跡継ぎ令嬢は氷の公爵閣下から逃げる為の言い訳を考える
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「オスカルさん、どうしましたの?!」
ロゼッタはアトリエでファウストから画材の説明を受けていた。すると突然、オスカルは話の途中で口を噤み、珊瑚色の瞳からポタポタと涙を零すではないか。
「ご、ごめんなさい。悲しい記憶を、思い出してしまったんです」
出会ったばかりの大人が目の前で泣き始めると、どうしたらいいのかわからない。
戸惑いながらも、オスカルが泣き止むまで黙って彼の側に居た。
「……」
「ブルーノ、どうしましたの? ……あ」
護衛は目にも留まらぬ速さで剣を抜き、アトリエの中に入って来たファウストに刃を向ける。ファウストは刃を一瞥もせずブルーノを見据えた。
二人はただ黙ってお互いの出方を窺っているが、一触即発の居心地の悪さを感じた。
「ブルーノ、公爵閣下に失礼ですわ。剣を下ろしなさい」
「……」
ブルーノはロゼッタの命令に従い剣を下ろすと、ロゼッタの前に立つ。少しでもロゼッタの姿をファウストに見せないよう隠しているのだ。
そんな護衛の様子を見たファウストは、クツクツと喉を鳴らして笑った。
ブルーノのささやかな抵抗が滑稽で仕方がないとでも言いたげだ。
「この護衛は警戒心が強過ぎませんか?」
「護衛なのだから当然ですわ」
誰がどう言おうとブルーノは自慢の護衛だ。
強く美しく無駄のない動きで敵を圧倒する力も、先を読んで動いてくれる頼もしさも持つ唯一無二の存在。彼以外の護衛なんて考えられない。
「ところで、お仕事はもう大丈夫なですの?」
「ええ、ロゼッタ嬢を待たせるわけにはいきませんので、早く片付けてきました」
待たせたくないのであれば、急用が入った時に帰らせてくれれば良かったものを。
そのような考えが浮かんだが、笑って胸の中に隠した。
(ああ、楽しい絵画の時間は終わりなのね)
これからまた氷の公爵閣下との気まずいお茶会に戻らねばならないと思うと憂鬱だ。
「オスカルさん、今日はお時間をいただきありがとうございました。おかげで楽しい時間を過ごせましたわ」
「ロゼッタ嬢、あの……その……」
「はい、何でしょう?」
ロゼッタに見つめられたオスカルは気恥ずかしそうに視線を逸らした。そして、まるで自分におまじないを掛けているかの如く指先をいじり、もじもじとしている。
「ま、また遊びに来てくださいね。次はロゼッタ嬢が好みそうな絵を描いて待っていますので」
「まぁっ! わたくしの為に?!」
外ならぬ自分の為だけに描いてくれると言われ、ロゼッタは嬉しさのあまりで飛び跳ねたくなった。
弾む気持ちを宥めつつ、淑女らしくにこりと微笑む。
「嬉しいですわ。次にお会いする時もまた絵画について教えてくださいませ」
「私でよろしければ、ぜひ」
ふわりと笑ったオスカルの柔和な表情は人好きしそうな顔で、孤児院に居た時に勉強を教えてくれていた優しい先生を思い出した。
どことなく雰囲気が似ているオスカルは、きっと良い先生になるだろうと思う。
「あなた、先生になったらいいですのに」
「先生……、私が、ですか?」
「ええ、あなたの説明はわかりやすいもの」
「でも……私は人と話すことが苦手なので……上手くできないと思います」
「そんな事はないですわ。だって、わたくしにはわかりやすく説明してくれましたもの」
相手がわかりやすいようにかみ砕いて話してくれる思いやりを持った人物だから、彼の二つ名さえなければ多くの人から慕われていただろう。
「ロゼッタ嬢、そろそろお茶会に戻りましょう」
「ああ、そうだ。わたくしとしたことが、大切な用事を思い出してしましましたわ!」
ロゼッタは眉尻を下げ、上目遣いでファウストに訴えかける。普段は絶対にしない表情のせいで、顔の筋肉が引き攣りそうだ。
「明日のオークションに合わせて手袋を取りに行かなければなりませんの。手袋が丁度手に合うか確認しなければならないのだけれど、お店を仕切っているリヴァルタさんの脚が悪いからわたくしがお店に行かないといけませんの。本当に残念ですわ」
手袋を注文していたのは事実だが、今日取りに行かなくとも明日の仕事に支障はない。
それでも、これ以上留まりたくないロゼッタは劇団の俳優にも負けない迫真の演技でやり過ごそうとしている。
「それでは、また日を改めて――」
「……お嬢様、もう時間です」
有能な護衛がさりげなく助け舟を出してくれたおかげで、嘘も真のような真実味を手にする。
この護衛は相変わらず、言ってほしい言葉とタイミングをよくわかっている。まるで、自分の心の声が聞こえているのではないかと思う事さえある。
「ああ、そうなのね。ブルーノ、時間を教えてくれてありがとう。それでは、ごきげんよう」
こちらの完全勝利だと心の中でほくそ笑みつつ、優雅なカテーシーをとる。
面倒なお茶会を切り上げられ、早くも解放感に胸が軽くなった。
「ロゼッタ嬢、今度は王宮でお会いしましょう。アリスティア様があなたに会いたいようですので」
「え?」
不意打ちの事実に目を白黒とさせるロゼッタとは裏腹に、ファウストは含みのある笑みを見せた。
その笑みを見た途端に、嫌な予感がひたひたと近づいて来た。
(どうしてアリスティア殿下が私に会いたがっているの?)
きっと国王やファウストが自分の事を話したのだろう、と推測する。
国王と初めて出会ったあの日、確かに彼はお茶会に招待すると言っていたのだから――。
(それにしても、まだ言葉を交わしていないのにもかかわらず会いたがっているなんて……いったいどのように紹介されたのかしら?)
考えれば考える程、嫌な予感を感じ取ってしまう。
ロゼッタは憂鬱な想いを抱えたまま公爵邸を後にした。
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