氷の侯爵閣下は惑わす
ロゼッタの願いも虚しく、アリステアは国王のもとへ向かい、ロゼッタは船着き場までファウストに送られる事となった。
憂鬱な思いで歩くロゼッタに、ファウストは淡々とした声で話しかける。
「アリステア殿下は随分とバルバート嬢を気に入っていましたね」
「滅相もありませんわ。年が近いから親しみやすく思えただけでしてよ」
「いいえ、親友のロランディ令息よりもあなたを信頼しているようでした」
ファウストの話によると、アリステアとジラルドは幼い頃から親交があるらしい。
片や王族で片や騎士団長の息子で次期侯爵家の当主であるのだから、親同士が勧めて出会ったのだろうとロゼッタは推測する。
(あのジラルド様なら駆けまわったりしないから、お体が弱いアリステア殿下には丁度いい話し相手になっているのかもしれないわね)
いつ会っても澄ました顔でロゼッタに接するジラルドが、アリステアと一緒に遊んでいる様子を想像できない。
ロゼッタはエルヴィーラの計らいで定期的にジラルドと会うが、彼とは本を読むか議論を交わすくらいで、一緒に遊んだ事はないのだ。
「それでは、紳士としてわたくしに接してくれたのでしょう」
「さあ、どうでしょうか。ちなみに、アリステア殿下の婚約者であるうちの娘と一緒にいる時よりも楽しそうでしたよ」
つまりは横恋慕するなと釘を刺しているのだろうか。
返答の困る話をされたロゼッタは、さっさとゴンドラに乗り込みたくなった。
「へえ、そうですのね。それはあくまでシルヴェストリ公爵閣下の主観ではなくて?」
「はは、ロゼッタ嬢の仰る通りです。人の本当の心はわからないものですからね」
そのように話すファウストの胸中こそ量りかねると、ロゼッタは警戒心を高める。
公爵家の当主である彼が、どうして一介の男爵令嬢である自分にここまで興味を示すのかわからない。
たとえロゼッタが彼の昔の想い人と似ているとしても、あまりにも干渉が過ぎる。
彼はロゼッタを見て故人を偲ぶのではなく――何かしらの思惑があるから近づいているのではないかと睨んでいるのだ。
「わからないのなら、交流して知ろうとすればいいのですわ」
「なるほど。――それでは、私の娘の友人になってくれませんか?」
「……はい?」
一体どのような流れでそうなるのだと、非難を込めた眼差しでファウストを睨みつける。
「生憎ですが、わたくしはご存じの通り忙しいので、同い年の子どもたちと遊び時間はございませんの」
「バルバート嬢は本当に美術品に夢中なのですね」
「ええ。美術品たちに魅了されていますの」
「なるほど。……美術品のなかでもとりわけ、魔法絵画の魅了は強力ですのでお気をつけください」
「ご忠告痛み入りますわ」
素っ気なく返事をするロゼッタに、ファウストは目を眇めて微笑む。
その含みのある眼差しが、ロゼッタの胸の中にざわざわと漣を立てる。
「――ああ、惑わされている人にも気をつけなければなりませんね。何をしでかすかわかりませんから」
「ご心配には及びませんわ。わたくしにはブルーノがいますもの」
「……ふむ」
ファウストの視線がロゼッタからブルーノへと移った。
そうして不躾にもブルーノの髪と瞳をまじまじと見つめた。
今度は一体、何を言い出すのかと、ロゼッタがうんざりとした思い出その様子を見ていると、ファウストは思わぬ事を口にした。
「とある情報筋から聞いた話なのだが、君の眼帯の下にあった瞳の色は、バルバート嬢と同じ珊瑚色だったと聞くが、本当かな?」
「……」
「その珊瑚色の瞳と銀色の髪は――オスカルと同じ、ベルナクト人の血筋の特徴だ」
「ベルナクト人? 初めて聞く名前ですわね」
ロゼッタは初めて聞く人種に驚き、聞き返した。
家庭教師から歴史の授業を受けた時にも教えらてもらわなかった種族だ。
「ええ。今は知る人が限られているでしょうが、とある亡国に住んでいた種族です。国が亡くなり、多くのベルナクト人が奴隷として売られていきました。彼らは魔法に長け、豊富な魔力を持っていますし――なにより、祝福持ちですから高く売られていたんです」
「祝福持ち……?」
「はい。彼らは生まれながらにして、女神から一つの祝福を授かるのです。オスカルの場合は不老長寿ですね」
「不老長寿……てっきり、彼は魔導士と同じかそれ以上の魔力を保有するから長く生きているのだと思っていましたわ」
「それは、オスカルを守るために過去のシルヴェストリ家当主が流した噂です」
ファウストの話によると、ベルナクト人が与えられる祝福には色々あるらしい。
ある者は先視の力を、またある者は鋼のように屈強な体を祝福により授かったそうだ。
そんな彼らを恐れた周辺国が結託し、彼らの国を滅ぼしたのだと言う。
「護衛の彼の祝福は何なのでしょうね?」
「……」
「もし自分の出自や祝福を知りたければ、オスカルを訪ねるといい。君が来訪した時は通すように使用人に話しておこう」
「……」
ブルーノは首を縦にも横にも振らず、物思いに耽るように、視線をどこともない一点に向けた。
やがてロゼッタたちは船着き場に辿り着いた。
「それでは、またお会いしましょう」
「機会がございましたらね」
「きっとありますよ」
確信めいた宣言をすると、ファウストはロゼッタをエスコートしてゴンドラに乗せる。
ファウストの姿が見えなくなるまで見送ったロゼッタは、差し向かいの席に座るブルーノの手をぎゅっと握り込んだ。
「ブルーノ、浮かない顔をしていますわ」
「……っ!」
大抵の人なら今のブルーノの表情を見ても気づかないだろう。
それでも、彼と長い時間を共に過ごしてきたロゼッタならわかる。
ブルーノは今、ファウストの言葉に戸惑っているのだと。
(きっと、自分の出自を知りたいのだわ。ブルーノは物心がついた頃から親を知らず、暗殺者として育てられていたもの)
幼い頃、どうしてもブルーノの過去を知りたがったロゼッタは、ダンテに聞いた事がある。
ブルーノの過去はロゼッタの想像を絶するもので、ロゼッタは胸をズキズキと痛めたものだ。
「話したくない事は、無理に話さなくていいのよ。ただ、わたくしはブルーノが困っている時には力になりたいですの」
「……」
「今がその時だと思いましたのよ」
「……そんなにも、わかりやすい顔をしているのですか?」
ブルーノは空いている方の手で自分の頬に触れ、表情を確かめるように撫でた。
いつになくあどけない仕草に、ロゼッタは胸の奥が小さく軋む感覚を覚える。
「少なくとも、わたくしには」
「……そうですか」
ブルーノは美しい微笑みを浮かべると、ロゼッタの手の上に自分の手を重ねたのだった。




