EP 2
紳士の皮を被った悪魔と、理研の魔法の小箱
英領インド帝国、総督府。
重厚なシャンデリアが照らす執務室で、インド総督カニンガムは苛立たしげにデスクを叩いた。
「……何だと? ボンベイの港湾労働者どもが、ストライキを企てているだと?」
報告に上がったイギリス軍の将校が、額の汗を拭いながら頷いた。
「は、はい。どうやら日本の特務機関が裏で資金を流し、現地の独立運動家たちを扇動しているようです。このままでは、本国への物資輸送に遅れが……」
「ええい、忌々しい極東の猿どもめ!」
カニンガムは、飲みかけのブランデーグラスを壁に投げつけた。ガシャンという鋭い音と共に、琥珀色の液体が飛び散る。
「だが、所詮は有色人種の浅知恵だ。奴ら(インド人)は文字もろくに読めない愚民の集まり。指導者同士の『連絡手段』さえ絶てば、烏合の衆に成り下がる」
カニンガムは、冷酷な笑みを浮かべて命令を下した。
「本日をもって、インド全土の民間電信網をすべて物理的に切断しろ。新聞社の輪転機は破壊し、集会は一切禁止だ。……奴らの『目と耳と口』を完全に塞いでしまえ。暗闇と孤独の中で、大英帝国に逆らったことを後悔させてやるのだ」
それは、19世紀から続く大英帝国の典型的な植民地支配の手法であった。
物理的なインフラを独占し、情報を統制する。情報を持たない民衆は団結できず、最終的には圧倒的な武力を持つ支配者に屈するしかない。
カニンガムは、これで完全に独立の芽を摘み取ったと確信し、勝利の美酒を注ぎ直した。
◆
だが、彼らは致命的に理解していなかった。
自分たちが相手にしているのが、1940年代の常識で動く国家ではなく、時代を半世紀以上先取りした『未来の怪物たち』であるということを。
同じ頃。帝都・東京、理化学研究所の地下実験室。
「……クックックッ。イギリスの馬鹿どもが、ご丁寧に自分たちから電信線を切ってくれたそうじゃな」
近衛文麿(若林幸隆)は、白衣姿の技術者たちに囲まれながら、手の中にある「小さな物体」を弄び、ドス黒く笑った。
「ええ。カニンガム総督の狙い通り、インド国内の物理的な通信インフラは完全に沈黙しました。……『1941年の常識』で言えば、ですが」
隣に立つ日野輝夜が、クスリと優雅に微笑む。
幸隆の掌に乗っていたのは、黒く四角い、手のひらサイズのプラスチックの箱だった。
それは、史実において1950年代後半にようやく普及し始める『トランジスタ・ラジオ』であった。いや、それだけではない。箱の裏面には、太陽光で発電する『超高効率ソーラーパネル』がびっしりと敷き詰められている。
「真空管を使わんから、手のひらサイズで超軽量。おまけに太陽の光さえあれば、電池なんか一生不要じゃ。……どうじゃ、理研のチート技術の結晶は?」
「ええ、素晴らしいわ、幸隆さん」
輝夜は、その小さな箱を愛おしそうに見つめた。
イギリスがどれだけ電線を切り刻もうと、空から降り注ぐ電波と太陽の光を遮断することなど不可能だ。
問題は、この「魔法の小箱」をどうやってインドの民衆に届けるかだったが、それもすでに解決済みであった。
「ワシらが米英から奪い取った『世界の海運カルテル』を舐めるなよ。インド中の港に入港する日本の貨物船から、数千万個のこのラジオを、米の袋の底に隠してばら撒かせた。……今頃、現地の特務機関が、スラムから農村まで、一つ残らず配り終えとる頃じゃ」
幸隆は、愛用の『ピース』をふかしながら、悪魔のように目を細めた。
「さあ、イギリスの紳士気取りどもに教えてやろうぜ。情報を独占しているつもりの権力者が、民衆全員が『真実の耳』を持った瞬間に、どれだけ無様に見捨てられるかをな」
◆
翌朝。英領インド帝国、デリーの貧民街。
飢えに苦しむ十代のインド人少年・ラームは、路地裏のゴミ溜めの影で、見慣れない「黒い小箱」を拾った。
昨夜、顔を隠した何者かが、スラムのあちこちに置いて回っていたものだ。
(なんだ、これ……? 上のところに、日本の国旗(日の丸)みたいな赤い印があるけど……)
ラームは、おそるおそるその箱の側面にあるダイヤルを回した。
カチッ、という小さな音がした瞬間。
『――ザザッ……インドの、名もなき同胞の皆様』
「うわぁッ!?」
ラームは驚いて箱を取り落としそうになった。箱の中から、驚くほどクリアな音声で、自分たちの母国語(ヒンディー語)が聞こえてきたのだ。
周囲のスラムの住人たちも、それぞれの手に同じ小箱を持ち、目を見開いて集まってきた。
イギリス軍に新聞も電報も奪われ、何が起きているのかも分からず、ただ恐怖と飢えに耐えるしかなかった彼らの耳に、その声は、まるで天から降り注ぐ『神の啓示』のように優しく、力強く響き渡った。
『私は、大日本帝國特命全権大使、日野輝夜。……あなたたちの声は、私たちに届いています』
同じ現象が、デリーだけでなく、カルカッタ、ボンベイ、マドラス……インド全土の数千万人の手元で同時に起きていた。
電池を持たない貧しい農民たちも、太陽の光にかざすだけで無限に声を発する「魔法の小箱」に、涙を流して耳を傾けている。
◆
「ど、どういうことだッ!? なぜ奴らが、極東の放送を聴いている!!」
総督府のバルコニーで、カニンガム総督は血走った目で絶叫していた。
眼下の広場には、昨日まで怯えて俯いていたはずのインドの民衆たちが、手にした「黒い小箱」から流れる放送を聴きながら、次々と力強い足取りで集結し始めていたのだ。
「妨害電波を出せ! すぐにあの放送を止めろォォォッ!!」
「だ、駄目です総督! 奴らのラジオは、我が軍の妨害電波の周波数を自動で回避する未知の技術が使われています! 物理的な電源ケーブルも無いため、取り上げることも不可能です!!」
通信兵が、泣きそうな顔で報告する。
「ば、馬鹿な……。数千万の貧民ども全員に、最新鋭の無線機をタダで配り歩いたというのか!? 極東の猿どもは、どれだけ莫大な資金と技術を隠し持っているのだ!!」
カニンガムは、バルコニーの手すりを強く握りしめ、ワナワナと震えた。
情報を遮断し、恐怖で縛り付けていたはずの奴隷たちが、たった一つの『魔法の小箱』によって、完璧に統制された一つの巨大な群れへと変貌していく。
時代を五十年置き去りにした大日本帝國の情報革命。
その小箱から流れる、月の女王・日野輝夜の『世界を揺るがす演説』が、大英帝国の崩壊を告げる終末のラッパとして、インドの大地に高らかに鳴り響こうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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