8章 魔王編外伝
86章 泥流
山の麓の美しい村だった。
山裾から地平線まで続く水田が、夕焼けに染まる黄昏れどき。空の茜色が水鏡のように水面に反射し世界全体が、オレンジと紫のグラデーションに包まれた。
その中にぽつりぽつり、民家とそれを囲む木々が、とび島のように点在している。
村を見渡せる高い丘で、魔王は、この村の老村長と話をしていた。
「どうです、美しいでしょう」
「………そうだな」
魔王が答えると、老村長は満足したように、話を始める。
「この村ができるまで、50年。50年かかりました。人間からみたら長い長い年月です。
何もない、人が通れるような道もないところから始めて、この手で雑木を一本一本手斧で切り倒し、額に汗して懸命に働きました。
そうやって人間達と協力して、この村を作っていったんです」
「…………」
老村長は、あらたまり魔王に自ら胸の内を伝える。
「私は、彼ら人間の中に分けいって暮らし、彼らのひたむきさ儚さを知りました。
そして、彼ら人間を愛おしく思うようになったのです」
魔王は、黙ってこの話を聞いていたが、それでも老婆心から、この老村長に警告をする。
「あまり、村人に肩入れしない方がいい。
お前が魔族だとわかれば、恩義など忘れ、奴ら人間は裏切り、お前の命さえ奪われることになるだろう」
そうして、魔王はこうつけくわえる。
「人間とは、そういう生き物だ」
「わかってます。それでも私はこの村と村人を家族のように考えてしまうのですよ」
「そうか。なら、勝手にしろ。
だが人間どもに情けをかけたとて、いずれ魔族として断罪され、処刑されるのがおちだろう」
魔王は、突き放すように老村長にそう言った。
♢
──時は過ぎて、嵐の夜だった。
かねてからの暴風と豪雨が、何日も続いていた。
トト山の峰は、この大嵐に耐えきれず、千年も堅牢だった渓谷の崖は崩れて、下流の村へ轟音と共に、大量の土砂が流れ込んできた。
家々は流され、村人たちもまた濁流に飲み込まれた。
かの村も重大な被害を受け、人々は土砂や崩れた家の下敷きとなり、多数が生き埋めとなってしまった。
そんな嵐の中、村の男たちは必死に、生き残りを捜索して、声を張り上げている。
「ここだ、この下に、子供が埋まっているぞ!」
捜索をしていた、村の男衆の1人が声を張り上げ、灯りを持った手を大きく振って合図している。
みると巨大な岩が、家を押しつぶし、奥から子供のか細い泣き声が聞こえてくる。
「……かあ……ちゃん………かあ……ちゃん………」
見ると確かに、子供の姿がわずかばかりの隙間から見えている。
その様子を村人達は、狼狽えながら眺めていた。
その場にいた誰もが気づいていた。とても、この家を潰している巨岩を人間の手でどかす事は出来ないだろう。
それでもこの子供の母親は、悲痛な面持ちで村人たちに懇願した。
「お願いです、みな様!この子を、カズジを助けてください!
村人、みんなで岩を掘れば助かるかも知れません!」
いつ崩れるかわからない、もろい足場。村人は息を呑み、一向に動く気配が無い。
──痛いほどの、豪雨が勢いをます。
捜索隊の男衆は、その場にいる責任者、老村長がどうするのか、その出方を伺った。
老村長は、かつての魔王の言葉を思い出す。
「── お前が魔族だとわかれば、いずれ奴らに裏切られ、断罪され処刑されるだろう」
岩の隙間から聞こえた、子供の声がだんだんとか細く聞こえなくなってきた。
「………かぁ……ちゃ……」
苦悩を浮かべた、村長は、この子供の声を聞き、何事かを決断する。
雷鳴がひとつ、近くで閃き地を這うような轟音が広がった。
ざあざあとした雨音だけが、あたりに響いている。
固唾をのみながら、成り行きを見守る男衆。
急に、老村長が人とは思えないような、咆哮をあげた。
《ヴォーーンッッ!!》
雷鳴を浴びながら、ドス黒いシルエットが、みるみるうちに、人間離れした形となった。
老村長は、異音をともない、奇怪な化け物に変形していく。
《バキッ……バキバキバキ!!!》
こうして、老村長は、見るも恐ろしい魔物へと変身をとげた。
真夜中の嵐と雷に照らされた、その姿に村人は怯え、子供の母親さえも悲鳴を上げ、その場から、一目散に逃げ出した。
♢
半刻ばかり過ぎただろうか、嵐はすっかりおとなしくなり、あたりは静かになった。
例の老村長は元の人間の姿に戻り、生き埋められた例の子供と、流されたいく人かの村人達を連れて、避難している村人の元へ戻ってきた。
あの姿は幻のだったのだろうか。
そうだきっと、そうに違いない。そういう事にしょうと、あの場にいた村人達は考え始めていた。
そうして、あれは嵐の中でみた幻なのだと、村人達は無理にでも納得する事にした。
そのためその後も、誰も嵐の夜の出来事を口にしようとはしなかった。
♢
けれど、運命の女神はどんな綻びも許さない。
平穏は長くは続かなかった。
「村長は魔族だ!!」
誰かがそう叫んだ。
見るとそれは、村一番の嫌われ者、気がふれていると、噂される老女だった。
あとがき
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