ベール雲
そがれているのではなく。
そいでいるのだ。
付着したものを。
けれど、そいでもそいでも、次々と新たに付着してくる。
キリがない。
手はどんな形をしていたか。
球形になってしまった手を見て、ふと、疑問がわく。
そもそもが、こんな形をしていなかったか。
では、そいでいたものは、元々自分に備わっていたものではないか。
付着していたのではなく、再生させようとしているのではないか。
考えるからいけないのだ。
思考を停止させてしまえば、
(疲れた、)
あるのかないのかわからない口元が、もぞもぞと動いているように思える。
高々と叫びたいのか、
粛々と話したいのか、
口を動かしたいのか、
疲れた。
疲れた。
疲れたのに、
また、そいでいる。
己かもしれないものを、
味方かもしれないものを、
敵かもしれないものを、
そいで。
そいで、そいで、
埋め尽くされないのは、量が少ないからか。
埋め尽くされないのは、空間が広いからか。
埋め尽くされないのは、流れているからか。
埋め尽くされないのは、落ちているからか。
埋め尽くされないのは、蒸発しているからか。
埋め尽くされないのは、
食らっているから、
か、
ああ。
もぞもぞと。
口が動いているように思える。
『烏天狗国』。『人間国』にて、九尾の妖狐が目を覚ました圭との会話を果たした、同時刻。
更を迎えに行っていたやしろは突如として襲いかかってきた衝撃に、翼を一時停止。頬がやけに冷えていると触れてみれば、知らず、涙を流していた。
「なんだこれ」
胸元にそっと触れた。
そこに迎え入れていた圭の魂に。
喜、怒、哀、恐、恥、愛、厭、昂、安、驚、楽。
衝動が遅れて伝えてくるのは、あらゆる生の感情。
生きていられるのは、哀願ゆえか、庶幾ゆえか、現状ゆえか。
自分が直接的に圭に元気を与えられる存在になった。間接的ではない。直接だ。あの時のように待っているだけではない。本当に並んで一緒に闘っている。そう思ったら、なんだか、無敵になってしまったようだ。
自分がいるから圭は大丈夫。絶対だ。
今日がだめなら、明日がある。明日がだめでも明後日がある。
絶対圭は戻って来る。そう遠くない明日に。
そう思っていた。
しかし、この激情の奔流を前にしては、
「ッハ」
高々と笑った。
傍目から見れば、気狂いでも生じさせたのかと危ぶまれるくらいに。
高低大小。あらゆる音を出して、呵呵大笑したかと思えば、翼を大きく羽ばたかせて、飛行を再開。速度をどんどんと上げると、もう更の姿が見えてしまった。飛び足りず、不完全燃焼を起こしてしまい、暫く待ってもらい飛行を続けようかとも思ったが、止めにした。速度を下げて、更の前に降り立った。
更は怪訝な顔をした。
泣いているのに、なぜ笑っているのだろう。
「やしろ様。どうしたんですか?」
「あ。ああ。涙は気にするな。暫くは止まらないだろうから」
「怪我や病ですか?」
「いや」
やしろは噴き出した上に腹を抱えて出してしまった。
笑い茸と泣く茸を同時に食べたのかと納得する更。やしろが落ち着くのを待っていようと思ったが、どうにもその兆しが見当たらない為、とにもかくにも、瞳をしかと見据えて、圭が目を覚ました事を告げた。
「短い時間だったようですが」
「そ、そう、か」
「大袈裟に喜ぶかと思いましたが」
「ああ。その前に、喜ぶ事があったからな」
やしろは更に待ってくれと片手を向け、浅くなりそうになるのを堪えて、深呼吸を十回繰り返した。
「圭の魂が教えてくれたんだ」
ラグナもきっと声を聴いただろう。
しかしきっと、掬い上げた声は違うものだ。
自分は楽観的だったが、ラグナはきっと悲観的な声だろう。
早く教えてやらないと。早く教えてもらわないと。
「更。ラグナのところに行くぞ」
はいと返事を聞くより先に、腰と膝の裏に腕を当てて抱えたやしろ。徐々に速度を上げるのでもなく、突如として超速急で翔けた。
(2020.5.26)




