跡継ぎ令嬢は、悪魔の画家のアトリエに招かれる
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稀代の画家であるオスカルが、今や目の前で、ブルーノに襟首を掴まれて震えている。
まるで、猟犬に駆られた兎のようだと思ってしまった。
「……手に持っている物を出せ」
「ぐすっ……あ、は、はい!」
ブルーノに命令され、オスカルはいささかどんくさい動きで、手に持っている紙の束と銀筆をブルーノに差し出した。
海風がはらりと紙をはためかすと、そこに人が描かれているのが見えた。
貴族令嬢が護衛に話しかけている様子が、迷いない線で描かれている。
先ほど、ロゼッタがブルーノに話し掛けていた一瞬を紙の上に描いたのだろう。
(私とブルーノを描いていたのね!)
ロゼッタは夢中になって、その素描を見つめた。
絵に描いてもらったのはこれが初めてではない。
これまでに一年に二つは描いてもらっている。
一つはロゼッタの成長の記録として、ロゼッタ一人が描かれた肖像画だ。
もう一つは、ダンテと二人で描かれている家族の肖像画。
どちらも、バルバート邸に飾られていたり、あるいはバルバート邸にある専用の保管室で大切に保管されている。
(素描だと、線に動きがあるわね)
一瞬の時を切り取られたような素描は、魔法で描かれた特別な作品のように思えた。
「か、勝手に描いて、も、申し訳ございませんでした……!」
「いいえ、あなたに描いてもらえてうれしいですわ」
ロゼッタは立ち上がると、オスカルに向き合って美しい礼をとる。
令嬢のお手本のような完璧な所作に、オスカルとシルヴェストリ公爵家のメイドたちは見惚れて目が釘付けになった。
「わたくしはロゼッタ・バルバート。ギャラリーバルバートの次期支配人ですわ」
「わ、私の名前は――オスカル。が、画家……です」
「ええ、あなたの噂は聞いていますわ。わたくし、美術館であなたの絵を見て以来、あなたの絵の虜になりましたもの」
オスカルの表情がぱっと輝いた。どうやら、ロゼッタの言葉を聞いて、率直に喜んでくれたらしい。
「あなたの絵をもっと見たいと思っていましたの。だから、描いてくださってとても嬉しいですわ」
「あ、あの、私のアトリエに他にも作品があるのですが、見ていきますか?」
「まあっ! いいですの?!」
他でもない、《悪魔の画家》からの招待に、ロゼッタは大喜びだ。
この千載一遇の機会を逃すわけにはいかない。
そのためにも、ロゼッタはいつもより瞳を潤ませてブルーノを見つめる。
そうして、先ほどから氷のように冷え切った眼差しでオスカルを睨みつけている、過保護すぎる護衛に訴えかけた。
「ブルーノも一緒ならいいでしょう?」
「……」
ブルーノはすぐには返事をしてくれなかった。まだまだオスカルへの警戒が解けないのだろう。
しばし悩んだ末に、ロゼッタのおねだりに折れてこくりと頷く。
ロゼッタはメイドたちにファウストへの言伝を頼み、オスカルの案内で彼のアトリエへ向かった。
◇
「……わあ、宝石箱の中にいるようですわ」
オスカルのアトリエは壁が全面棚になっており、たくさんの鉱石が並んでいる。
鉱石たちは窓から差し込む光を受けて、きらきらと光っていて幻想的だ。
「このアトリエをそのように例えてくださると嬉しいです。どうぞ自由にみてくださいね」
オスカルのアトリエは、整然としている。
製作途中の絵画や描かれている植物や小道具などもあるが、道具はきちんと片付けられているし、埃っぽくない。
丁寧な仕事をするオスカルの気質が滲み出ているような場所だ。
ロゼッタは作業台の上に置かれている鉱石を指さし、オスカルに質問する。
「この鉱石を砕いて、絵具にするのでしょう?」
「ええ。こんなにも美しい石を砕くのは後ろめたくもありますが、粉末にして卵と混ぜて絵具にしています」
この世界では、絵具は鉱石からできている。正しく言えば、鉱石を細かく砕き、卵の白身と混ぜたもので作られているのだ。
ロゼッタはポルカーリ工房の魔導士からその制作過程を教えてもらっていた。そして、今、実際に画家の部屋に並んでいる物を見て感激しているのだ。
「こんなにもたくさんの色を使いますの? 一見すると必要のない色もあるように見えますわ」
作業台にはいくつもの鉱石が置かれているが、中には、絵のモデルとなっている花には無いような色も混じっている。
少女の素朴な疑問に、オスカルは目元を綻ばせて優しく微笑む。
「バルバート嬢は、この花は何色を持っていると思いますか?」
「薄紅色と……緑色ですわね」
「他には?」
「他? 強いて言うなら……花芯の黄色や白色、それに花びらにある模様の黒色かしら?」
「それだけではありません。もっとよく見てください」
促されるままに花に顔を近づけて見ても、別段変わって見えるものはない。
どう見ても、自分が答えた色以外の色が見えないのだ。
そのため、オスカルが自分をからかっているのではないか、とさえ思えてきた。
「あなたなら、どんな色が見えますの?」
「まずはこの敷布の赤色。そして隣の花の赤みのある黄色に、反対側にある花の青色。そして、その花を覗くロゼッタ嬢の髪の深い赤色ですね」
「でたらめを言っているのではなくて?」
「今のロゼッタ嬢にはまだ見えないだけですよ。コツさえつかめば見えるようになります。この世の物は全て、周りにある物の色に影響されて色を持っていますので。そう意識して見れば、いつかロゼッタ嬢も隠れた色彩を見つけることができるでしょう」
負けず嫌いな少女はじっと目を凝らした。すると画家の言う通り、花弁の白には敷布の赤色がほわんとかかっており、他の花と重なり合う箇所には他の花の色が見える。
「本当に、隠れている色がありますのね。今まで全く気付きませんでしたわ」
「普段は意識の外にある色たちですから、見過ごされてしまうんです。花も人間も動物も、みんな同じですよ。私たちは、様々な色彩によって作られているのを覚えていてくださいね」
ロゼッタはくるりと振り返り、ブルーノの顔をじいっと見つめる。
そして、ブルーノの銀色の髪にほのかに映り込む色彩や、瞳の中に隠れていた自分の髪の色を見つけ、嬉しくなって微笑みを零した。
「新しいブルーノを見つけられたようで嬉しいですわ。まるで、オスカルさんが魔法をかけて、隠れた色を見えるようにしてくださったみたいですわね」
「……」
ブルーノはしゃがんでロゼッタの目線に合わせ、無邪気に覗き込んでくる主人を見つめ返した。
ブルーノもまた、ロゼッタの珊瑚色の瞳の中に映る自分の色彩を見つけて喜びに口元を綻ばせる。
このままずっと、ロゼッタ様の瞳の中に映り込んでいたい。
そんな独占欲を心の奥底にしまい込み、ロゼッタが飽きるまで彼女の観察に付き合ったのだった。
◇
オスカルの色の授業を堪能したロゼッタは、彼の作品を見せてもらう。
制作中の静物画はどれもシルヴェストリ公爵家からの依頼品のようで、これらは贈り物として他家に渡されるらしい。
「この絵、なんだか、オスカルさんらしくないですわ」
「これらは依頼された商品――いわば、私の個性は求められない絵ですからね。画家として生きていくためには、そのような作品を制作する事も必要なんです」
オスカルは割り切っているが、ロゼッタは納得できなかった。
美術館で見た風俗画も、先ほど見た素描も、どちらも素晴らしいのに、彼の個性を消した作品を描かせるなんて酷い、と暗にファウストを非難した。
(そういえば、例の絵画はあるかしら?)
ロゼッタは、ずっと気になっていた作品を一目見られるのではないか、と胸をときめかせた。
「オスカルさん、魔法絵画は――『魂込めの肖像画』は見せていただけて?」




