かみさまのいうことep2
視線から外された三人は僕の席の後ろに空いているスペースに移動して小声で話し始めた。
「湖春は白菊の扱いがうますぎんだろ。奏のことを『酷い人』って言った瞬間、白菊の顔が無表情に変わって怖かったんだけど」
「湖春くんって怖いもの知らずなんでしょうか。以前松浦くんにブチギレた白菊さんを見てるからか、僕は軽々しく喋れませんよ」
「ふっふーん。コツは奏を立てて上げることだよ。白菊さんの優先順位のトップは奏だからね。いわば最推しみたいなものだね。貶されたら怒り狂うから刺激しないようにすればいいだけなんだ」
小声で話していても、すぐ後ろの声は僕の耳に届いてくる。勿論白菊にも届いているはずだが、外野の声に反応することはなかった。彼女の中では僕の存在以外有象無象に感じているみたいで、僕の友人は僕の付属物として認識している程度である。恐らく彼らに興味はない。
白菊も何か話してくれればいいのに、自分の伝えたいことを言い終えると姿勢良く椅子に座るだけ。僕が何かを言い出さなければ口を開くこともなく、昼休みの終わりを告げるチャイムによって解散するだけ。
「それよりも湖春くんと松浦くんはテスト勉強大丈夫なんですか? もうすぐテスト期間が始まりますけど」
僕の友人は僕を蚊帳の外にして会話を始めた。白菊が目の前にいる以上、後ろを向いて話に参加することはできない。白菊を蔑ろにする男としてクラスメイトから反感を買いたくないのだ。
高嶺の花やお嬢様と決めつけられ、周りから近寄りがたい雰囲気を醸し出していた白菊だが、周りからの評価はすこぶる好評である。
にこやかに笑っている裏では何を考えているか分かったものじゃない。
「テストか。当たり前だけどオレは勉強してねえな。今更勉強できないくらいじゃ評価は落ちねえし、別にいいだろ」
「僕はそこそこかな。何とか赤点を取らないように頑張ってるよ」
「二人とも平均点は取りましょうよ。赤点って平均点よりも更に下の先生方がデッドラインで決めている点数ですよ」
「そんなこと言われてもスポーツ推薦で入った俺は勉強苦手だしなんも分かんねえんだよな」
「それをいうなら僕は地頭がいいよ。一応試験を受けてここに入っているからね。一夜漬けである程度は行けるんじゃないかな」
諦めている松浦と謎の自信で胸を張る烏森を見てため息をついている東雲。いつもなら僕もそこに加わってできない自慢をするのだが白菊が邪魔なのだ。
「僕たちで勉強会とかやりましょうか?」
「部活あるし面倒くせえ」
「テストで赤点を取ったら補講になりますし、そうしたら部活に出ることが出来なくなりますよ。学校として文武両道を謳っていますし……。去年とかはどうしたんですか?」
「そりゃ土下座よ、土下座。補講は必ず出るから試合にだけは出させてくれって頼み込んだ。今年も同じ方法でいけんだろ」
「吟にはプライドの欠片もないね」
楽しそうに会話をしている三人。
テストと言えば僕も勉強は授業程度しか聞いておらず、家に帰ったらゲーム三昧。授業内容だけで高得点を取れる人もいるが、僕は授業内容を聞いていても平均点以下しか取ったことがない。松浦より酷くはないが、テストは諦めの時間である。
「勉強会……。そうだ」
烏森が床を鳴らしながら僕の背後へと近寄ってきた。流石に真後ろにいる烏森の顔を見ようと振り返ろうとしたが、耳を包み込むように頭を両手で掴まれて白菊から顔を逸らすことを許されなかった。それよりも烏森はなんで男なのにいい匂いがするんだろう。石鹸のような匂いがふんわりと漂ってきてむず痒い。
「ねえ、白菊さん。ちょっといいかな」
「なんでしょうか」
話しかけられている白菊は烏森へと視線を向けることはない。
抑えられている僕の頭を凝視している。もしかして烏森が僕の頭をぞんざいに扱っていることに対して静かな怒りを燃やしているのだろうか。
「白菊さんは奏の役に立ちたいんだよね?」
「役に立ちたいのではなく、役に立ちます。何を言われてもかみさまのいうことなら間違いはありませんから」
「僕たちはいいんだけどさ、奏って勉強が得意じゃないんだよ」
「お、おい。烏森? お前何言って――」
その後に続く言葉は想像に難くない。白菊も同じだったようで、淡い翠色の目に光が宿っていく。心なしか体勢も前のめりになっており、烏森の言葉を聞き逃さないようにしていた。
「奏に勉強を教えてあげてほしいんだよね。勿論マンツーマンで。僕たちは僕たちで勉強会をするからさ」
口角を上げて目を細めたまま変化のなかった白菊の顔は蕾が花開くように色彩を映し出していた。初めて見る白菊の表情だったが、本当の白菊を見ることができたような気がする。発端となっている出来事が僕の意見を無視した内容ということに目を瞑ればの話だが。
「僕の意思はないのかよ。どう考えても僕が提案するならまだしも烏森が提案するのはおかしいだろ。白菊も期待を込めた眼差しで僕を見ないでくれ。とにかく座れ」
白菊は腰を下ろすが、瞳が訴える内容は変わらない。
「僕たちが勉強会すると奏はひとりぼっちで余っちゃうからね」
「ちょっと待てよ。僕はそっちに入れてくれないのか?」
烏森は僕の耳元に顔を近づける。
「奏が来ると白菊さんも付いてくるでしょ。そうなったら僕たちの勉強にならないんだよ。吟なんて震える大型犬のように白菊さんのことを怖がってるし。必要な生贄だと思ってさ。元はと言えば奏が蒔いた種なんだから白菊さんのことは責任を持ってどうにかしてよ」
「いや、あれだよ。白菊にも予定とかあるだろうからさ。なあ、白菊?」
僕は縋れるはずのない蜘蛛の糸に白菊を選んでしまった。白菊が僕の役に立てることを断るはずがないと知っていながら。
椅子に座っているはずなのに、距離を近くに感じるほどの圧を発しながら僕の顔を見てくる。瞬きすらもしない彼女は決意の籠もった目をしていた。
「かみさまのお役に立てることならば私の意思なんてないも同然です。本日から始めますか? かみさまのご自宅にお伺いして泊まり込みの勉強会をしてもいいのですが」
最近になって分かったが、白菊は僕のことを最優先に考えるあまり、僕の考えを聞かないで暴走することがある。今も断っている僕を無視して家にまで押しかけようとしていた。
制服の胸元から一冊の手帳を取り出してスケジュールを確認したのか「問題ありませんね」と呟くと、すぐに手帳をしまって僕に詰め寄る。椅子から立ち上がり、近づけられた白菊からは花の香りが鼻孔をくすぐる。後ろにいる烏森とは別の香りで脳がクラクラしてきた。
「家は両親と妹がいるし、白菊みたいなお嬢様からしたら狭い家だから来ても楽しくないから……」
「かみさまが生まれ育った家ならば大きさなど些細なことにすぎません。かみさまを育ててくださったご両親に挨拶をさせていただきたいと常々思っておりました。私如きがかみさまにご教示できるとは思いませんが精一杯やらせていただきます」
必死に弁解しようとする僕だったが、白菊は聞く耳を持たない。陶磁器のように透明感のある肌が近づいて来ると僕も強く言うことができない。生まれてこの方、恋人が一度もできたことのない僕に近付いてくる女の子を拒絶することなどできない。
「おお。想像以上に効果覿面だね」
白菊が暴走する引き金を引いた烏森が他人事のように呟く。僕はすぐに烏森を睨んだが、どこ吹く風と受け流されてしまう。
「お前のせいだろ。白菊の中だと僕の家に来ることは確定してるみたいな言い方だし。断るのに協力してくれよ。母さんとか妹が茶化してくる未来が見えるし」
「いいんじゃない? 白菊さんの容姿は言わずもがな学校一だし、奏に尽くしてくれる女の子なんて奏ママも妹ちゃんも喜びそうじゃない? みんなハッピーじゃん」
「他人事だと思って楽しんでるだろ」
楽観的に考えている烏森だが、僕は先を想像するのが怖いぐらいだ。僕だけでも白菊の考えが分からず疲弊しているのに、家族に関わってしまったら止められない気がする。『神様を育ててくださったご両親』って言っていたから、白菊のなかでは烏森たちよりも上に属しているのかもしれない。
何より面倒なのが、母さんは必ず白菊のことを気に入るし、妹も絶対に仲良くなりたがる。多分僕よりも白菊のことを優先してしまうから、僕に発言権がなくなる。
「それじゃ僕は吟たちのところに戻るよ。救世主のように拝まれてるからね」
「僕からしたら悪逆非道の悪魔なんだけど」
場を面白おかしくかき乱した烏森は小悪魔のような笑みを浮かべて松浦たちのところへ帰っていった。
絶対に許さないからな。




