第三十話 夏の終わり。それでも熱はまだ引かない
充が去った後、椿の父親が足早に樹の元へ歩み寄ってきた。
「どういうことだ、君は……東三条家と関りがあるのか?」
真っ赤に充血した目を向けられ、樹は、思わずため息をつく。
「……違いますよ」
「嘘をつかないでくれ。それなら、あの方が君にあそこまで執着するはずがない」
樹は、何といえばいいか考えあぐねている。すると椿が後ろから出てきて父親の頬を思いきりはたいた。
パチーン。
力はさほど無かっただろう。けれど、恐らくこれは椿が明確に初めて父親に反抗した日だった。
「……な、なに、を?」
驚く父親に椿は言った。
「樹くんまで利用しないで。彼は、優しいご両親に育てられた人なの」
「お父様みたいな、権力ばかり気にしている家の子じゃないの!」
椿の目からは涙があふれている。
「いい加減にして! もう、私と樹くんに関わらないで!」
声を張り上げて宣言する椿に、彼女の父親は何も言えないままでいた。
樹は、椿の背をそっと叩く。
「椿さん……帰ろう」
「……うん」
二人は手をつないでエレベーターに乗り込んだ。
*
「なんだか疲れたね」
「うん……ごめんね、樹くん」
「え、なんで椿さんが謝るの?」
ホテルを出てから何となくそのまま歩いていると、樹は椿の謝罪に驚いた。
「だって、巻き込んでしまって」
「そんなことないよ。それに、なんか……巻き込んだの、こっち、みたいだし」
樹の歯切れの悪い言葉に、椿は疑問を口にする。
「……お母さん、由香里さんは、東三条家の方なの?」
「そうっぽいね」
「そうっぽい……?」
「母さんの実家の話は、詳しくは聞いたことないんだ。だから詳しくは知らなくて」
樹は椿と手をつないだまま歩く。
「誰が聞いてるか分からないし、もう縁は切ったからって」
「そうなんだね」
椿はつないだ手に少しだけ力をこめる。
「あのね、樹くん」
「なに?」
椿は、立ち止まる。樹も立ち止まって気づけば向かい合っていた。
「もし、お母さんのご実家が何か言ってきても……もしも私とのことを引き合いに出されても折れないでね」
「え……」
「あ、でも、樹くん自身が将来のことを考えて、とかだったら全然いいのよ?」
椿は慌ててまくしたてるように話す。
「東三条家って大きいし。多分、迎え入れてもらったら、一生安泰だと思うし」
「でも、それは外部から見た話しで。勿論ね、樹くんが、そっちのほうがいいな、楽だなって選ぶのはいいけど」
椿は呼吸を整えて、樹の目を見つめて告げる。
「私と、その……関係が楽になるからっていう意味で、選ばないでほしいの」
「私は、あなたがあの優しいご両親の元で育った三橋樹さんだから、好きだと思ったんだから」
言ってしまってから椿の頬に、熱が集まる。
(い、言っちゃった)
まるでこれは、プロポーズみたいではないか。
椿の頭の中は上手くまとまらない。つないだままの手を離したい。けれど、離したくないという気持ちもあって。
(ど、どうしよう)
椿がうつむいていると、樹が椿の手を引いてそのまま肩を抱き寄せた。
「えっ」
気づけば、椿は樹の腕の中にいた。抱きしめられていると気づいて、益々椿の体温は上がっていく。
「……え、あの……い、樹、くん?」
「ごめん、あの……」
ちらりと何とか椿が視線を動かすと樹の耳が見えた。真っ赤で熱そうな耳。
「……うまいこと、かっこいいこと、言えたら、良かったんだけど、いえなくて」
「……うん、大丈夫、だよ」
「ごめん、でも……」
少しだけ体を離される。真っすぐ椿を見つめる樹の目が、ひどく優しい。
「俺も、椿さんが、好きだよ。守りたいし、ずっと一緒に歩いていきたい」
「……うん。ありがとう」
二人は微笑みあい、しばらくそのままでいた。
樹の肩からひっそり頭に移動した玄武が笑う。
「青春じゃのう」
暦の上では夏はもうすぐ終わる。けれど、まだまだ熱は引きそうにない。




