EP 3
帝都の叛逆者たち――静かなる開戦前夜
帝都の夜は、いつも以上に静まり返っていた。
だが、その静寂は平和の証ではない。嵐の前の、不吉な沈黙であった。
近衛文麿(若林幸隆)が入院している陸軍中央病院。
周囲を警備する憲兵隊の顔ぶれが、不自然に入れ替わっていた。いつもの冷静な憲兵たちではない。どこか血気にはやり、ギラギラと獲物を探すような目をした男たちが、銃剣を携えて配置されている。
同じ頃、帝都郊外の練兵場。
黒田大佐の号令のもと、数千の兵士たちが黙々と銃器の整備を行っていた。
彼らの胸元には、叛逆の証である『黄色い布』が巻かれている。
「聞け!!」
黒田大佐は、暗闇の中で将校たちに向かって低く、しかし熱狂的な声で叫んだ。
「我らはこの国の軍人だ!! 独裁者・近衛の甘言に踊らされ、戦う機会を奪われ、敗戦国のようにユダヤ人の小守りをさせられている。今こそ我らが、明治維新の精神を取り戻すのだ!!」
兵士たちの眼には、狂信的な光が宿っていた。ナチスから供与された「未来の戦術書」と、潤沢な資金による強力な武器が、彼らの暴走を止められないものへと変貌させていた。
「総理の首を獲れば、軍が全権を掌握する。海軍の腑抜けどもも、女狐も一掃する!!……近衛派を一人残らず消し去り、大日本帝國を真の軍事大国へと再生させるのだ!!」
「応ッ!!!」
数千人の地響きのような雄叫びが、深夜の帝都にこだました。
◆
首相官邸。執務室の明かりは、まだ消えていない。
輝夜は地図を広げ、陸軍の動きを冷徹に追っていた。
「……動き出しましたね」
部屋の隅に控えていた側近が、震える声で告げる。
「大使殿……いえ、総理代行。練兵場が動き出しました。戦車が官邸へ向かっています。このままでは、病院も、官邸も包囲されます……!」
輝夜は静かにペンを置き、窓の外を見た。
そこには、遠くからこちらへ向かってくる、数多のヘッドライトの列が見えた。暗闇を切り裂く、鉄の塊の軍勢。それは、第一部で彼女が守り抜いてきた「平和な日常」を蹂躙する、軍靴の音であった。
「……怖くはありませんか?」側近が問いかける。
「ええ」
輝夜は微笑んだ。その瞳には、かつて幸隆が見せていた、あの狂気じみた「盤面を見下ろす支配者の目」が宿っていた。
「幸隆さんは、常にこの景色を見ていたのですね。……世界を敵に回し、裏切り者の影に怯えながら、たった一人で未来を創り上げる孤独。ようやく理解できました」
輝夜は立ち上がり、ドレスコートの襟をゆっくりと直した。
「通信網を完全に断たれ、味方も孤立させられる。……これは、幸隆さんがかつて体験した地獄を、私に追体験させるための『最後の試練』なのでしょう」
「代行、今すぐ避難を! 官邸の地下シェルターへ!」
「いいえ」
輝夜は毅然と言い放った。
「私が逃げれば、反乱軍は勝利したと確信し、病院の幸隆さんを殺しにいくでしょう。……敵をここに引きつけ、そして彼らの自尊心を根底から叩き折る。それが、私の戦い方です」
首相官邸の門が、重戦車のキャタピラによって粉砕された。
轟音とともに、黒田大佐率いる反乱軍の先遣隊が、官邸の庭になだれ込んでくる。
反乱軍の兵士たちは銃を構え、執務室の扉を蹴破った。
しかし――
そこにいたのは、震える政府高官でも、逃げ惑う事務員でもなかった。
ただ一人、机の前に座り、優雅に紅茶を啜る、月の女王だけであった。
「……黒田大佐。ずいぶんと騒がしい訪問ですね」
輝夜の冷たい声に、黒田は銃口を彼女に向けたまま、不敵に笑った。
「もはや終わりだ、日野輝夜。総理は死に体、お前は我らの捕虜だ。さあ、大人しく降伏しろ」
輝夜は、紅茶を一口飲み、満足げに目を細めた。
「降伏? ……いいえ。これから始まるのは、あなたの人生で最も屈辱的な『授業』ですよ」
反乱軍の数千の銃口が、一人の少女に突きつけられる。
帝都の夜空に、最初の一発が放たれる準備は整った。
運命のクーデターという名の地獄が、今まさに幕を開ける。
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