第十三章 アジア大解放と沈みゆく老獅子編
沈まぬ太陽の搾取――女王の決断
昭和16年(1941年)夏。
ナチス・ドイツを経済制裁で干上がらせ、ソビエト連邦の機甲師団を未来の超兵器で蒸発させた大日本帝國は、名実ともに世界の頂点に君臨していた。
列強は日本の圧倒的な力の前に沈黙し、世界には「パクス・ジャポニカ」と呼ばれるかりそめの平和が訪れたかのように見えた。
しかし、太陽の光が強ければ強いほど、その裏には色濃い闇が落ちる。
灼熱の太陽が容赦なく照りつける、英領インド帝国・デリー。
かつて「大英帝国の王冠を飾る最大の宝石」と呼ばれたこの広大な大地は今、文字通りの『生き地獄』と化していた。
「……動けッ! 怠けるな、この汚らしい豚どもめ!!」
ビシィィッ! という乾いた鞭の音が、熱砂の舞う農園に響き渡る。
背中を打たれ、悲鳴を上げて倒れ込んだのは、骨と皮ばかりになったインド人の農民であった。彼の周囲では、同じように痩せ細った老若男女が、虚ろな目をしながら強制労働に従事させられている。
彼らが育てた小麦や綿花は、彼らの口に入ることはない。そのすべてが、冷酷な白人監督官たちによって根こそぎ徴収され、巨大な貨物船に積み込まれていくのだ。
「……ふん。有色人種の猿どもが。何度鞭打たれても学習しない家畜どもめ」
その惨状を、農園を見下ろす瀟洒な洋館のバルコニーから見下ろしている男がいた。
イギリスから派遣されたインド総督、カニンガムである。
彼は、氷のたっぷり入った最高級のダージリンティーを優雅に啜りながら、眼下の同国人(イギリス軍人)に冷酷な命令を下した。
「税の徴収率を、さらに二割引き上げろ。逆らう村は見せしめに焼き払って構わん。……我々大英帝国は、極東の生意気な猿(日本)に莫大な戦争賠償金を支払わねばならないのだ。本国の誇り高き白人の市民たちから税を取るわけにはいかん。野蛮な有色人種どもから、最後の一滴まで血と汗を搾り取れ」
カニンガムの目には、眼下で苦しむ人々に対する同情など微塵もなかった。
彼らにとって、アジアの人間は「人間」ではない。大英帝国の優雅な生活を支え、日本の理不尽な要求の尻拭いをするための『使い捨ての道具(奴隷)』でしかなかった。
「……武力で我々を脅しつけた日野輝夜とやらも、所詮は偽善者だ。難民を救ったなどと聖女ぶっているが、我々がこうして植民地から搾取した金で賠償金を受け取っていることには気づいていまい。世界を支配するのは、いつの時代も我々、最も優れたアングロサクソンなのだ」
カニンガムは醜く口角を上げ、よく冷えた紅茶を飲み干した。
インドの路上には、今日も餓死した子供たちの亡骸が、誰に弔われることもなく転がっていた。
◆
同時刻。帝都・東京、首相官邸。
冷房の効いた快適な総理執務室は、重苦しく、息が詰まるような沈黙に包まれていた。
「……これが、現在のインドの状況ですか」
真っ白なドレスコートに身を包んだ特命全権大使・日野輝夜は、広いマホガニーのデスクの上に並べられた数十枚の『白黒写真』を見つめながら、わなわなと肩を震わせていた。
写真に写っていたのは、先ほどカニンガムが見下ろしていた悲惨な光景そのものだった。
路上で力尽きた母親と、その傍らで泣き叫ぶ痩せこけた子供。鞭打たれ、血を流しながら働く農民たち。そして、彼らから奪った食糧を山積みにして笑い合うイギリス軍人たちの姿。
「ワシの直属の特務機関が、インドに潜入して撮ってきた特ダネじゃ。……酷いもんじゃろ」
デスクの向かい側で、深々とソファに腰掛けた近衛文麿(若林幸隆)が、紫煙を吐き出しながら低く唸った。
彼のドス黒い三白眼には、静かだが、触れればすべてを焼き尽くすような『極限の殺意』が渦巻いていた。
「イギリスのクソダニどもめ。ワシらに莫大な賠償金を吹っかけられた腹いせに、そのツケをすべて植民地のアジア人どもに押し付けよった。……自分たちの懐(本国)は一切痛めず、有色人種を奴隷にしてしのごうという、吐き気のするクソみたいな算段じゃ」
ポタリ、と。
輝夜の目からこぼれ落ちた大粒の涙が、一枚の写真を濡らした。
輝夜は、満州にユダヤ人難民を受け入れ、数百万の命を救った。世界は平和になったと信じていた。
だが、自分が救えなかった――いや、自分たち(日本)がイギリスに強烈な圧力をかけたことの『しわ寄せ』によって、はるか遠い南の大地で、名もなき罪なき人々が飢え、殺されているのだ。
「……私の、責任です」
輝夜は、震える手で写真を掻き集め、胸に抱きしめた。
「私が、彼らを苦しませている。私がもっと早く、世界の歪みに気づいていれば……ッ!」
「おどれのせいじゃねえよ、輝夜」
幸隆は、タバコを灰皿に押し付け、立ち上がった。
そして、輝夜の小さな肩に、その大きな右手をポンと乗せた。
「悪いのは、何百年も前から他人の国に土足で上がり込み、血を啜ってきた吸血鬼どもじゃ。……ワシらがどれだけ正論を叩きつけても、あの紳士ヅラした連中は絶対に植民地を手放さん」
幸隆は、修羅のような笑みを浮かべ、窓の外の帝都の空を見据えた。
「どうする、輝夜? おどれが首を縦に振るなら、今すぐインド洋に連合艦隊を派遣してやるぞ。理研の超兵器で、デリーの総督府ごと、あのふざけた白人どもを木端微塵に消し飛ばしてやろうか?」
それは、最も手っ取り早い解決策だった。
今の日本の軍事力ならば、イギリスの植民地軍など数日で壊滅させ、インドを武力制圧することは造作もない。
だが。
輝夜は、袖口で涙を乱暴に拭うと、静かに、しかし断固として首を横に振った。
「いいえ。……武力で彼らを焼き払うのは、三流のやり方です」
「ほう?」
幸隆が、面白そうに目を細める。
輝夜が顔を上げた時、その瞳にもう涙はなかった。
そこにあったのは、かつて幸隆に守られていた「か弱き令嬢」の脆さではなく、世界を束ねる絶対的な「王」としての、氷のように冷たく、そしてどこまでも深い『慈悲と怒り』の光だった。
「私たちが武力でイギリスを攻撃すれば、彼らは必ず『日本が侵略してきた』と世界に向けて被害者ぶるでしょう。そして、戦火に巻き込まれて一番血を流すのは、現地のインドの人々です」
輝夜は、デスクの上に広げられたインド全土の地図を、白魚のような指でトンと叩いた。
「彼ら(イギリス)の傲慢さの根源はなんでしょうか? それは、植民地から無尽蔵に富を搾取できるという『システムの優位性』と、自分たちこそが文明をもたらす者だという『腐ったプライド』です」
「……なるほど。なら、どうする?」
「根こそぎ、奪い取ります」
輝夜の口から紡がれたのは、一切の血を流さずに一国を崩壊させる、最も残酷な死の宣告だった。
「一発の銃弾も撃ちません。ただ……理化学研究所の持つ『未来の技術』と、私たちが掌握した『世界の金融・インフラ網』のすべてを使って、イギリスの植民地支配のシステムを根底から無力化します」
輝夜は、窓際へと歩み寄り、インドの方角――遠い南の空を見つめた。
「現地の民衆に、真の『情報』と『食糧』を与え、彼ら自身の手で立ち上がらせる。イギリスには指一本触れさせず、彼らが誇る富をすべて紙屑に変える。……大英帝国を、誰からも相手にされない、ただの『貧しく、惨めで、極寒の島国』へと叩き落とすのです」
「……クックックッ! アーッハッハッハッハ!!」
輝夜の、あまりにも壮大でえげつない『王道の復讐劇』を聞き、幸隆は腹の底から歓喜の爆笑を上げた。
武力で殺すよりも、遥かに相手の尊厳を破壊する最高のざまぁ。これこそが、彼が育て上げた最強の女王の真骨頂であった。
「最高じゃ。おどれは本当に、世界で一番恐ろしい女になったのう」
「あなたが教えたのですよ、幸隆さん。……悪党の倒し方を」
輝夜もまた、不敵に微笑み返した。
大日本帝國が次に狙う標的は、数百年もの間、世界中から富を搾取し続けてきた最古にして最大の怪物・大英帝国。
銃も大砲も使わない、未来知識と無限のチート資金を全投入した『史上最大のアジア解放戦線(嫌がらせ)』が、今、静かに幕を開けようとしていた。
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