第12話 開幕二戦目を虎吉歓喜
西成の印刷工場「山下印刷」の休憩室は、朝から異様な熱気に包まれていた。
「社長、今日は開幕第2戦やで! 絶対勝つで!」
新入社員の若いDeNAファンがおどおけて言うと、虎吉(51)は黄色いタオルを首に巻いたまま、仁王立ちで胸を張った。
「バカ者! 1985年やったらな、開幕二戦目でバースがもう一発ぶち込んでたわ! 今日は高橋遥人が1985年のゲイルみたいに完封するんや!」
虎夫は朝から六甲おろしを小声で歌いながら、印刷機の調整をしていた。
妻の美津子からは朝飯の味噌汁を置いたときに
「もう、今年もこの季節か……」
とため息をつかれ、娘の遥香からはLINEで
「パパ、宗教熱が高まってるね。仕事しろ」
と一言。
だが、そんなものは関係ない。
虎吉の血が、騒いでいた。
午後2時過ぎ。東京ドームでの巨人戦が始まった。工場はほぼ手が止まっていた。
従業員8名が休憩室の小さなテレビに釘付け。
虎吉は社長椅子に座ったまま、拳を握りしめている。
1回表。
「森下! 行けぇ!」
森下翔平の犠牲フライで阪神が1点を先制。
虎吉は椅子から飛び上がり、
「おおおお! 1985年の長崎満塁弾やないか! 満塁ちゃうけど、虎吉の心は満塁や!」
と叫んだ。
従業員が
「社長、違うって……」
と苦笑いするが、聞こえていない。
高橋遥人が素晴らしいピッチングを続ける。
巨人の打線を翻弄し、凡打の山を築いていく。
虎吉の脳裏に、1985年の記憶がフラッシュバックした。
10歳の虎吉。父親の虎造に肩車されて甲子園の外野席で見たバックスクリーン3連発。
そして日本シリーズ第6戦、西武球場での長崎啓二の満塁ホームラン。
逆風の中を飛んでいった白いボール。
父親の涙が頭に落ちてきたあの夜。
「お母さん……今年も、阪神が頑張ってるで……」
虎吉は小さく呟いた。
誰も聞いていないと思っていたが、隣でコーヒーを飲んでいたベテラン社員のおばちゃんが、そっとティッシュを差し出した。
8回表。
佐藤輝明の適時打で2-0にリードを広げる。
休憩室は大爆発。
虎吉は
「佐藤! お前は今のバースや! いや、バースより熱いわ!」
と絶叫しながら、従業員全員とハイタッチを回った。
DeNAファンの新入社員までもが
「今日は……阪神応援します!」
と完全に洗脳されていた。
9回裏。
高橋遥人が最後の打者を抑え、完封勝利。
スコア:巨人 0 - 2 阪神。
虎吉は両手を天井に向け、目を閉じた。
「ああ、愛しの阪神タイガース……」
声が震えていた。
1985年の優勝決定の夜、父親と二人でラジオを聞きながら泣いたあの感覚が、51歳の胸に蘇る。
「虎吉、よう頑張ったな」
幻の父親の声が聞こえた気がした。(まだ生きてる)
工場に戻った虎吉は、珍しく真顔で社員たちに言った。
「今日は早めに切り上げや。
皆、甲子園の空気でも吸いに行け。
ただし、明日から気合い入れて仕事やぞ。
阪神が勝ってる時は、俺らも勝たなアカン」
社員たちが
「了解です、社長!」
と笑顔で答える。
その夜、虎吉は黄色いクラウンで家路につきながら、妻と娘に LINEグループで送った。
虎吉
「今日、高橋が1985年のゲイルやったわ。
虎吉、めっちゃ嬉しいで。
お前らも、ちょっとだけ喜んでくれへんか。」
美津子からはスタンプだけ。遥香からは
「パパおめでとう(小声)」。
車の中で虎吉は小さく笑った。
「まだ始まったばかりや……今年こそ、日本一やで、ママ。」
六甲おろしを大音量で流しながら、天王寺へと向かう夜道を走る黄色いクラウン。
虎吉の目には、1985年の甲子園の光が、かすかに映っていた。




