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EP 4

『論語と算盤』第三手 ―― 合法的な兵糧攻め(口座凍結)

江戸の町に「浅野内匠頭は乱心していた」「吉良様は痛ましい被害者だ」という瓦版が撒かれ始め、世論の風向きが変わりつつあった頃。

吉良邸の奥座敷では、若林幸隆(吉良上野介)が、江戸絵図と赤穂藩の帳簿(写し)を前に、冷徹な計算を進めていた。

傍らには、すっかり若林の「裏の顔」に心酔し、絶対の忠誠を誓った武闘派の側近・小林平八郎が控えている。

「殿。江戸中の瓦版屋どもが、殿の筋書き通りに動き始めました。町民の間でも『浅野は気が狂っていたのだから切腹は当然』という声が広まっております」

平八郎の報告に、若林は手元の純銀の煙管きせるをゆっくりと燻らせた。

「上出来じゃ。じゃが、世論の空気スピンだけでは、狂信的なテロリストは止まらん。奴らの『手足』を物理的にもぎ取る必要がある」

「手足、でございますか?」

若林は煙管の雁首を、トントンと赤穂藩の帳簿に打ち付けた。

「テロを起こすには何が要ると思う? 忠義か? 勇気か? 違う。……『カネ』じゃ」

若林は、かつて与党幹事長として数多の選挙戦や派閥抗争を取り仕切ってきた経験から、「実弾(資金)」のない戦いがどれほど無惨な結果に終わるかを骨の髄まで知っていた。

「史実……いや、これまでの例から見てみい。藩が取り潰されれば、家臣どもは路頭に迷う。浪人となれば明日の飯にも困るんじゃ。そんな連中が、何年にもわたって江戸に潜伏し、武器を揃え、徒党を組んで討ち入りなどできるわけがねえ。……裏に必ず『軍資金』があるはずじゃ」

「なるほど……! 確かに、赤穂の城を明け渡す際、筆頭家老の大石内蔵助は、藩の残金などを処理しているはず。その金を討ち入りの資金として隠し持っていると……?」

「その通りじゃ。ワシの調べでは、赤穂藩が製塩業などで蓄えていた隠し金が、大坂の豪商・天王寺屋や平野屋のあたりに預けられとる可能性が高い。額にしておよそ七百両(約七千万円)。これが大石の命綱じゃ」

若林は、懐から取り出したオランダ渡りの懐中時計の蓋をカチンと開け、文字盤を見つめた。

政治家・若林幸隆の根底にある哲学の一つ、『論語と算盤』(渋沢栄一)。

「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」――大石内蔵助の抱く『忠義(道徳)』など、軍資金(算盤)を叩き割ってしまえば、ただの惨めな寝言に成り下がるのだ。

「平八郎。大石が頼りとするその七百両を、一銭残らず『凍結』するぞ」

「と、凍結……でございますか? しかし、それは赤穂藩の……いや、今は大石の預かり金。我らが手を出すことなど……」

「馬鹿を言え。ワシらが直接手を下す必要などねえ」

若林は、極悪非道な笑みを浮かべ、再び煙管を灰吹の縁に打ち付けた。

――カンッ!

「……幕府の『法』を使うんじゃよ。現代の言葉で言えば、『マネーロンダリング防止法』と『テロ資金提供処罰法』の適用じゃな」

若林の口から飛び出す聞き慣れない南蛮の言葉(現代語)に平八郎は目を白黒させたが、若林は構わず悪魔的な策を語り始めた。

「ええか。赤穂藩は改易(取り潰し)となった。つまり、藩の財産は本来、すべて幕府に没収されるべき『公金』じゃ。大石はそれを、家臣への退職金と偽って私物化し、あろうことか『幕府の決定に逆らうテロ行為(討ち入り)』の資金にしようとしとる。……これを幕府の勘定奉行が知ったら、どうなる?」

平八郎の顔に、サッと血の気が引いた。

「公金の横領……! しかも、上様(将軍)の裁定に逆らうための資金隠し! それは紛れもなく、大罪でございます!」

「御意。ワシは高家こうけの立場を使って、勘定奉行の荻原重秀おぎわら しげひで殿に『極秘の忠告』を入れる。荻原殿はカネに細かい辣腕の官僚じゃ。赤穂の隠し金の存在を知れば、絶対に放ってはおかん」

若林の目は、盤上の駒をなぶり殺しにする棋士のように冷酷だった。

「幕府から大坂の豪商たちへ、直々に通達を出させるんじゃ。『赤穂藩の残金は公儀の預かりとする。大石内蔵助をはじめ、元赤穂藩士への引き出しを一切禁ずる。違反した商屋は、公儀への反逆とみなし、即刻取り潰す』とな」

「!!」

平八郎は息を呑んだ。

剣を交えることも、血を流すこともない。ただ幕府の法規と権力を利用し、書類のやり取りだけで、敵の軍資金を完全に「封鎖」する。

圧倒的な権力者だけが使える、合法的な兵糧攻め(口座凍結)である。

「さらにじゃ。ワシの領地である三河の吉良荘で作らせとる特産の塩を使い、大坂の豪商どもに『裏の交渉』をふっかける」

若林は、史実の吉良上野介が領地で塩田開発を成功させた名君であったことを最大限に利用していた。

「豪商どもにこう伝ええ。『公儀に逆らって大石に肩入れし、店を潰すか。それとも、公儀に従い、さらに吉良家が握る上質な塩の専売権のおこぼれに預かるか』……と。商人は義理人情では動かん。圧倒的な『利益(算盤)』と『恐怖』で動くんじゃ」

「……恐るべき御策。大石の奴め、手も足も出せなくなりますな」

平八郎は、己の主君の底知れぬ恐ろしさに武者震いをした。

「当然じゃ。これで大石は、討ち入りに必要な武器も買えず、江戸への旅費も出せず、浪人となった部下たちに飯を食わせることすらできなくなる」

若林は、煙管の煙をふぅと吐き出しながら、遠く赤穂の地にいる大石内蔵助の絶望する顔を想像した。

「大石よ……テメェの抱える四十七人の部下どもは、腹を空かせ、家族を抱え、世間からは『狂人の家来』と蔑まれる。それでもテメェは『忠義のために死ね』と、無一文のあいつらに言えるんか?」

大義名分(世論)を奪い、資金カネを断つ。

若林幸隆の戦いは、敵が土俵に上がる前に、土俵そのものを更地に変えてしまう政治家のそれであった。

「……平八郎」

「はっ!」

「次は、ワシら自身の足元を固める番じゃ。……吉良邸を、江戸一の『要塞』に作り替えるぞ。連中がもし、万が一にも狂い咲きして突っ込んできた時、赤子のように捻り潰せる『システム』を構築する」

若林の瞳に、防衛大臣時代に培った冷徹な「国防」の光が宿った。

元禄の世に、現代の防衛ドクトリンを取り入れた絶対防衛線が引かれようとしていた。

読んでいただきありがとうございます。

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