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勇者の魔法使い ─自力で行う異世界転移─  作者: 篳篥
第1章 懐かしき『コーラル』
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第20話 さらば、ウサ


 グラドが『初心者冒険者であるトーマ・スズシロ』のために用意してくれた装備品は、俺の希望通りの可も無く不可も無いレベルのものだった。魔法付与は施されていない、鉄製の胸当てとロングソード。後でさっきの刀と合わせて、魔法付与しておこう。


 こちらからグラドに渡したのはミトカの実という木の実を5つだった。ミトカは味も良くて滋養強壮に良い果実を付ける木だが、割とどこにでもある。

 それで装備品と価値は見合っているのかと疑問に思ったのだが、どうやらこの約800年の内にミトカの木の皮の成分が研究され、それを使う新薬がいくつか開発されたらしい。そのせいでミトカは伐採されまくり、気が付いたら白大陸以外ではもう見かけなくなっていた。慌てて数を増やそうとしたのに新しく植えたミトカは何故かうまく育たず、残された白大陸のミトカが保護指定されているのだとか。

 そのため他大陸ではミトカ関連の品は珍しいので高値が付くが、白大陸出身ということになっている俺なら持っていても可笑しくないためこういう取引には打ってつけらしい。

 成る程と感心すると同時に、こんな所にも時代の変化を感じて感慨深くなる。


 新たな装備品を手に入れた俺とは違い、リース兄妹は本当に見学をしただけで終わった。もう暫く――具体的にはFランクに昇格するまで――は装備が無くてもこなせる簡単なクエストに挑戦して、仕事に慣れつつ金も貯める方針のようだ。

 見学してる中でイストルとはそれなりに親しくなったようで、当初は塩対応をされていたアランも帰る頃には普通に話していた。仲良きことは美しき哉。でもイストル、お前は誰彼かまわずトーマス教に誘うのはやめろ。リース兄妹、頼むから染まってくれるなよ。


 『猫の目亭』で過ごす最後の夜、俺は浴場を借りることにした。いつもは【清潔クリーン】で済ませるが、明日から大迷宮に潜る。なのでその前に1回入浴したくなったのだ。日本人の性だろうか。

 夕食時に女将さんに鋼貨5枚を渡す。夕飯のメニューはウサギ肉のシチューだった。これもまた美味い。またウサに来た時は、『猫の目亭』に泊まろうと思えるほどだ。

 

 しかし、ふと思い出した。



 『やだ、やだ、食べる、やだ』


 『でもトーマ、折角ゼリが獲って来てくれたし、な?』


 『やだ、かわいそう、やだ』



 最初にこの世界に来たばかりの頃の事だ。アルに拾われてすぐ、まだ言葉もよく解らず、ルルス村で世話になっていた頃。

 アルに言葉や文字を教えてもらっていた時、ルルス村の青年がウサギを1羽持ってやって来た。たくさん獲れたからお裾分けだ、と言って。ウサギはその青年・ゼリに耳を鷲掴みにされ、後ろ足をバタバタさせてもがいていた。つぶらな瞳には必死の色が宿っていて、とても可哀そうに思えた。

 しかしアルはそのお裾分けを喜び、今夜はウサギ肉だ、と言った。それを理解して、俺は酷く血の気が引いたのを覚えている。

 当時の俺は、『肉』という食材がどういう物なのかちゃんと理解していなかったのだ。俺にとって『肉』とはスーパーで売っている赤色の塊で、ウサギは小学校のウサギ小屋にいる愛玩動物だった。それを食べる、などという発想が無かった……それまでの食事で、何度もウサギ肉が出ていたことにも気付かず。


 拙い言葉で必死に否定したが、困ったように説得してくるアルはともかく、折角のお裾分けを全力で拒否されたゼリは段々不快そうになっていき、それに気付いてやがて何も言えなくなった。

 結局、その日の夕飯はウサギ肉のソテーだった。食事を残すのはいけないことだということは解っていたから食べたが、必死で抵抗していたウサギがどうしても脳裏から離れなくて、味は解らなかった。そして後で吐いた。


 バカで甘ったれな子供だった頃の話だ。まず間違いなく、運良くアルに拾われていなかったら野垂れ死んでいたに違いないような子供の話。


 今となっては、そのウサギ肉のシチューを美味しく頂くことが出来る。今更ながら、妙な感慨を覚えた。



====================



 初めて利用する『猫の目亭』の浴場は地下にあった。広すぎず、しかし狭いわけでもない浴場で手早く体を洗い、入浴して部屋に戻る。浴場の利用者はあまり多くないのか、途中で誰かが入ってくることは無かった。


「さて、っと」


 ベッドに上がって座り、今日手に入れた刀・ロングソード・胸当てを並べる。魔法付与を行うのだ。


「まずは全部に【防御力上昇】を……っと」


 【防御力上昇】により、胸当ては壊れにくく、刀とロングソードは刃こぼれしにくくかつ折れにくくなる。


「次は、武器の方に【攻撃力上昇】……」


 刀もロングソードもどちらも刃物だ。これに【攻撃力上昇】を付けると切れ味がよくなる。


「ん、ロングソードはこれで限界かな? まぁ、ただの鉄剣だしね」


 どうやらロングソードにはこれ以上の魔法付与は出来そうに無い。


 マジックアイテムとは、対象に魔法を付与エンチャントした物である。つまり魔法付与が施された装備品というのも、言ってみればマジックアイテムだ。

 そして魔法を付与エンチャントするのにはその魔法が使える必要があるが、魔法が使えるからと言って(エンチャント)が出来るというわけでは無い。魔法付与は魔法使用とはまた別の技術を必要とするからだ。そのため魔法付与が行える魔法使いを、特にエンチャンターと呼ぶこともある。


 魔法付与というのは、ざっくり言うと対象に魔法式を刻み込みつつ魔力を注ぎ込むということだ。この魔法式を刻むというのが曲者で、これが出来るか出来ないかがエンチャンターとなれるか否かの分水嶺である。


 そして俺は、昔からこの魔法式を刻むというのに長けていた。もっと言うと、魔法の中に魔法式を『視る』、或いは『感じ取る』ということが出来た。これは『コーラル』の者で出来る者は滅多にいない。


 では何故俺がそんなことが出来るのかというと、それは異世界に召喚された俺に与えられたチート……などでは全く無い。その理由は俺と……というか俺たち異世界人と『コーラル』という現地人の育った環境の違いにある。


 『コーラル』の人間は、生まれた時から数多のマジックアイテムに囲まれて生きている。そのため、魔法も魔力も非常に身近な存在だ。

 対して異世界人――この場合は俺たち日本人――は魔法も魔力も全く無い、少なくとも認知されてはいないのが常識という中で生きている。

 そのためかつて【異世界召喚】を食らった俺たちはマジックアイテム1つ使うのにも当初は四苦八苦したものの、使えるようになってしまえばその感覚はより鮮明に残った。『コーラル』の人にとっては息をするのと同じように扱う『魔力』という存在は、俺たちにとっては異物に近かったのだ。


 こちらの人にとっては当たり前のモノでも、俺たちにとっては当たり前では無い。その違いはそのまま俺たちの『魔力』の捉え方に影響が出た。こちらの人には身近すぎて見えない、感じることが出来ない事が、俺たちには鮮明に解った。


 これは俺に限らず、当時の【異世界召喚】に巻き込まれた者の中でマジックアイテムが使えるまで生き延びた者全員が多かれ少なかれ得た特性だった。偶々、魔法使いとなった俺がそれをより深く理解したというだけで。

 そしてこれは異世界人のみの特性でも無い。現に俺が概念を教えて鍛えたリリアナとトーヤは、『コーラル』生まれの『コーラル』育ちでありながらも多少は魔法式を『視る』ことが出来るようになっている。


 ただしそれでも先に言った通り、『コーラル』の住人でこれが出来る者はほぼいない。そもそもそういう概念が無いからだ。

 だからこそ、マジックアイテムの作成は常に綱渡りになる。

 どの素材にどの程度の魔法式を刻み込めるのか? どれだけの魔力を込められるのか?

 あれもこれもと組み込み過ぎれば素材は容量を超え、壊れてしまう。このギリギリと見極めるのには、これまでの前例・経験を動員するしかない。しかも滅多にお目にかからないような希少な素材だと、そういった前例・経験も役に立たなくなる。


 しかしその一方で、魔法式そのものを『視る』ことが出来る俺はその前例・経験を必要としない。もうこれ以上は無理だ、或いはまだまだ行けるという見極めが簡単に出来るからだ。魔法式を直接弄って、アレンジを加える事だって出来る。

 そんな俺がマジックアイテムの作成に長けるのは当然の帰結だった。


「刀の方は……んー、こっちは長く使う可能性もあるし、【劣化防止】を付けるか。……まだ行けるな。でも残りの容量はそこまで……【風刃】なら行けるか? うん、行ける。でもこれぐらいかな? 容量はこれで一杯だけど、折角だから【風刃】の魔法式をちょっと弄って……よし、これで鎌鼬バージョンと風纏いバージョンの2パターンが出せる」


 淡々と作業を進め、終われば早めに寝た。とうとう明日は出発だ。



 この時、隣室のアランが『ある物』の手入れをしていたなんて、俺は全く知らなかった。



====================


 

 7月10日、朝8時。俺は朝食を摂ってから『猫の目亭』を後にした。逗留は5日ほどだったが、随分と長くいたような気がする。それだけ刺激が多かったということかな。ご主人に美味い飯の礼を述べ、女将さんとまだ眠たげな目をこするハンナに別れを告げた。


 『猫の目亭』を出てから向かったのは冒険者ギルドだ。グラドとイストルには既に昨日の内に別れを告げてあるから、改めて工房まで行って挨拶にする必要は無いだろう。


「で、やっぱりいるよねお前ら」


 出向いたギルドで当然のように出くわすリース兄妹。もう驚くことは無い。

 もう街からお祭り気分も抜けて来たからか、ギルド2階のカウンターは今まで見た中で1番の賑わいを見せていた。


「トーマ、もう行くの?」


 Gランク用のクエストボードの前にいた2人と軽く挨拶すると、レベッカが少しだけ寂しそうな顔をした。解ってる……その寂しさが知人以上友人未満なレベルだってことぐらい。俺にニコポスキルなんて無いのさ。


「あぁ。ちょっと、急いで家に帰らなきゃいけない用事も出来たしね」


 この急用とは【異世界転移】用のマジックアイテム作成ではなく、トーヤの鍵の影響を誰かが受けていないかを確かめるということだ。

 もしも万一にでも誰かがあの鍵の仕掛けに巻き込まれていたりしたら、何が何でも身元を突き止めて骸――食料が無い以上は数日しか生きられないのだから、巻き込まれていたとしたら死んでいる可能性が高い――を故郷に返さなきゃいけない。

 どうか誰も引っ掛かっていませんように。というか、鍵が埋葬され直していますように。


「そうか……実は俺たち、次はこのクエストを受けようと思ってるんだ」


 アランが指差したのはGランクの常時依頼、ヒーラ草の採取だった。俺も何度かクリアしているやつだった。けれど【収納】空間に大量のストックがある俺とは違い、2人は地道に採取するんだろう。


「それで、今日は街の外に出るつもりなんだ。調べたら、ヒーラ草は俺たちが最初に入った西門からでて10分ぐらい歩いた所にある草原に群生してるんだってさ。途中まで一緒に行かないか?」


「あぁ、そうだね。いいよ」


 俺の予定では、来た時と同様に西門から出て少し歩き、最初に出た森で人目を忍んで【転移】するつもりだった。なので途中まで彼らと一緒でも問題は無い。


「でも、ちょっと待ってて。少しカウンターで聞きたいことがあるんだ」


 頷いて了承した2人から離れ、カウンターへと向かう。そこにいたのは相変わらずの完璧営業スマイルなソフィだった。


「いらっしゃいませ、トーマさん。本日はどうされましたか?」


「すみません、ちょっと聞きたいんだけど。テンザン大迷宮に1番近いギルドはどこかな?」


「テンザン大迷宮、ですか? それでしたらテンガ支部ですね」


 テンガ支部……そうか、テンガの街は今も残っているのか。まぁ、あそこは元々テンザン大迷宮に挑戦する冒険者御用達の街だし、テンザン大迷宮がある限りそうそう廃れはしないか。


「解った、ありがとう……ところで、ソフィ?」


「はい、何でしょう?」


「ソフィはいつもここにいるね。そしていつも完璧な笑顔だ。それって凄くプロ意識が高い、良い事だと思うよ」


「ありがとうございます。お褒めに与り光栄です」


 ソフィの営業スマイルは変わらない。満面の笑顔では無い。完璧な笑顔。褒められても、全く変わらない。それを見て、俺は少し声を落とした。


「でもね」


「はい?」


「完璧な笑顔って、無表情と変わらないと思うよ」


「………………」


 ソフィはいつも笑顔である。勿論、受付嬢である以上は営業スマイルは必須だ。しかしどんな状況でも完璧な笑顔は仮面と変わらない。ごくごく稀に感情を感じることはあっても、それはあくまでも気配のみ。いつでも顔は完璧な笑顔を保っていた。

 今もほら、こんなに失礼なことを言ったのに、ずっと笑顔のままだ。


「……失礼なことを言ってごめんな。俺はもう今日でこの街を出るから、ちょっと気になって。今度来た時は出来れば、完璧な笑顔じゃなくて満面の笑顔が見たいな」


 ヒラヒラと手を振りながらリース兄妹の元に戻り、連れ立って階下へと降りて行く。階段の途中で少しだけ振り返って見たが、ソフィはそれでもずっと完璧な営業スマイルを張り付けたままだった。



 西門までの道のりで、俺はリース兄妹と最後の会話を交わす。


「もしもオスカーに会ったらお礼を言っといてくれないか? 世話になったって」


「解った。俺たちは暫くこの村を拠点に活動するつもりだから」


 何だかんだで、彼の初心者講習はこの時代の常識を知らない俺には非常に有益なものだった。しかし普段の彼が何所にいるのかは知らないため、2人に頼む。アランが引き受けてくれたので、1つ心残りが減った。


「トーマはもうこの街には来ないの? 家って白大陸でしょ? そんなに簡単に往復できる距離じゃないもん」


 レベッカは、道理は解っていても若干面白くなさそうだった。純粋な好意は嬉しいので、苦笑しながら答える。


「その内にまた来るよ」


 真面目な話、近い内にまた来る。グラドもいるしね。


「そう……あ! でももう、【転移】なんて使っちゃダメだからね! 今度は変な所に落ちるだけじゃ済まないかもしれないわよ!」


「はは……」


 ビシッと指を突き付けられながらの言葉に、明後日の方向を向く。正にこの後、【転移】を使うつもりだからだ。


 話しながらだと西門まではすぐだった。出門手続きは入門手続きよりもずっと簡単で、窓口で身分証明証を提示するだけだった。ちなみに1度入門した人が再び入門する際も、こうして身分証明証を提示するだけでいいらしい。

 俺が向かう森は門の前の道を歩いて行き、少しした所で脇道に逸れる。対してリース兄妹の目指す草原はこの道を使わず、門を出てすぐ北に向かうらしい。つまり、彼らとはここでお別れだった。


「じゃ、ここまでだな」


「ああ。また縁があったら会おう」


「じゃあね」


 交互に握手を交わし、そのまま俺は道の先へ、兄妹は草原へと進む。

 いつか、また。


 道では時々人とすれ違い、また追い抜かれていった。暫く歩くとあの森が見えてきて、俺はそこで道を逸れる。森に入ると、誰にも見られないような奥の方にまで走る。そして、頃合いを見計らい。


「この辺でいいかな。っていうか、ここって俺が最初に落ちた所だ」


 原点回帰というわけでは無いが、これも悪くない。


「向かう先はテンガの街の近く。さて……【転移】!」


 使い慣れた魔法を発動し、その瞬間、俺の姿はそこから消えた。


 そして再び現れる。テンザン大迷宮の麓の街、テンガ。その付近へと。



===================



 藤真が【転移】を用いてテンガの街へ向かったのと同じ頃、彼と別れた直後のリース兄妹は草原へと向かう道を引き返してウサへと戻っていた。


「まったくもう、信じらんない! 何で忘れるかな!?」


 ぷりぷりと怒りながら兄を責める妹に、アランは少しバツが悪そうだった。


「いいじゃないか、1日ぐらい」


「1日ぐらい、ですって!?」


 しかしその兄の返答が、妹の怒りの火に油を注ぐ。


「お父さんにも言われてたでしょ!? あれはお母さんの形見なんだから、大事にしなさいって! いつも身に付けてなさいって!」


 レベッカは座学となると逃げだす困った性分の持ち主だったが、強く優しい義父への敬意は人一倍強い娘だった。しかしアランは、そんな父との約束を違えていたのだ。

 これは分が悪いということを悟ったアランは、素直に謝ることにした。


「解った、悪かったって。だからこうして取りに戻ってるんだろ?」


 2人はウサへと戻り、そして『猫の目亭』へと向かう。クエストに出たはずの2人がそうそうに戻ってきたことに『猫の目亭』の者たちは驚いたが、忘れ物を取りに来たと言うとすぐに納得された。

 藤真がいなくなったことでしょんぼりしていたハンナは、2人の姿を見て少しだけ元気を取り戻す。藤真はあれで中々子供の扱いが上手く、ハンナは懐いていたのだ。


「え~っと……あったあった」


 自分が使っている部屋の机の上、そこには1つのペンダントが置いてあった。その隣には布巾があり、昨夜磨いていたのだろう。

 そのペンダントトップは直径5cmほどのコインで、色は少々くすんでいるが銀色。そして中央にはレリーフが彫られていた。

 アランがこのペンダントを受け取ったのは10才の誕生日だった。その日、父がそれまで見たことも無いような真面目な顔でこれをアランに差し出したのだ。



 『アラン、お前ももう10才だ。そろそろこれを渡しても良いだろう』


 『これ、何? ペンダント? 俺、いらない……はい、レベッカ』


 『バカなことを言うな! これは親の形見なんだ! いいか、大事にしろ。形見はそれしか無いんだからな』



 既にリース家の養女となっていたレベッカはそれを隣で見ていて、いらないのなら私に頂戴と言った。アランは装飾品に興味は無かったので渡そうと思ったのだが、父はそれをもの凄い剣幕で止めた。

 

 アランは物心ついた頃には、父と2人暮らしだった。母の記憶は無い。それは当然で、彼の母は彼を生んですぐに産後の肥立ちが悪くて亡くなったのだ。

 アランは男手ひとつで自分を育てた父に対し、レベッカに負けず劣らずの敬意を持っていた。そのため、その父が『親の形見』だとまで言って持たせた物を蔑ろにする気は無い。今回忘れたのも昨夜磨いたからであって、むしろ大事に扱った結果だった。


「お兄ちゃん、あった?」


 扉の向こうから妹に呼び掛けられ、アランはペンダントを首に掛けながら部屋を出る。


「ああ、あったよ。悪いな、それじゃあ行こうか」


 いつも首から下げ、しかし服の中に隠しているために直接見ることはあまり無いペンダント。それを見て、レベッカは羨ましげな視線を送る。

 

「いいなぁ。あたしだって欲しかったなぁ」


 とはいえ父の『親の形見』という言葉に、レベッカは羨ましがりながらもペンダントを諦めている。養女である自分が、実子である兄から形見を奪う訳にはいかない、と考えたからだ。

 しかしそれでも父からのプレゼントは羨ましい。これまでも父からの贈り物が他にいわけじゃ無かったが、このペンダントの扱いは他とは一線を画した物だった。


「これなぁ。せめてレリーフがもっと違う物だったら、俺も普通に使うのになぁ」


 首から下げたペンダントのトップを摘み、ヒラヒラと振るアラン。そのレリーフは見事な細工の花だった。この可愛らしい意匠こそが、彼がペンダントをいつもは隠している理由だった。

 会話を交わしながら階段を下りると、食堂でテーブルを拭いていた『猫の目亭』の女将と出くわす。


「おや、それが忘れ物かい? 随分と可愛らしいペンダントだね?」


 その言葉に、アランは僅かに頬に朱を登らせた。すぐさまペンダントを隠す。彼はそういった他者の評価が気になるお年頃であった。女将はそれを察したようで、クスクスと笑う。


「おやおや、可愛らしいこと……でも、それはあれだね、あの花だ」


「女将さん、あのペンダントに彫られた花を知ってるの?」


 レベッカは少し食い気味になった。アランとレベッカもあの花は何だろうと色々調べたのだが、未だに名前は解らなかったのである。


「ああ、ここよりもうちょっと暑い所ではよく咲いているよ。この辺ではあまり見ない花だけどねぇ」


「それでそれで?」


 わくわくとした顔で聞いてくるレベッカに、女将は微笑ましい思いを抱く。ハンナも成長したらこのようになってくれるだろうか。


「それはね、ジャスミンっていう花なんだよ」


 とても良い香りがする、可愛い花なんだ。女将はそう続けて、微笑んだ。


 これにて第1章は終わりです。次は第1章で出て来たキャラは殆ど出ません。大迷宮編です。

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