの戦いをしてきた。……次はお前らの番じゃ、鉄五郎。大英帝国の本隊(大艦隊)が、必ずこの国に攻めてくる。それまでに『鉄の心臓(蒸気機関)』を造り上げろ」

その瞬間。

鉄五郎をはじめとする日本の職人たちの目に、これまでとは全く異質の『炎』が宿った。

(……この御方は、ただカネを出してふんぞり返るだけの殿様じゃねえ)

鉄五郎の魂が、熱く震えていた。

武士の頂点に近い男が、たった一人の部下のために泥を被り、命を懸けたのだ。

ならば、モノづくりに魂を売った職人として、ここで応えなければ男ではない。絶対に不可能と言われた「歴史の壁」など、意地でも叩き割ってやる。

「……野郎どもォォォッ!! 聞いたか!! 大殿様が俺たちのために、命を張って毒の元栓を締めてきてくだすったんだぞ!!」

鉄五郎が、血を吐くような大音声で叫んだ。

「これ以上、試作機を爆発させてみろ! 江戸の職人の名折れだ! ……何が何でも、蒸気の圧に耐え切る『魂のシリンダー』を打ち出して、大殿様に日本一の船を献上するんだよォォッ!!」

「「「オオォォォォォォォォッ!!!」」」

職人たちの雄叫びが、実験棟を揺るがした。

彼らの心に点火されたのは、単なる責任感ではない。若林幸隆という『真の君主』への、狂気にも似た報恩の念であった。

***

その日から、三河の実験棟は『修羅場』と化した。

「ヤン! オランダの鋳造法じゃ、どうしても鉄の中に気泡(ス」ができて、そこから圧が逃げて割れちまう! やり方を変えるぞ!」

鉄五郎は、上半身裸で火の粉を浴びながら、ヤンの設計図に真っ赤な炭を叩きつけた。

「やり方を変えるって、どうするつもりだ!? 西洋の技術より上の方法なんて……」

「あるさ。俺たち日本人が、何百年も前からやってきた方法がな!」

鉄五郎が持ち出したのは、刀鍛冶の秘伝である**『折り返し鍛錬』と『玉鋼たまはがね』**の技術であった。

西洋のように型に溶鉄を流し込む(鋳造)だけでは、当時の日本の炉の温度では不純物が混ざり、強度が落ちてしまう。

ならばと、鉄五郎たちは莫大な量の上質な砂鉄を集め、たたら吹きで極上の玉鋼を精製。それを赤熱させ、職人たちが文字通り『人力』で何千回、何万回と叩き、折り返し、不純物を完全に叩き出して強靭なシリンダーの筒を鍛え上げようというのだ。

「オーマイゴッド……! クレイジーだ! こんな巨大な鉄の塊を、すべて人力で鍛造するなんて……!」

ヤンは、燃え盛る炉の前で大鎚を振り下ろし続ける日本の職人たちの姿に、戦慄すら覚えていた。

「舐めるなよ異人! 大殿様のタマが懸かってんだ! 腕の二、三本千切れたって、絶対に叩き上げてやる!!」

昼夜を問わず、実験棟からは大鎚が鉄を打つ音が鳴り響き続けた。

若林は一切口を出さず、ただ大量の飯と酒、そして莫大な『吉良札』による資金を供給し続けた。

ヤンもまた、職人たちの執念に脳を焼かれた一人だった。

「……負けてたまるか! ならば私は、シリンダーの内側を極限まで滑らかに削り出す(ボーリング加工)ための、特殊な研磨機を再設計する! 蒸気が一ミリも漏れない、完璧な密閉を約束しよう!!」

東洋の執念(刀鍛冶の極致)と、西洋の理論の悪魔合体。

人間の「感情」が、合理性の限界を突破していく。

そして、十数日の不眠不休の狂乱の果てに。

ついに、一つの巨大な「鉄の心臓」が組み上がった。

***

「……火を入れろ」

若林の静かな命令が下った。

実験棟の中央に鎮座するのは、これまでとは比べ物にならないほど分厚く、鈍い黒光りを放つ新型の蒸気機関。

その外側には、巨大な木製の『外輪パドルウォール』が接続されている。

鉄五郎が、震える手でボイラーの炉に石炭をくべ、火を放った。

ゴォォォォォッという地鳴りのような音が響き、ボイラー内の水が沸騰を始める。

圧力計(ヤンが作製した手製のメーター)の針が、じりじりと上がっていく。

以前、三号機が木っ端微塵に吹き飛んだ「限界の赤い線」に、針が到達した。

職人たちが息を呑み、思わず後ずさりする。

だが、鉄五郎だけはシリンダーの真横に立ち、祈るように鉄の表面に手をかざしていた。

「……耐えろ。耐えやがれ、俺たちの魂……ッ!」

圧力計の針が、赤い線を越えた。

ミシィッ……と、シリンダー全体が尋常ではない高圧に軋む音を立てる。

(割れるか……!?)

誰もが最悪の事態を覚悟した、その瞬間。

シュゴォォォォォォォォッ!!!

排気弁から、白く力強い蒸気が猛烈な勢いで吹き出した。

同時に、鉄五郎たちが文字通り血と汗で鍛え上げたシリンダーの中で、極限の密閉状態を保ったピストンが、凄まじい推進力を伴って「ガションッ!!」と押し上げられた。

「動いた……!」

ピストンの往復運動が、クランクシャフトを通じて回転運動へと変換される。

ガション、ガション、ガション!!

蒸気機関の鼓動が、まるで巨大な怪物の産声のように実験棟に響き渡る。

それに連動し、接続されていた巨大な木製の『外輪』が、風も潮の流れも関係なく、自らの内なる力だけで勢いよく回転し始めた。

「……回った……! 回ったぞォォォォォォォォッ!!」

鉄五郎が、顔をくしゃくしゃにして泣き叫んだ。

職人たちが抱き合い、泥と煤にまみれた顔で男泣きに泣いている。ヤンもまた、「ヒストリー(歴史)が、今、変わった……!」と膝から崩れ落ち、十字を切っていた。

江戸時代において、ついに「産業革命の心臓」が、日本の職人たちの意地によって完全稼働を果たしたのだ。

「……フン。よくやった、お前ら」

若林幸隆は、回転する巨大な外輪を見上げながら、無骨な鉄の煙管をふかした。

その顔には、かつての冷酷なマシーンではなく、大事業を成し遂げた部下たちを心底誇りに思う、君主としての笑みが浮かんでいた。

若林は、傍らに控える大石と義周に視線を向けた。

「大石。この『鉄の心臓』を、極秘に建造させていた新型の装甲船に積み込め。日本初の和製・装甲蒸気船じゃ」

「ははぁッ!! ただちに!!」

「義周。吉良札の防衛戦は勝利した。これより我が吉良家は、江戸湾の防備を完全に掌握する。柳沢の狸親父に『手筈通りに動け』と伝えろ」

「御意にございます」

若林は、実験棟の開け放たれた扉の向こう、冬の冷たい海を見据えた。

「大英帝国(白豚ども)が、艦隊を連れてやって来る。……ワシらが作り上げたこの『未来の怪物』で、奴らの時代遅れの帆船どもを、江戸湾の底に沈めてやるんじゃ」

――ガキィィンッ!!

若林が打ち鳴らした鉄の煙管の音が、反撃の号砲として三河の空に響き渡る。

歴史の壁を叩き割った「和製黒船」が、世界最強の覇権国家イギリスを迎え撃つ時が、いよいよ目前に迫っていた。

読んでいただきありがとうございます。

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