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EP 3

月の女王のブロードキャスト――数千万の非暴力ゼネスト

昭和16年(1941年)夏。

英領インド帝国、デリー。悪臭と熱気が渦巻くスラム街の広場は、水を打ったような静寂に包まれていた。

何千、何万という痩せこけた人々が、まるで神の使いを拝むかのように、手のひらサイズの「黒い魔法の小箱ソーラーラジオ」を見つめている。

そこから流れてくるのは、彼らを「豚」や「奴隷」と蔑む白人たちの冷酷な英語ではない。完璧で、そしてどこまでも優しい母国語(ヒンディー語)の響きだった。

『――私は、大日本帝國特命全権大使、日野輝夜。……遠き地に住まう、名もなき同胞の皆様。あなたたちの流した血と涙の声は、私たちの元へ確かに届いています』

スラムの少年・ラームは、その鈴の音のような声に、思わず息を呑んだ。

声の主は、自分たちの顔も、名前も知らないはずの極東の女性だ。しかし、その声には、虐げられてきた彼らの魂を優しく包み込むような、絶対的な慈愛が満ちていた。

『あなたたちは、何百年もの間、自らの土地を奪われ、汗水流して育てた小麦も綿花も、すべて見知らぬ白人たちの富のために搾取されてきました。……彼らはあなたたちを「野蛮な有色人種」と呼び、鞭打ち、文明を与えるという口実で奴隷のように扱ってきた』

ラジオから流れる輝夜の言葉は、インドの民衆が心の奥底に封じ込めていた「真実」を、次々と代弁していった。

『ですが、彼らの言う文明とは何でしょうか? 倉庫に輸出用の穀物が腐るほど余っているのに、路上で赤ん坊が餓死していくのを笑って見過ごすことが、文明でしょうか? ……いいえ、違います。彼らはただの強盗です。あなたたちは劣等民族などではない。誇り高き、この黄金の大地の真の主です』

「あ、ああ……っ」

ラームの隣にいた老婆が、皺だらけの手を合わせ、ポロポロと大粒の涙をこぼした。

それはデリーだけではない。カルカッタの港町でも、ボンベイの工場地帯でも、マドラスの農村でも。

数千万のインド民衆が、これまで誰一人として言ってくれなかった『あなたたちは人間だ』という当たり前の肯定に、魂を震わせて泣き崩れていた。

『――だからこそ、立ち上がりなさい』

輝夜の声に、強い、王としての覇気が混じる。

『ただし、武器を取ってはいけません。彼らに暴力を振るえば、彼らは喜んで機関銃を持ち出し、あなたたちを虐殺する口実にするでしょう。……私が皆様にお願いしたいのは、ただ一つ。「何もしないこと」です』

ラジオの前の民衆たちが、顔を上げる。

『畑の鍬を置きなさい。港のクレーンを止めなさい。機関車の火を落とし、工場から立ち去りなさい。彼らのために紅茶を淹れるのも、服を洗濯するのも、すべてやめるのです。……絶対的な非暴力。大英帝国という巨大な機械の歯車であることを、今この瞬間から、全員でやめるのです』

そして、輝夜は最後に、最も力強い約束を口にした。

『報復を恐れる必要はありません。……あなたたちの命と明日は、世界の覇権を握る大日本帝國が、すべての力を懸けて完全に保証いたします』

プツン、と。

放送が終わった。

直後。

数千万のインド人が、一言も言葉を交わすことなく、一斉に行動を開始した。

   ◆

「ど、どういうことだッ!? 列車が動かないだと!?」

総督府の執務室で、カニンガム総督は受話器に向かって金切り声を上げていた。

軍事用の有線電話からは、インド各地のイギリス軍将校たちの悲鳴のような報告が次々と飛び込んでくる。

「ボンベイ港の港湾労働者が、一斉に職場を放棄しました! 積み荷が船に乗せられません!」

「カルカッタの紡績工場も完全にストップしました! 暴動ではありません、ただ全員が座り込んで、一切の労働を拒否しているのです!」

「そ、総督閣下! 官邸のインド人使用人たちも、全員姿を消しました! 我々の朝食を作る者すら、誰もおりません!!」

絶対的な非暴力による大ストライキ(ゼネスト)。

それが、たった一日のうちに、いや、数時間のうちにインド全土で完璧に実行されたのだ。

武器を持たない民衆の反乱など、機関銃で一掃すればいいと考えていた大英帝国の支配者たちは、根底から計算を狂わされた。

彼らは、インド人から富を搾取することでしか生きていけない。

鉄道を動かすのも、荷物を運ぶのも、自分たちの身の回りの世話をさせるのも、すべて「劣等民族」と見下していたインド人に依存していたのだ。

その歯車が完全に停止した瞬間、大英帝国という巨大な怪物は、自らの血流が止まり、一歩も動けない巨大なスクラップと化したのである。

「ええい、クソッ! クソがあぁぁぁッ!!」

カニンガムは、机の上の書類を怒りに任せて薙ぎ払った。

極東の女狐め。情報を遮断したはずのこの国に、どうやってあれほどクリアな音声を、数千万人へ同時に届けるという魔法チートを使ったのだ。

「……良いだろう。奴らが働かないというのなら、それ相応の地獄を見せてやる」

カニンガムの目に、焦燥と残忍さが入り混じった狂気の光が宿った。

「インド全土の食糧配給を、即座に完全停止しろ。軍の倉庫にある穀物には厳重に鍵をかけ、市場の食糧はすべて没収して燃やせ。……働かざる者食うべからずだ。極東の女がいくら甘い言葉を吐こうが、腹の足しにはならん。子供たちが飢えに苦しみ、路上で死に絶え始めたら、奴らも泣き喚いて我々の足元にすがりついてくるだろう」

それは、支配者による究極の非道、『兵糧攻め』の決定であった。

   ◆

時を同じくして。帝都・東京、首相官邸。

「……ほう。総督府のクソダニどもは、食糧配給の完全停止に踏み切ったか。予想通りのチンピラ以下の発想じゃな」

近衛文麿(若林幸隆)は、特務機関からの暗号電報を読み上げながら、不敵に笑った。

「ええ。民衆を飢えさせて屈服させる……大英帝国の常套手段ですね」

日野輝夜は、全く動じることなく、冷たい眼差しでインドの地図を見つめていた。

「ワシらの可愛い民衆ファンを、腹ペコにさせるわけにはいかんのう。……輝夜、準備はええか?」

「はい。すでに手配は完了しています。満州の広大な農地で、理研のチート農業技術が育て上げた『無尽蔵の食糧』が、出番を待っていますわ」

幸隆が、デスクの上の赤い電話の受話器を取った。

「……山本長官か。ワシじゃ。……ああ、予定通りじゃ。帝國が世界に誇る『天の箱舟(超巨大輸送飛行船団)』を全機発進させろ。……イギリスの馬鹿どもに、空が真っ暗になるほどの絶望と、腹がはち切れるほどの飯をデリバリーしてやれ」

大英帝国の兵糧攻めを、圧倒的な「物理とチートの暴力」で完全粉砕する。

飢える数千万の民衆の頭上に、大日本帝國の放つ『奇跡の雨(食糧支援)』が降り注ぐ刻が、間近に迫っていた。

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